イラスト:石田 光和(エムプリント)
岡雄左衛門の手代・大塚万右衛門は、500の手勢を引き具して*高畑村に到着した。そこで、村松浜にはいまだ暴徒の残りがいることを知る。さればと大塚は、「500を3隊に分けて、1隊は浜道、1隊は松原道、もう1隊は本道に分かれて進め。こうすれば暴徒も逃げ道を失うじゃろう。よし、されば進撃!」と采配を振り下ろすと、手勢は勇気奮発、「おう!」と喚声を上げ、3隊に分かれて里道を駆け出した。村松浜は、高畑の南西で中間地点に築地村があり、何程の距離でもない。片や暴徒は指揮系統もなにもない。逃げ失せた者もいたが、村内をうろうろしている者もいた。そこへ鎮圧隊が三方からどっとなだれ込む。
*引き連れる、伴う
たちまち、あちらこちらで3人、5人と捕えられ、都合10数名が捕縛されてしまった。しかし、その中に首謀者らはいなく、雑魚ばかりであった。
こは*首謀者たる次太郎はじめ、重立ら**はいずれにいたか。そうだ、かの次太郎と上鍛冶村の与吉らは、次々と手下が捕えられているのに荒井浜の庄屋・忠右衛門を強請[ゆす]っていたというからめでたい話である。いわく、「放出する米は五百俵あるいは千俵。そして、その分は今ここで金子[きんす]に替えてくれ。否か、否とあれば実力でも奪うがどうだ」と要求された忠右衛門は、困惑と苦渋の色を眉に表わし、頬を陰らせて、「そう言われてもねんし、そのような大金は持ち合わせがない。金策してくるからそれまで待ってくたせ。」そう言って、裏では小者を大塚のもとに走らせた。
*(疑問・感動の気持ちを表すときに用いる古語)これは
**集団の中で主要な人物
やがてその使いが立ち帰る。村役人は触れを出して村人を集め、忠右衛門の屋敷を取り囲もうとする。そうした様子を察知した次太郎は、眉を寄せて、「すわ手が回ったか、こうしてはいられぬ」と思い、脱兎になって逃走する。胎内川の大出の渡しを越え、古舘を経て、山中に逃げ込もうとしていた。ところが、その次太郎はたちまち発見され、大勢の百姓は口々に、「それ追いかけろ。大出村にも知らせよ」と道幅いっぱいになって追いかける。あるいは報せを受けた大出村もまた百姓らで包囲網をつくる。次太郎は、「ここで捕まったら百年目だわ」とその追手をくらますために柳の木立のやぶ陰に潜んだ。
突然、次太郎の姿が見えなくなったものだから追手はうろたえ、「やや、どこへ行った。どこさ隠れやがった」といささか狼狽[ろうばい]したが、次太郎が潜んでいるところを見ていた子どもらがいて、大声で、「ここにいるどー! ここだぞー!」と叫んだ。泡を食ったのは次太郎だ。「ええい、くそがきが」と言いながらそのやぶを脱し、必死になって古舘村を目指した。やがて行く手に寺の屋根が見えた。常光寺という寺だ。次太郎はそこへ飛び込む。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年9月号掲載)村上市史異聞 より