6番 塩町 しおまち
塩町の屋台は、安永元(1772)年に造られたもので、現存する村上の屋台の中では二番目に古いものです。乗せ物は「猩々(しょうじょう)」で、中国の伝説上の生き物です。日本では能楽の曲名として有名で、親孝行な息子の素直な心を賞して、酌めど尽きない酒の泉を与え、舞を舞うというのが謡曲の粗筋です。乗せ物は、この猩々の舞う姿を模したものです。また、鮮やかな赤を緋色ともいい、中でも特に「猩々緋」という場合もあります。
7番 上町 かんまち
上町の屋台は、嘉永3(1850)年に造られたものです。当時、町内に住んでいた村上の名工・有磯周斉(ありいそ しゅうさい)が中心となって造られたもので、その彫刻は近世村上彫刻の粋を集めたものといえます。乗せ物は「梵鐘(はんしょう)」で、『寛永十年六月吉日』『羽黒大権現』という銘があります。この寛永10(1633)年は、羽黒神社を臥牛山の麓から現在地に遷宮した年であり、村上大祭の起源となる年でもあります。
8番 細工町 さいくまち
細工町の屋台は、大正13(1924)年に前の屋台と同じ形式で造り替えられたもので、簡素な能舞台を原型にしたものです。乗せ物も能楽の一つ「三番叟(さんばそう)」です。叟とは老人の意味で、能楽の祝言曲の式三番で、第一に千歳が舞い、第二に翁が舞った後、三番目に老人が黒い能面を着けて舞うことから、三番叟といわれるものです。お囃子の調子は三下り(さんさがり)です。
9番 安良町 あらまち
安良町の屋台は、安政3(1856)年に再建されたものです。乗せ物は、松の木一本で住吉の景を表わしています。屋台後方の見送りは「竜虎」がいがみ合っているところを題材に彫刻したもので、稲垣又八の作です。また、屋台各部の彫刻は山脇三作の作で、共に当時の名工が彫ったものです。お囃子は、調子は二上がりの「楽くずし祇園ばやし」です。
10番 小国町 おぐにまち
小国町の屋台は、安永3(1774)年に造られたもので、村上の屋台では三番目に古いものです。乗せ物は「孟宗(もうそう)」で、京都で造られたものです。孟宗は中国24孝の一人で、真冬にタケノコが食べたいという母のため、雪の降る中へタケノコを取りに出て、母親に供したといいます。屋台後方の見送りのついたては、「桐に鳳凰」が金糸の刺繍で施されたもので、この下絵は尾形光琳の作と伝えられています。