むかしの「昔のことせ!」 むかしの「昔のことせ!」

 

このコンテンツは
『むらかみ商工会議所ニュース』で連載していた
「昔のことせ!ー村上むかし語りーを再掲です。
発行:村上商工会議所

 

著者は村上市の郷土史研究家
大場喜代司さん(故人)です。

 

石田光和さんによる
イラストとともにお楽しみください。

 

2025/07/15

054 次太郎騒動(8)

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イラスト:石田 光和エムプリント

 

「それ押し返せ! 一人たりとも揚げるでない。鉄砲隊は筒先そろえて撃て!」と下知をした。この時、桃崎の川岸に構えていた鉄砲は20挺である。そのうち2挺ほどは実弾を込めていた。岩付五郎太夫の下知に逆上した足軽は、かねて筒先を上方に向けて撃てとの命令をすっかり忘れ、すべて一揆勢に向けて放ったのである。

 

もの凄い轟音で川面は波立ち、木々の梢は震え、鼓膜が鳴り、煙が鼻をつき、青白い閃光が走った。その一発が切田村の百姓の腰に命中したものだからたまらない。「ギャッ!」と悲鳴を上げて猫のようにもんどりうち、どさっと倒れ伏した。さらに一人は、逃げ足になったところを抜刀の足軽に肩先を「えい!」と切りつけられ、血飛沫を上げながら逃げる。他の連中も驚愕[きょうがく]、髪を逆立て、顔色を失って逃げ返ろうとするが、なにしろ舟橋であるから足場が不安定である。揺れて足がもつれ、人と人が重なり、倒れて舟端にぶつかり、鼻血を流す者があり、気を失う者もありで、ほうほうの体となってようやく中州へたどり着く。

 

この時、対岸へ逃げ渡って行方が分からなくなった者は300人もいたろうか。残余の者は6~700人で、次太郎はこれ以後の方針を評議するため、それらの者どもを集合させると、「桃崎は村上兵が出張っているので無理」と言う者もいるが、「いやさ、俺らは無防備にして無力。それを鉄砲と刀槍で脅し、あまつさえ重傷を負わせたもんだ。このことをねたにして陣をば解かせるべ」「その使いには誰がするや」「それは桃崎の庄屋がよかろう。俺らどもはおとなしく引き揚げるで、村上さまも手を引いてくれとな。それに桃崎へも手荒なことはしないともな」。

 

それからというもの桃崎の庄屋を説得し、庄屋は次太郎らの要求を入れて、村上藩・川上重次郎と岩付五郎太夫相手に掛け合いに及んだところ、川上らは「何を申すか庄屋、汝うぬも一揆奴[め]らと同類か。陣を解けとはどの面さげてぬかす」と眼を釣り上げ、唾を飛ばして怒る。庄屋は、「腰に鉄砲弾を食らい、肩に刀傷を負った者は無防備の者です。やつらはその行為を理不尽と言っています」。

 

非道・理不尽を持ち出されては、武士の信条が許さない。「チッ」と小さく舌を打った川上は、「畜生奴が、いまいましいが仕方ない」とそう言えば、岩付も渋い顔に渋を塗ったようになり、「無腰の者を撃ったとなれば、侍道に悖[もと]る。やむを得まい、陣を引くとするか」と言う。しかし、侍道に悖るといえば、いささか奇麗に聞こえるが、実のところあまりにも多勢の敵に怖じ気たのではなかろうか。また、藩の対策としても千名の一揆勢を鎮圧するのに、わずか60名の警護隊の派遣でしかないのはおよび腰といわれても仕方あるまい。

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年6月号掲載)村上市史異聞 より

 

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