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イベント情報

縄文人のとっておきの器

芸術・文化

2021年4月17日(土)~6月27日(日)

全部特別

土器の形・装飾性・用途には、縄文人の精神世界が反映されています。その縄文人の心の中をそっと見てみませんか? 縄文人が大切にしていた器から縄文世界を紹介します。

【観覧料】
大人400円/小・中・高校生100円
※常設展入館料を含む
※団体20名以上で大人320円/小・中・高校生80円

【休館日】
月曜日(月曜日が祝日の場合は翌火曜日休館)

【共催】
村上市教育委員会
住所 村上市岩崩612-118
電話番号 0254-72-1577(縄文の里・朝日) 0254-72-1577(縄文の里・朝日)
開催期間 2021年4月17日(土)~6月27日(日)
開催時間 9:00 ~ 16:30
URL http://www.iwafune.ne.jp/~joumon/
アクセス(車) 日本海東北自動車道「朝日まほろばIC」から車で約30分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から、バス「縄文の里朝日」行きで約40分
駐車場(台数) 36台
主催者 公益財団法人イヨボヤの里開発公社
大きなマップで目的地までのルートチェック

関連スポット

九品仏 上品上生 善沢寺前

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

市有形文化財 旧藤井家住宅

現存する直屋の武家住宅としては最も大きく、解体調査時に嘉永3(1850)年の棟札が発見されました。城下絵図では重野兵馬の屋敷とあり、明治30年代に藤井氏が取得したものです。 【藤井家住宅の履歴】 旧藤井家住宅が建てられたのは、建物に使用されていた梁の仕口に記されていた墨書から、江戸時代後期の嘉永3(1850)年と推定される。 元、この住宅は内藤家家臣 重野氏の屋敷で、代々250石を給され、者頭役や普請奉行などを務めた、内藤藩では中級上位の武士であった。明治維新後、重野氏は村上を離れることになるが、その後この住宅は、明治35~36(1902~03)年頃に藤井氏の所有となる。 藤井政紀(医師) 慶応2(1866)年、村上町の医師・藤井唐民の第6子として出生。明治19(1886)年、県立新潟医学校を卒業して、東京順天堂医院の佐藤進に学び、東京顕微鏡院での研修の後、浜田産婦人科で浜田玄達について産婦人科を学ぶ。帰郷して村上本町堀片で産婦人科の医院を開業。明治37(1904)年、独力で自宅内に私立村上産婆学校を創立し、岩船郡下の助産婦の養成を開始する。しかし、病弱のため大正10(1921)年これを廃止する。大正14(1925)年没。享年60歳。(村上市史より抜粋) この時、藤井氏は武家住宅であったものに大幅な増改築を行っている。特に診療所や病室、2階の産婆学校の教室等がこれである。また、この増築に併せて、診療室や病室と主屋の接続部分、台所・浴室等の水廻り部分、座敷・居室など住宅全体にわたって改造されたことが判明している。 (中略) 政紀氏は大正14年に静養先の東京池袋で没するが、その後病院は、藤井卯門氏によって継続されていたようで、昭和8(1933)年に病院を改築した際に、東京の藤井班象氏から村上の卯門氏へ、修繕費の内金の受領書が、改築前図面と共に残されていた。 そして、この昭和8年に改築された姿が、ほぼ解体調査前の姿に引き継がれてきたものと考えられる。 そして平成7(1995)年に、この住宅は東京都在住の藤井氏から村上市に寄付され、土地については村上市が取得し、解体調査と保存工事が行われ、平成10(1998)年に現在の姿に復原され公開されている。 武家住宅としては、重野氏の屋敷跡であるが、この住宅が村上市に寄付されたときの所有者である藤井氏の意思を尊重して、住宅の名称も「旧藤井家住宅」とした。(村上市郷土資料館)

九品仏 下品下生 上片町地蔵堂境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

鳴海森林公園

朝日スーパーライン沿線のブナ原生林と重蔵山、枡形山を望むところにあり、近くには慶長年間全国一の産金量を誇った鳴海金山があります。緑と触れ合いながら、アウトドアライフを充分満喫できます。

村上市ぶどうスキー場

県内最北端のスキー場。ゲレンデからの眺めが良く、山頂からは日本海・鳥海山・月山・朝日連峰を一望できます。積雪量・雪質ともに◎ パノラマゲレンデには上級者も大満足のダウンヒルもあり!路面整備の行き届いた国道沿いにあるので、雪道運転の苦手な人でも安心のスキー場です。 ●ダイナミックゲレンデ(滑走距離850m/最大斜度22度・平均斜度16度) 最大斜度22度の「ダイナミックゲレンデ」は、スキーヤー・スノーボーダーの腕の見せどころ。こぶ斜面もあって人気の高いゲレンデです。 ●パノラマゲレンデ(滑走距離1,200m/最大斜度30度・平均斜度20度) 標高650mのパノラマゲレンデでは、上質なパウダースノーを満喫。雪質は最高です! 晴れた日には、山頂から鳥海山や日本海も一望できます。 ●クラシタ山ゲレンデ(滑走距離430m/最大斜度18度・平均斜度15度) ●グレープロード(滑走距離1,500m/最大斜度18度・平均斜度15度) 「ダイナミックゲレンデ」を迂回する初級コース。細く、斜度のきついところもありますが、楽しい蒲萄道です。

村上茶染め体験

村上の特産・村上茶を使い、自分だけのオリジナルハンカチ・コースターを作ろう! 【開催期間】 通年 【所要時間】 ●ハンカチ …約1時間30分 ●コースター …約30分 【予約について】 体験希望日の一週間前までに要予約 【最少催行】 ●ハンカチ …5枚以上から ●コースター …1枚から

重要文化財 若林家住宅

二百数十年前に建設され、その後、復原された若林家住宅。若林氏は、村上藩で物頭(ものがしら)役150石で中級上位の家柄に属します。曲屋(まがりや)づくりの茅葺平屋建で、部屋割りも細かく、典型的な中級武家住宅の特色を伝えていることから重要文化財に指定されました。 【若林家住宅とは】 若林家住宅は、今から二百数十年前から明治期まで、村上藩士・若林家とその子孫の生活の舞台であった建物である。 若林家が内藤家に召し抱えられたのは延宝2(1674)年で、天和2(1682)年には内藤分家の家老職を務め200石を給されていた。その後、内藤本家に再任され、150石に減ぜられたが、内藤家中の中級上位の藩士として、大目付、長柄(ながえ)奉行、普請奉行、町奉行、三条奉行などの要職に就いている。 天明7(1787)年の『越後村上分限帳』では、筆頭家老から12番目「者頭(物頭)」の項に下記のような記述があることから、現在地の若林家住宅に生活するようになった頃には150石者頭役で、18人の足軽を指揮していたことが知られる。 一 百五拾石  若林七太夫 一 金三両弐分二人扶持  小頭 野崎文吉 一 金三拾七両三拾四人扶持 内弐両弐分取六人 足軽十七人 また、昭和6年編纂の『村上郷土史』所収の禄高順記載による「村上藩士一覧表」には、「給人百五十石 若林佐市郎」とあり、足軽まで含めた総藩士731人の家臣(内 石取藩士は約150人)の上から54番目(石取藩士の中級上位)に記されている。 旧村上藩「者頭」若林家住宅には、私的居住部分と者頭の役宅部分からなっていることが知られる。(村上市郷土資料館)

鷲ヶ巣山

◇標高1093.3m ◇所要時間約4時間 建久(1190)年間に開山した山で、13体の祭神が祭られ、前ノ岳・中ノ岳・奥の院の三峰から成り立っており、尾根伝いに続く山稜は登り・下りが激しいのが特徴です。峰々の頂からは、三面ダムの湖水が静けさの中にくっきりと見え、人造湖とは思えない神秘性を漂わせています。国道7号線の水明橋からの遠望は、魅力的で見る者を一層ひき付けます。

村上市コミュニティデイホーム

約100年近くにわたって少しずつ手を加えられながら大切に守られてきており、黒く光る梁や柱に時を経たこの家の歴史が感じられます。皆様が交流しながら、集える施設を目指しています。

藤基神社

藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造り。嘉永2(1849)年に当時の工匠がその技を結集し、8年の歳月を費やして造り上げたものです。村上が生んだ工匠・有磯周斎(ありいそしゅうさい)による、かご彫りと呼ばれる彫刻の傑作を各所に残しています。 ご祭神は、徳川家康侯の異母弟に当たり、徳川家十七士の一人でもある村上藩の藩祖・内藤信成(のぶなり)侯、十代目の信敦(のぶあつ)侯、十一代目の信思(のぶもと)侯を祭っています。 八幡大神(やわたのおおかみ)、誉田大神(ほんだのおおかみ)、火帯姫大神(ほたらしひめのおおかみ)、稲荷大神(いなりのおおかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、秋葉大神(あきばのおおかみ)、火産霊神(ほむすひのかみ)、学問の神である菅原道真公を祭っています。

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