一枚の写真…。そこには
それぞれの出会いや想い出がある
人生のワンカットを言葉で表現してみました。

岩場の刺し網漁

2016年12月5日 14:24
岩場の刺し網漁
海が静かになると、気になる季節がやってきます。

10~12月にかけて、村上には鮭が帰ってきます。県内河川でもトップクラスの鮭の漁獲高を誇っている三面川。その河口沿岸に仕掛けて鮭を捕るのが定置網漁です。昔から「川の水を一口飲んだ鮭の塩引きがいちばんおいしい」といわれてきました。要するに、河口付近で捕れる鮭のことです。しかし今では、少し脂が落ちた鮭は「脂っ気がない」と言う人も多くなっています。

私の記憶では、旧村上管内には岩船・瀬波・岩ヶ崎・大月・柏尾・馬下の6ヶ統の定置網漁が盛んに営まれていました。しかし、近年は高齢化や気象の変化なのか、魚も捕れなくなり、瀬波と馬下のみとなりました。

私は、小さい頃から親父が参加していた定置網漁を見るのが大好きで、小学校高学年になると一緒に船に乗り、漁を見るのが楽しみでした。私が就職する頃には、乗組員が高齢化して大変だ、と親父が酒を飲みながらよく口説いたものでした。こんな話を聞いていたものですから、いつしか朝の網上げを手伝いに行くようになりました。船から魚を揚げ、選別した後に残った雑魚を手伝った駄賃としてもらってくるのが楽しみでした。私の集落には、同年代の人たちもいましたが、漁が嫌いなのか、私以外誰も手伝いに来てくれませんでした。

私のところの定置網は、春のマス漁と秋の鮭漁の時だけ漁業を営んでおり、夏と冬は休んで、この間は刺し網漁をしていました。その影響で自然と漁に興味を持ち、親父が高齢でできなくなった後は、見よう見まねで船をこぎ出しておりました。始めた頃は春マスも結構捕れましたが、近年はほとんど掛かりません。刺し網は、夕方網を入れて早朝に引き上げます。長く掛かったままだと、海の中で魚が傷んでしまうからです。

今は、春のアイナメやメバル、黒鯛、秋の鮭漁を仕事の合間に楽しみながら行っています。鮭刺し網は、秋のしけ後の天気を見て入れますが、船が小さいので無理をしないで漁を楽しんでいます。この写真は、11月27日朝の網に掛かった鮭です。

かちょー

塩谷chronicle ~集落移転300年を迎えて~

2016年8月4日 09:33
塩谷chronicle ~集落移転300年を迎えて~
その昔、北前船の寄港地として繁栄した塩谷港は、新潟から北へ約50km、一級河川・荒川の北側の河口にあり、今も北前船商人の面影が色濃く残った港町です。

杉板張り・妻入りの町屋が続き、町屋の中へ入ると太いケヤキの柱や内法(うちのり)漆塗りの柱、建具等が昔のままに残っており、平成28年8月1日に4軒7棟の古民家等が登録有形文化財に指定されました。

塩谷の集落は、江戸時代前期までは現在の場所より約200~300m東側(内陸側)にあり、その場所は古屋敷として、今も地名として残っています。
古屋敷時代の塩谷は、荒川や胎内川を利用して、沼垂(ぬったり)や新潟まで大きな川船で近在の年貢米を運んでおり、内陸水運の要地になっていました。ところが、宝永6(1709)年に村上藩は15万石から5万石に減封になり、周囲の多くの土地も幕府領に変わり、年貢米の輸送も幕府領の海老江が主に引き受けることになりました。また、新田開発や紫雲寺潟の干拓工事などにより、内陸水運も急速に衰退していきました。

その頃、内陸水運に代わって北海道(エゾ地)の開発等により日本海航路が発達し、目の前の日本海を大きな北前船が行き交うようになりました。内陸水運の衰退、日本海航路の発展を目の当たりにした塩谷の商人は、村上藩に今ある海岸沿いへの集落移転を願い出ました。享保元(1716)年には43軒が引っ越し、現在の町並みへと発展していきます。

塩谷の集落移転は計画的に進められ、道幅は約8mと広く、十数軒ごとに小路(2.7m)を大通りに交差するように造り、海岸から内陸側の運河(堀川)まで通り抜けられるようになっています。
また、荒川河口には村上藩が、北前船の寄港による物資や人の出入りを監視する番所(番所山、現在の稲荷山)を設け、番所の役人も常駐していました。番所山には役人が伏見稲荷を祭っており、現在の稲荷山の名前の由来となっています。

幕府による村上藩の変転、干拓等による内陸水運の衰退、日本海交易の発展等、その時その時代の変化に適切な対応をしながら、塩谷の町屋商人たちはしぶとく生き残ってきました。先人たちの努力と才覚は、現在の私たちにも教えられることが多々あると思います。

ことしで集落移転300年を迎える塩谷に、ぜひ遊びや見学に来てください。
ガイド案内は、野澤食品工業(TEL 0254-66-5507)にお問い合わせください。

米甚

夕日はなぜ、赤い?

2016年7月10日 17:45
夕日はなぜ、赤い?
皆様は夕日を見ると、うれしくなりますか?悲しくなりますか?
人によって違うとは思いますが、夕日を見るといろいろな感情が湧いてくるのではないでしょうか。

私は夕日を見ると昔のこと、特に小さい頃の懐かしいことを思い出します。
笹川流れで日本海の夕日を見て育ちましたので、子供の頃に暗くなるまでばあちゃんに遊んでもらった思い出や、夕方に兄や友達とキャッチボールや缶けり(今の子供たちは缶けりを知っているのかな?)をした思い出、夕方に自転車の練習をした思い出、とにかく毎日夕方まで遊んでいたからだと思います。

学生の頃にも東京で高層ビルの夕日を見ているのですが、それを思い出すことはないですね。東京は朝まで遊んでから見た朝日のイメージが強いのです。親に申し訳ないので大きい声では言えませんが(笑)

今は毎日、瀬波温泉から夕日を見ています。

申し遅れましたが、私、瀬波温泉の夕映えの宿汐美荘で「夕映えソムリエ」という夕日の語り部をしており、毎日「夕日は、なぜ赤い?」を説明しております。瀬波温泉の夕日は 1年間で粟島と佐渡島の間を行ったり来たりします ので、季節ごとに違った表情が楽しめます。

また 1年間で日の入り時刻は約3時間の差 がありますので、季節によって食事をされながらの夕日や温泉に浸かりながらの夕日など違った楽しみがあります。夕日を毎日見ているといっても瀬波温泉で 夕日が見られる日は1年間で3割程度で、実際に毎日見られるわけではないのです。

でも、安心してください。
夕日が見えても見えなくても、夕映えソムリエは毎日語ります。
そして、夕映えの宿汐美荘では毎日夕日が見られる日本初の新システムを導入し、夕日の映像をバーチャル体験していただく「夕映えシアター」をロビーラウンジで開催しています。
さて、本題の「夕日は、なぜ赤い?」ですが、ここで答えてはいけませんよね(笑)
答えは日の入り前の時間帯に夕映えの宿汐美荘のロビーラウンジでご確認くださいませ。

ちゃんなべ

SLへの想い

2016年3月7日 11:01
SLへの想い

平成28年3月19日(土)および20日(日・祝)に、2年ぶりの「SL村上ひな街道号」が一日一往復運転されます。SLはC57 180号機。4月以降は「SLばんえつ物語」号として運転されている車両を使用いたします。ここ何年か継続して「SL村上ひな街道号」として村上駅に到着し、地域の皆さまから大歓迎を受けお出迎えをしていただき、多くのファンからご利用していただき、発車を見送っていただいております。
しかし、昨年の春の人形さま巡り開催時期は老体?に無理がきかず、身体検査ならぬ全般検査で至るところにガタが発見され、可能な限りのオーバーホールを実施するため、一昨年10月から昨年の5月まで完全休養を余儀なくされました。


ここでSL C57 180号機についてのマメ知識です。
生まれは昭和21年8月8日、三菱重工三原製作所(広島)で現在69歳です。(途中、昭和44年9月で一旦現役引退、平成11年3月にJR大宮工場で復元)平成11年4月29日から「SLばんえつ物語」号として運転開始。復元後17年経過しており、途中でも車両故障等が発生した場面もありました。心臓部のボイラーをはじめ、ピストン、配管等多くの部分が傷んでおり、部品交換をするにも製造されておらず、部品を一から作るという難しい作業が約半年かけて行われました。
また、修理を経験している作業員も少なく、試行錯誤からの修理となったように聞いています。その甲斐あって昨年6月から運転再開し、9月の山形DCファイナルに村上駅から酒田駅までSLが運転され、多くの皆さまからお出迎えやお見送り、気持ちのこもったおもてなしをしていただきました、本当にありがとうございました。


そしてことし、3月1日から「城下町村上 町屋の人形さま巡り」が開催され、3月19日・20日と新潟駅から村上駅、帰りは村上駅から新津駅までの運転が実施されます。われわれ社員はもとより、地域の皆さま方の期待を受け、スムーズな運行を目指し、関係機関の皆さまと検討を重ね準備を行っております。
ことしも、ちびっこお雛さまや一日駅長などでのお出迎え、また地域の皆さまにもSL時代や人形さま巡りの雰囲気に合った仮装でのお出迎えを募集しており、例年になく華やかなイベントが計画されておりますので、多くの皆さま方のご参加をお待ちしております。また、当日は「Wi-Fiスタンプラリー」で、いろいろな景品が当たるイベントを開催いたします。



JR東日本特別企画【SL村上ひな街道号】運転
運転日/3月19日(土)・20日(日・祝)

運行/新潟駅9:08発~村上駅 11:04着
      村上駅15:32発~新津駅 17:46着 ※予定

Ryoukan

ポスターの秘密

2016年2月26日 15:38
ポスターの秘密

この時期になると思い出すエピソードがある。


平成13年2月のこと。村上のまちのあちこちに貼られた人形さま巡りのポスターを見た小学生が「もうこんな季節になったんだ」と友だちと話しながら歩いていた、というもの。その年に行われた人形さま巡りは第2回目。その前年に始まったばかりの新しい催しにもかかわらず、彼らはすでに村上に春を呼ぶ催しとして認識していた。彼らもおそらくもう社会人。今年(平成28年)第17回目となるが、人形さま巡りを変わらず懐かしく思ってくれているだろうか。


私は染物職人だ。その技術を生かして人形さま巡りと、秋に行われる屏風まつりのポスターを第1回目から作っている。2つの催しのポスターは、毎回村上の風景をモチーフに切り絵と云う技法で作られているが、染物に使う型紙を彫るのと同じ方法なのだ。


神社仏閣、城下町らしい小路、町屋などさまざまな場所を切り絵にしてきたが、ポスターにはあえてモチーフになった場所を記していない。普通、村上の街角をモチーフにするなら、きちんとマップにも場所を明記するものだろう。しかし私は第1回目からそれをやらなかった。


もし切り絵の場所がポスター上に記してあったら、「ああ、あそこね」、または「へえ、こんな所があるんだ」と思うなり、毎回会期が3月1日から4月3日で固定している人形さまのポスターに対する興味は失われてしまうだろう。しかしこの情報社会ですんなりわからないとかえって興味をそそられるのではないだろうか。今は自分のSNSでヒントを与えたり、地元の新聞が記事にしてくださったりするので、調べようと思えば答えにたどりつけるようになっている。そもそも村上人なら誰もが知っている場所ばかりなのだ。ここどこ?と村上人に聞くのが一番手っ取り早い。きっと誰もが親切に答えたり、わからなかったら探すための情報をくれるだろう。


人に聞いたり調べたりして、もう1アクション起こしてほしい、それによって村上人とふれあうきっかけになったり、人形さま巡りにもっと関心を持ってもらえたら、という気持ちで場所を明かさないでいる。ポスターを見て、一瞬意識が村上に向けられたら本望だ。

市丸
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