イラスト:石田 光和(エムプリント)
一揆を企てた者のうち32人を釈放して、国元へ帰すと決定した奉行の処置が幕府内に伝わると、内部には「彼らを許し帰さんこと、もっともしかるべからず」「さよう、奉行らの判断はとんでもないこと。それは聞こえない話じゃ」「それこそ虎を野に放つことと同じ。その処置には反対すべし」「いやさにあらず。奉行らの処置はよくよく考えてのうえと存ずる」「さよう、3人の奉行はいずれも信頼の置ける者。かれらの判断に狂いはない」。
甲論乙駁[こうろんおつばく]まとまらない。それではと一人が、「どうじゃ、ここは儒者[じゅしゃ]の新井白石の意見を訊[き]いてみたならば。その上で理非[りひ]を決めることはいかに」。その意見には誰も反対する者がいない。そこで白石に尋ねたところ、白石の言うには「虎を野に放つなどと申すことは事によるものです。彼らを国元へ帰すに何の差し支えがありましょうや。彼らを許すことは徳恵[とくけい]になることです。彼らによって、その徳恵が国の民衆に伝わることになります。また、彼らが訴える大庄屋の横暴を糺[ただ]さねばなりませぬ。そのことなしには事件の解決にはなりませぬ」そう言うものだから、閣僚も「さよう、ごもっとも」と納得して、しからば32人の百姓をば国元へ帰し、折を見て大庄屋を召喚すべしとなり、32人は牢屋から出され無罪放免となった。
すると程なく、村上領に付けられた8組の百姓12人が奉行所へ出廷してきて、幕府の処置に感謝の礼を述べる。四万石領10組のうち、2組は幕領になったため、8組の代表である。そこで奉行らは、いまだ獄中にある三五兵衛と市兵衛・新五右衛門を縄付きのまま白州に呼び出し、ともども「庄屋の処置もまた不当であったそうな。理不尽な出費の要求、あるいは過当な人足割り当てなぞはなかったか、ありていに述べてみよ」そう訊くと、三五兵衛らはここが先金とばかりに、きっと面を上げて「では申し上げます。一昨年10月の末から正月半ばまで80日間、二人のお代官様が黒川に滞留したことがありました。そのとき大庄屋は庄屋に言いつけ、950両もの金を村村の百姓から取り立て、その滞在費に充てたものでございます」「なんと950両といえば大金……」「いやお奉行様、そのことは一例。大庄屋の屋敷の掃除・家普請・雪かきの人足負担、わけて荒天時の普請費用などはたびたびです」そう言うと、奉行らは鳩首[きゅうしゅ]を集め「彼らの言うことによもや偽りはあるまい。だが裏をとる必要がある。庄屋もまた疑わしい。よし、庄屋を呼べ」となって、今度は庄屋が出廷することになった。白州へ呼ばれ、奉行からいちいち尋問された庄屋らは、まさにその通りだから反論のしようがない。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2011年8月号掲載)村上市史異聞 より