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多伎神社(多岐神社)

笹川流れエリア
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多伎(岐)神社

山裾の赤い橋を渡って向かいます

岩場に架かる赤い橋

途中、小さな滝があります

お参りをして振り返ると、三面川河口~お城山(臥牛山)が見えます

義経と弁慶が立ち寄ったといわれる神社

この神社には、義経が奥州へ逃れる途中、御供の弁慶が社の前の岩の上に立ち、日本海を眺めて「さても麗わしき景色かな」と嘆賞したという伝説があります。
住所 村上市岩ヶ崎字多伎山787
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約10分(駐車場から徒歩で約5分)
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『せなみ巡回』に乗車、バス停「瀬波地域コミュニティセンター前」下車(バス停から徒歩で約30分)
駐車場(台数) 有
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関連スポット

九品仏 上品上生 善沢寺前

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

桃川のおたきさま

根古屋沢に形成された落差5mほどの滝で、国道290号脇の駐車場からも望むことができます。2018年に新潟県県民生活・環境部 環境対策課が新たに選定した「新潟県の名水」の一つでもあります。 【おたきさま】※駐車場に設置されている案内板より 関川村と境を接する広大な山塊の幾筋もの沢の水を集め、根小屋沢[ねごやざわ]を流れ下った川が、ここで男滝と女滝の2段の大きな滝となって流れ落ちています。見えている滝は2段目の滝で、1段目の滝はこの少し上流にあります。 滝の左手前に見える小さなコンクリート製の祠が現在の多伎[たき]神社です。ご祭神は「阿多加夜努志多伎吉比売命[あたかぐぬしたぎひめのみこと]」と伝わっています。古代の人たちは、稲作の命である水が囂々と流れ落ちるこの2段の滝に神の存在を感じてお祀りし、それがやがて多伎神社というかたちに整えられたと考えられます。 桃川の人たちは、この滝と多伎神社に畏敬と親しみをこめて、この場所をいつからか「おたきさま」と呼び慣わしてきました。右側の崖には、横が約2.5m、縦と奥行が共に約2mもある大きな岩屋が穿たれています。この岩屋の中に多伎神社の祠があったという言い伝えもありますが、中世の時代に流行した山岳修験道に関係した遺跡である可能性もあります。 今の小さな祠がある場所に、明治時代まで二間四方の社殿が建っていたという言い伝えがあります。この言い伝えを裏付けるように、その社殿が鳥居に掲げられていたと考えられる明治2(1869)年作の立派な多伎神社額が現存しています。 江戸時代に、延喜式内社桃川神社に神主として代々奉仕した佐藤辰左衛門[さとう-たつざえもん]家に伝わった文書には、「(桃川神社と多伎神社は)二神共ニ延喜式之霊跡[えんぎしきのれいあと]也」、「桃川神社 多伎神社、延喜式内旧社[えんぎしきないきゅうしゃ]」などと記されています。このことは、平安時代の延長5(927)年に編纂された『延喜式神名帳[えんぎしきじんみょうちょう]』に記載される「磐船郡八座[いわふねぐんはちざ]」の「多伎神社」は、この「おたきさま」の多伎神社であるという伝承や確信が、古くから桃川にあったことを物語っています。(平成28年8月 桃川区)

飯野山 龍皐院[いいのさん-りゅうこういん]

創立は文安3(1446)年(室町時代中期・室町幕府八代将軍 足利義政の時代)。後に、耕雲寺5世に晋住される徳嶽宗欽[とくがくそうきん]大和尚が草庵を結び、九皐庵と称して山居されたことがはじまりである。 開山没後、新発田の宝積寺[ほうしゃくじ]より、法孫の瑚珊文愛[こさんぶんあい]和尚が来て、山号を飯野山と定め、寺号を龍皐院と改めて中興し、今日に至っている。 現在の本堂・庫裏は平成2(1990)年に、山門は平成9(1997)年に改築されたものである。 山門前には、享保2(1717)年造立の地蔵菩薩立像がある。その近くには、三ツノ山(江戸時代の力士)の墓碑がある。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

漆山神社

旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)

村上大祭で引き回される「おしゃぎり」と呼ばれる山車を常時4台(うち1台は展示用)展示していることから「おしゃぎり会館」と呼ばれています。2階展示場には、村上藩歴代城主の資料や刀剣・甲冑などの歴史資料の展示を行っています。毎年3月には「城下町村上に伝わるひな人形展」を開催しています。 ※7/5~8は村上大祭の屋台巡行および準備のため、おしゃぎりは展示されていません

はんにむ小路

現在の北線道路北側、久保多町(くぼたまち)から片町に入る辺りから山辺里川(さべりがわ)(門前川)の堤防に通ずる小路は市道半右ェ門線であるが、小路の入り口に半右ェ門という人の家があったことから、「半右ェ門」が「はんにむ」となり、通称になったと伝えられる。 この山辺里川の河原には、罪人の打ち首を行う首切場があった。現在、この場所には供養塔が建てられている。脇にある地蔵様は「首切り地蔵」とも呼ばれる。刑を言い渡された罪人は、庄内町にあった牢屋から、市中引き回しの上、ここで刑が執行された。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

普門山 東林寺

創立は明暦元(1655)年3月、開山は泉梁[せんりょう]和尚で満福寺の末寺です。その以前は、妙心庵[みょうしんあん]と称した庵寺であったといわれています。 その妙心庵に隠居生活をしていたのが、村上茶の元祖といわれている徳光屋覚左衛門(本名:土田)夫妻です。そのため境内には、夫妻の墓碑と頌徳[しょうとく]碑が建立されています。 また、寺内には夫妻の肖像画もあります。覚左衛門の没年は寛永11(1634)年6月26日。頌徳碑の建立は大正11(1922)年で当時の住持・竹内越岸[えつがん]の発起によります。

万年山 長楽寺

創立は天文9(1540)年、開基は本庄越前守繁長(ほんじょう えちぜんのかみ しげなが)、開山は 耕雲寺11世 三心宗尹(さんしんそうい)禅師。 はじめは里本庄にあり、本庄氏に従うかたちで村上に移った。本庄氏が村上を去るのは天正18(1590)年末、福島城主になるのが慶長5(1600)年。その時、同寺は福島へも建立された。福島長楽寺の開山は、宗尹の師の大沖元甫(だいちゅうげんぽ)である。 江戸時代中期には、城主・榊原氏や本多氏などの家中寺として遇されたか、両家の重臣らが菩提寺にしている。参道入口には九品仏の上品下生仏、境内には三十三番観音を祭る。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

村上歴史文化館

外観は、村上市堀片にあった明治時代後期の擬洋風病院建築物を参考として設計されています。内部展示場には、文部省唱歌「汽車」の作曲者・大和田愛羅ゆかりのピアノ「キャロル・オットー」や旧磐舟文華博物館所蔵の民俗資料などの展示を行っています。 ※「キャロル・オットー」は現存数の少ないドイツ製ピアノです

九品仏 下品下生 上片町地蔵堂境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

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