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むかしの「昔のことせ!」 むかしの「昔のことせ!」

 

このコンテンツは
『むらかみ商工会議所ニュース』で連載していた
「昔のことせ!ー村上むかし語りーを再掲です。
発行:村上商工会議所

 

著者は村上市の郷土史研究家
大場喜代司さん(故人)です。

 

石田光和さんによる
イラストとともにお楽しみください。

 

2025/11/15

058 次太郎騒動(12・終)

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イラスト:石田 光和エムプリント

 

古舘村の常光寺へ逃げ込んだ次太郎であったが、その後ろ姿は数人の追手に発見されていた。寺といっても、そうばかでかい寺ではない。それに住職もいるが、次太郎は溺れる者は藁をもつかむ思いであった。さればと追手は寺を取り巻き、じりじりと包囲網を縮めてゆく。

そして口々に、「抜かるなよ。縁の下は? 位牌壇の下は見たか? 須弥壇の下も見ろよ」と言って、片っ端から物陰を見て回ったが、「いない、……いない。さては逃げ去ったか」。一瞬、追手一同の上に狼狽[ろうばい]が走ったが、いずれにしても、そう遠くは行けまい。近くに潜んでいるに違いないとして、探索の手を外方に向けたところ、ほどなく裏手の方がなにやら騒がしい。古い墓地を隔てて蕗[ふき]畑が広がるところだ。次太郎は、その蕗畑に背を丸めて潜んでいたところを発見された。

 

南無三宝[なむさんぼう]、絶体絶命、もう逃れるすべはない。次太郎の上に電撃が走り、青い閃光が放電する。恐怖で背が硬直する。数を頼んだ追手は、四方八方からわっと次太郎に折り重なり、たちまちのうちに縛り上げてしまった。そこへ大塚万右衛門が駆けつけると、次太郎の顔を見知った者が「大将、この者が次太郎! 首謀者の次太郎ではや」、「む、でかした」と大きくうなずいた大塚は、中条へ連行するように命じ、そのかたわら残党の探索を命ずる。けれど命ずるまでもなく、次々と各方面から犯人捕縛の注進が入る。煩雑ゆえにその名をいちいち挙げることは避け、各役所の牢に入れられた人数を記す。

水原役所は7人、柏崎役所は12人、黒川役場は11人、松平小豊治知行所(現荒川)は20人、村上役場へは庄内町の大工・佐太郎が護送されていった。ほか大小合わせて140人である。

 

もとよりこの一揆の原因は、不作から生じた生活困窮であるが、菅田村庄屋兼帯[けんたい]の中村浜庄屋の佐藤三郎右衛門が困窮村民の土地を高利で質に取り、しかもその土地を質流れにしたことに強く反発したことからでもあった。とまれ暴徒の多くは、扇動されて付和雷同した者である。また首魁[しゅかい]の次太郎らの計画もかなり杜撰[ずさん]なものであったがために、一端がほころびるとたちまち壊滅したのである。けれど、逃亡して行方不明になった者が4人いた。そのなかの一人で上鍛治屋村の与吉は、虚空蔵山へ逃げたという情報であったが、その後は杳[よう]として不明である。もっぱらの噂は「与吉が信仰する虚空蔵様が隠したのだわ」だ。

 

吟味の主たる目的は、首謀者の洗い出し、落とし札を書いた者、扇動して歩いた者、暴行者などを明らかにすることである。白状すれば許されたが、口の堅い者には石抱きや海老責めがあった。次太郎には九貫目*の石を2枚抱かせ、遠島を命じたところ獄死した。なぜこれだけの拷問を行ったかというと、一揆は国に対する反逆と見なしていたからである。(木ノ瀬祐助氏所蔵史料)
*約34kg

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年10月号掲載)村上市史異聞 より

 

2025/10/15

057 次太郎騒動(11)

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イラスト:石田 光和エムプリント

 

岡雄左衛門の手代・大塚万右衛門は、500の手勢を引き具して*高畑村に到着した。そこで、村松浜にはいまだ暴徒の残りがいることを知る。さればと大塚は、「500を3隊に分けて、1隊は浜道、1隊は松原道、もう1隊は本道に分かれて進め。こうすれば暴徒も逃げ道を失うじゃろう。よし、されば進撃!」と采配を振り下ろすと、手勢は勇気奮発、「おう!」と喚声を上げ、3隊に分かれて里道を駆け出した。村松浜は、高畑の南西で中間地点に築地村があり、何程の距離でもない。片や暴徒は指揮系統もなにもない。逃げ失せた者もいたが、村内をうろうろしている者もいた。そこへ鎮圧隊が三方からどっとなだれ込む。
*引き連れる、伴う

 

たちまち、あちらこちらで3人、5人と捕えられ、都合10数名が捕縛されてしまった。しかし、その中に首謀者らはいなく、雑魚ばかりであった。

こは*首謀者たる次太郎はじめ、重立ら**はいずれにいたか。そうだ、かの次太郎と上鍛冶村の与吉らは、次々と手下が捕えられているのに荒井浜の庄屋・忠右衛門を強請[ゆす]っていたというからめでたい話である。いわく、「放出する米は五百俵あるいは千俵。そして、その分は今ここで金子[きんす]に替えてくれ。否か、否とあれば実力でも奪うがどうだ」と要求された忠右衛門は、困惑と苦渋の色を眉に表わし、頬を陰らせて、「そう言われてもねんし、そのような大金は持ち合わせがない。金策してくるからそれまで待ってくたせ。」そう言って、裏では小者を大塚のもとに走らせた。
*(疑問・感動の気持ちを表すときに用いる古語)これは
**集団の中で主要な人物

 

やがてその使いが立ち帰る。村役人は触れを出して村人を集め、忠右衛門の屋敷を取り囲もうとする。そうした様子を察知した次太郎は、眉を寄せて、「すわ手が回ったか、こうしてはいられぬ」と思い、脱兎になって逃走する。胎内川の大出の渡しを越え、古舘を経て、山中に逃げ込もうとしていた。ところが、その次太郎はたちまち発見され、大勢の百姓は口々に、「それ追いかけろ。大出村にも知らせよ」と道幅いっぱいになって追いかける。あるいは報せを受けた大出村もまた百姓らで包囲網をつくる。次太郎は、「ここで捕まったら百年目だわ」とその追手をくらますために柳の木立のやぶ陰に潜んだ。

 

突然、次太郎の姿が見えなくなったものだから追手はうろたえ、「やや、どこへ行った。どこさ隠れやがった」といささか狼狽[ろうばい]したが、次太郎が潜んでいるところを見ていた子どもらがいて、大声で、「ここにいるどー! ここだぞー!」と叫んだ。泡を食ったのは次太郎だ。「ええい、くそがきが」と言いながらそのやぶを脱し、必死になって古舘村を目指した。やがて行く手に寺の屋根が見えた。常光寺という寺だ。次太郎はそこへ飛び込む。

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年9月号掲載)村上市史異聞 より

 

2025/09/15

056 次太郎騒動(10)

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イラスト:石田 光和エムプリント

 

荒井浜の庄次郎が襲われたときのことである。本宅や土蔵が次々と破壊されたが、今一つ最も重要な蔵が発見されていない。そこで暴徒に加わっていた村上庄内町の大工・佐太郎は、実直な職人の容貌を険悪に変え、「俺が普請した穴蔵こそが金蔵なのだわ」そう叫びながら、その穴蔵目がけて突入する。庄次郎にすれば、まさかかつて雇った大工が暴徒になっているとは露知らず、全て略奪されてしまった。

 

しかし、ここに至るとさすがの暴徒も疲れがでた。20人、30人とごそごそと落伍者[らくごしゃ]が相次ぎ、総勢で4~500人程になっていた。これで村松浜へ押し寄せるのだが、関係する藩も黙し難い。まず白川藩預かりの出雲崎陣屋からは、元締役・岡雄左衛門と手代・大塚万右衛門の両名が家来を引き具し*中条へ出張る**。
*引き連れる、伴う
**戦いのために他の場所へ出向く

そして、村々に檄[げき]を飛ばして農兵を募る。これに応じた急造の農兵が千人余。それらを前にした岡は、「一揆の暴徒と間違われぬよう、髪の結び目に白紙を付けよ」と令し、500人は岡、500人は大塚の手兵として、「暴徒奴らが来ぬうちに、逆か寄せに寄せて搦[から]め捕れ。手向かいいたさば多勢で取り巻き、叩き伏せよ」と厳しく申し付けていたところ、高橋村の庄屋・源兵衛からの注進で、「奴らは村松浜の多七を襲い、少しばっか打壊しましたが、ここに至って逃げ失せる者もあります。なにとぞ追撃して捕まえてくだせ。」よし、さらばと岡は勇躍、「まいるぞ、ものども。ぬかるなよ」と下知すると、500のにわか農兵は、昴奮[こうふん]に膝頭を震わせ、引き攣[つ]る唇を奥歯でかみながら、「えいおう!」と鯨波[とき]を上げ、胴震いを止めると、小走りに走り出した。

普段、手にするものは鍬[くわ]や鎌で農作業しか知らぬ者ばかりだが、陣頭指揮は侍だから素晴らしい勢いで、真っ黒になって駈[か]ける。そこへ折よく暴徒の列から外れた少人数に行き逢った。

 

岡は、「それ奴等だ! 引っ捕らえろ!」。その下知にどうと周りを囲むと、暴徒の1人がやみくもに脇差しを振り回す。むろん、にわか農兵は手を束[つか]ねている。岡は、「よし、俺が打ちこらしてやる」と手にした六尺の鉄棒をごうと振る。それも恐れず、かの者はめったやたらに脇差しを振った。それを岡は、二三度空を泳がせて、「えい!」とその脇差しを目がけて打ち下ろすと、青白い閃光が飛び、鉄臭を残して脇差しが地面に転がった。

 

「それっ、ものども縄をかけよ!」その号令を待つまでもなく、農兵はうわっと群がるハチのようになって、高手小手[たかてこて]*に縛り上げてしまった。その他はほとんど逃げ散ったが、1人だけが捕らえられ、都合2人の捕縛者となった。
*人の両手を後ろに回し、首~ひじ~手首に縄をかけて厳重に縛り上げること

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年8月号掲載)村上市史異聞 より

 

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