イラスト:石田 光和(エム・プリント)
幕府の辰の口評定所(寺社・勘定・町の三奉行所で、江戸城の辰の口にあったことからそう呼んだ最高裁判所である)は、「その方らの要求、つまり村上藩領から幕府領への編入替えはならぬ。これ以上、要求を続けるならば、その方ら代表を重罪に処す」と申しわたした。重罪とは、磔獄門[はりつけごくもん]か、軽くて島流しである。それを受けた関係組村の百姓は、太田村の三五兵衛をはじめとする3名を事情説明のために評定所へ出頭させる。
すると評定所の役人は、「問答無用、搦[からめ]とって牢にぶちこめ。それに村村でも不穏な言動をとる不逞[ふてい]な輩[やから]があれば、ひっ捕えて、罪の軽重に従い、死罪・遠島・追放を申しつけ、その者らが所有する田畑は幕府が没収する」そう命じたものだ。
間もなくそれらの村村から不穏な噂が聞こえてくる。新井白石の耳にも、「お上は、おれらの言い分には少しも耳を傾けず、あまつさえまったく理不尽なことをばする。これがご公儀のなさることか。これがご政道であれば、以後、おれらは代官の命には従わぬ。もちろん年貢なぞ米一粒たりとも納めねえ」と百姓らは硬化し一致団結した。とはいえ四万石領の各村すべてという訳ではない。庄屋や村役人の説得に従って忍従した村もある。
このとき幕府の代官所は北蒲原郡黒川にあり、代官は河原清兵衛が派遣されていた。噂は噂を呼んだ。「河原は評定所の命令を受けて首謀者58名を捕縛した。すると百姓らはますます激高。騒乱は名状しがたいものとなった」「いやさ58名を罪に落とさば、100人で出訴すべし。100人でだめなら4000人で出訴する」と言う者があれば、「いやいや、評定所へ訴えるのみならず、黒川の代官河原某[なにがし]、あの代官が悪い。あの代官がろくにことの次第を調べもせずにいるからだ。それと大庄屋らもだ。百姓の生活を踏み台にして私腹を肥やしているのだ」。するとさらには、「まだ納めていない年貢米があろう。あの米をば船積みして他国へ売り払ってしまえ。年貢の徴収ができなければ代官の落ち度となり、さらには公儀の減収となるからの」。
公儀の年貢米を不法売却とは前代未聞の大科[とが]ごとだ。大庄屋や庄屋は腰の抜けるほど驚いた。そして顔を蒼白にして、頬を引きつらせながら村村を回り、「年貢米を売り払うとは天下の大罪。その罪は下手人のみならず、おれらにもおよぶ。頼む、やめてくれ!」と説得にかかるが、百姓らは、「なにを言うか。そもそもこのような事態にたちいたった原因は、うぬら大庄屋にあるのだ。四の五のとごたくを並べてじゃまだてするな」と言って、一向に聞き入れようとはしないというのだ。大庄屋は茨曽根組の関根三左衛門らである。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2011年4月号掲載)村上市史異聞 より