イラスト:石田 光和(エム・プリント)
ねぶたは青森や秋田で有名だが、もとは「ねむり流し」あるいは「ねぶり流し」といい、西日本や関東などでも広く行われていた行事である。
睡魔を流すために川に入るのだ。それが七夕の禊(みそぎ)と結びついた。『村上町年行事日記』にねぶり流しの記事が見られるのは江戸中後期(1740~)からで、子ども中心の行事であった。
太鼓を打ち鳴らしながら川原に出、穢(けがれ)のついた笹を川に流すというものである。獅子舞を舞うようになるのは1700年代の後半からのようだ。これを子ども大々神楽(だいだいかぐら)と呼んでいた。広めたのは伊勢内宮御師(おし)と考えられる。
しかし、その七夕信仰はわが国古来の祖霊を迎え、延命を祈願することから離れ、中国からもたれされた乞巧奠(きっこうでん)=星祭りである。短冊に願いごとを書いて星神に祈る。あるいは諸芸の上達を祈願する行事である。
そこで欠かすことができなかった食物はそうめんであった。大名の七夕の祝儀物にも使われるほどだ。また、和歌を7枚の梶の葉に書き、7筋のそうめんで束ねる、とは松平大和守が記している。
獅子舞の囃し言葉に「小野小町の花の色」という文句がある。これは簓摺(ささらすり)の衣装と相まって、七夕の日に京都などで行われていた華やかな衣装の小町踊りの影響であろう。「花の色も移りて小町踊」の文言が残っている。それを風流踊と呼んでいた。「ふうりゅう」とは呼ばない、「ふりゅう」である。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2008年8月号掲載)村上市史異聞 より