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山上染物店

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北限の茶染 タオルハンカチ

切り絵はがき

百六十余年の時を経て、すすけて黒くなった壁や黒光りした太い梁。まるで江戸時代にタイムスリップしたような茶の間をご覧ください

おあつらえで手拭いや法被を承ります。 
村上の町屋の見学ができます。
村上茶で染めた商品をどうぞ!!
おすすめ! 【茶染め体験ができます】
料金/ハンカチ …1枚1,600円、コースター …1枚600円
所要時間/ハンカチ …約1時間30分、コースター …約30分
予約/体験希望日の一週間前までに要予約
最少催行/ハンカチ …5枚以上から、コースター …1枚から
実施期間/通年
住所 村上市肴町2-17
電話番号 0254-52-3570 0254-52-3570
FAX 0254-52-7308
メールアドレス info@yamagami-some.com
URL http://www.yamagami-some.com
営業時間 9:00~17:00
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約7分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約15分
駐車場(台数) 2台
料金 北限の茶染はんかち(1,620円・税込)、北限の茶染ミニ額(648円・税込)他
定員 20名
定休日 不定休
カード 不可
ペット可
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関連スポット

飯野門通り

城下絵図には飯野門が描かれているが、長井町・上町(かんまち)境から飯野門に至る路を飯野門通りといった。 江戸時代を通じて、羽黒神社祭礼の屋台や神輿は、朝から飯野門前に集合し、この門から城内を巡って、片町の庚申堂桝形(ますがた)から町人町(ちょうにんまち)に出て巡行を続けた。 沿道の藤基(ふじもと)神社入り口の石積の階段は、市道 飯野門線の道路拡幅の際、いったん撤去されたが、伝説の石工集団「穴太(あのう)衆」によって積み直され、復旧したものである。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

赤坂屋小路

赤坂屋は、大町の大手門脇にあった商家・大年寄伊與部助次郎である。赤坂屋小路の由来は、この赤坂屋の敷地内に造られた私道に由来すると思われる。 文政9(1826)年の町絵図では、間口22間5尺6寸、奥行は堀まで28間5尺という広大なものであった。 酒造業を営んでいたが、持株は5本で2,120株。村上町は全部で38本、10,109株であったから、その2割を持っていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

大手通り

大町から大手門に至る路。大手門(追手門ともいう)があったことに由来する。 村上市役所の駐車場辺りにあった大手門は、城の正門である。門は枡形(ますがた)形式で、大手通りから門のところで右折して入る。 現在の道路に「食い違い」があるのは、ここが大手門であったことの名残りである。 三の丸内を「丸の内」と称し、南を羽黒門、西を飯野門・大手門、北を山辺里(さべり)門で区切る。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

筏場通り(いかだばどおり)

庄内町から泉町に至る路で「筏場(いかだば)通り」といわれていた。筏場とは、三面川上流から筏を組んで流してきた木材の陸揚げ場で、ここから材木屋や木羽(こば)屋に運ばれた。 文政3(1820)年の『塩町軒付帳』には、木挽(こびき)9軒、木宿8軒。文久3(1861)年の『加賀町軒付帳』には、木挽11軒とある。 木挽とは、木材を製材する職人をいい、また木宿とは薪や炭を扱う薪炭(しんたん)屋をいう。 以後、近年まで塩町と加賀町には材木屋や製材所が集中していた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

御蔵屋敷通り

「御蔵」とは、藩の米蔵のことである。この場所には藩の米蔵があったので、米蔵が撤去された以降も御蔵屋敷通りといわれた。 この蔵屋敷の上と下には、吉田門と小石垣門があり、両脇は堀であった。現在、堀は埋められ、土居は崩されて、当時の姿を見ることはできない。しかし、この狭い路を通ると、重要文化財 若林家住宅の裏の生け垣などがあり、武家町の小路としての雰囲気を漂わせている。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

専念小路

庄内町から杉原に至る道。沿道にある専念寺に由来する。この通りには、善龍寺と専念寺が並んでいる。善龍寺は浄土真宗で寛永16(1639)年創立。専念寺は浄土宗鎮西派で元和7(1621)年創立。 専念寺には「千体仏」と呼ばれる千体のお地蔵様がある。二度の火災で焼失したが、明治29(1896)年から3年かけて復興した。本堂には地獄絵図が掛けてある。また、本堂前には九品仏(くほんぶつ)の一つである阿弥陀如来の石像がある。元は同町内の養楽院にあった。この小路が専念小路と呼ばれるようになったのも、それだけ参詣人が多かったのであろう。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

地蔵様小路

久保多町(くぼたまち)の通りから北に入る小路で、久保多町の地蔵様に通ずる小路を称す。さらに、この小路を左に曲がると秋葉神社に至る。 江戸時代頃の城下絵図には、現在の道筋に加え、地蔵様から右にも小路が続き、片町の「はんにむ小路」に通じていた。元禄時代、榊原氏の頃の城下絵図では、この小路の北側(川寄り)には下級武士の組屋敷があったため、小路としては比較的長い道筋となっている。 市道路線名は「萱場(かやば)線」で、萱場があった。地蔵様は萱場地蔵と呼ばれる。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

はんにむ小路

現在の北線道路北側、久保多町(くぼたまち)から片町に入る辺りから山辺里川(さべりがわ)(門前川)の堤防に通ずる小路は市道半右ェ門線であるが、小路の入り口に半右ェ門という人の家があったことから、「半右ェ門」が「はんにむ」となり、通称になったと伝えられる。 この山辺里川の河原には、罪人の打ち首を行う首切場があった。現在、この場所には供養塔が建てられている。脇にある地蔵様は「首切り地蔵」とも呼ばれる。刑を言い渡された罪人は、庄内町にあった牢屋から、市中引き回しの上、ここで刑が執行された。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

万年山 長楽寺

創立は天文9(1540)年、開基は本庄越前守繁長(ほんじょう えちぜんのかみ しげなが)、開山は 耕雲寺11世 三心宗尹(さんしんそうい)禅師。 はじめは里本庄にあり、本庄氏に従うかたちで村上に移った。本庄氏が村上を去るのは天正18(1590)年末、福島城主になるのが慶長5(1600)年。その時、同寺は福島へも建立された。福島長楽寺の開山は、宗尹の師の大沖元甫(だいちゅうげんぽ)である。 江戸時代中期には、城主・榊原氏や本多氏などの家中寺として遇されたか、両家の重臣らが菩提寺にしている。参道入口には九品仏の上品下生仏、境内には三十三番観音を祭る。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

飯野山 龍皐院(いいのさん りゅうこういん)

創立は文安3(1446)年(室町時代中期・室町幕府八代将軍 足利義政の時代)。後に、耕雲寺5世に晋住される徳嶽宗欽(とくがくそうきん)大和尚が草庵を結び、九皐庵と称して山居されたことがはじまりである。 開山没後、新発田の宝積寺(ほうしゃくじ)より、法孫の瑚珊文愛(こさんぶんあい)和尚が来て、山号を飯野山と定め、寺号を龍皐院と改めて中興し、今日に至っている。 現在の本堂・庫裏は平成2(1990)年に、山門は平成9(1997)年に改築されたものである。 山門前には、享保2(1717)年造立の地蔵菩薩立像がある。その近くには、三ツノ山(江戸時代の力士)の墓碑がある。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

體真山 満福寺(たいしんざん まんぷくじ)

創立は慶長元(1596)年、開山は耕雲寺14世 剛安寿金禅師(ごうあんじゅきんぜんじ)。宝永2(1705)年での山号は村上山とある。後に慈海山(じかいさん)と改め、さらに體真山(たいしんざん)と改めた。 山号を改めた理由は不明であるが、村上山の山号は地名によることは明らか。文書上の村上の初出は永正6(1509)年9月11日である。 文化2(1805)年に建て替えられた時の費用は、90両3分2朱と銭1035貫730文。全て銭にすると、1651貫862文であった。当時の大工日当は150文、米1俵が1貫650文の時代である。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

海巗山 諸上寺(かいがんざん しょじょうじ)

寺伝によれば、大化年間(645~49)には感應寺(かんおうじ)という天台宗(真言宗とも)の寺で、石船神社の別当であった。その後、一時期廃絶したが、文明7(1475)年3月に耕雲寺5世の徳嶽宗欽(とくがくそうきん)大和尚によって再興されるが、再び荒廃する。天正元(1573)年5月にいたり、村上領主・本庄繁長(ほんじょう しげなが)侯が巖室文松(がんしつぶんしょう)大和尚を招いて開山とし、寺号を諸上寺と定めた。 開基は村上領主・堀直竒(なおより)侯で、寺領地も堀家の寄進によるものであった。躑躅(つつじ)の咲く庭園は見事なもので、虚空蔵(こくぞう)堂が建つ。裏山には三十三番の観世音菩薩が祀られている。現在の本堂は天保元(1830)年に再興されたもの。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

稲荷山(番所山)

江戸時代、塩谷は村上城下と北国街道を結ぶ重要拠点であり、村上藩はこの山に番所を置いて、人や物の出入りを監視していました。そのため、番所山(ばんしょやま)と呼ばれていましたが、明治になり、廃藩とともに番所も廃されました。その後、お稲荷さんが祭られていることから「稲荷山」と呼ばれるようになりました。 山頂には三等三角点があり、国土地理院の2万5千分の1電子地形図にも「稲荷山」として掲載されており、新潟県で一番低い(標高15.3メートル)山です。37段の階段を上った山頂の展望台からは、塩谷のまち並みや日本海に浮かぶ粟島や佐渡、南西には弥彦山、角田山が海に浮かぶ島のように見えます。

旧マルマス醬油蔵(旧野澤豊五郎醸造醬油蔵)

明治初期からしょうゆの醸造を手掛けていましたが、平成15(2003)年に廃業。百数十年の歴史に幕を降ろしました。 現在は、蔵の大空間を利用した多目的ステージやカフェスペースとして利用されており、イベント時などに開放しています。また、平成27(2015)年7月には、映画『殿、利息でござる!』の撮影が行われました。 平成28(2016)年8月1日、塩谷集落内の野澤食品工業店舗兼主屋・野澤三次郎住宅・瀬賀惣一郎商店兼主屋と倉庫とともに国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。

大須戸能

大須戸能は、伝えによれば弘化元(1844)年の冬、庄内黒川の能役者・蛸井甚助が大須戸に逗留した際、村人が指導を受けたとされ、嘉永5(1852)年の記録には「古来の能装束が欠損して役に立たなくなったので奉納を願う」と記されています。 現在は、毎年4月3日に大須戸・八坂神社能舞台で行われる定期能と、8月15日に朝日みどりの里 日本庭園特設会場で行われる薪能で鑑賞することができます。 【開催日】 定期能/毎年4月3日(村上市大須戸 八坂神社) 薪能/毎年8月15日(朝日みどりの里 日本庭園特設会場)※雨天時は会場を変更します

牢屋小路

牢屋小路という名前の通り、かつては牢屋があった。現在は加賀町まで通り抜けられるが、当時はできなかった。 牢屋は武家地にあることから藩が直接管理していた。榊原氏当時もここは牢屋であった。牢屋の先に「川原作事」とあり、人足寄場(にんそくよせば)のようなものがあったのではないかと思われる。 明治維新時代の村上絵図では、加賀町との間には堀があるが、現在は清水川であり、橋が架かっていて、かつては「なみだ橋」または「見返り橋」と呼ばれていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より 榊原候時代の村上城下絵図をひろげると、庄内町から加賀町の方にぬける路のところに「御材木蔵」とあり、その横の小路を入った奥に「籠屋」と書かれています。これは牢屋があったところです。どんな建物であったのかは資料が残っていないのでわかりませんが、テレビによく出る江戸は伝馬町の牢屋を小さくしたようなものだったのでしょうか。 鈴木鉀三 著『村上市歴史散歩』より抜粋

三の丸記念館

三の丸記念館は、明治40(1907)年に村上銀行本店として建築されたものです。村上銀行は、明治11(1878)年に国立銀行として誕生した「村上第71国立銀行」の業務を引き継いだことから、鬼瓦には図案化された「七十一」の文字が刻まれています。昭和57(1982)年まで現在の第四銀行村上支店の位置で店舗として活用されていましたが、銀行の改築に伴い、明治末期の貴重な建築物の保存のため、現在の位置に曳家により移転・保存されています。現在は、集会場や作品展の展示会場として活用されています。

三面川の居繰網漁(みおもてがわのいぐりあみりょう)

三面川の鮭漁では、幅いっぱいに仕掛けられた柵(ウライ)の下流で、「居繰網漁」と呼ばれる伝統漁法が行われます。これは、三艘の川舟を川の流れに乗せてひし形に広げながら使い、一艘に漁師が二人ずつ乗り、先行する一艘は網に鮭を追い、後方二艘の前方(下流側)の一人は櫂で舟を操り、後方(上流側)の漁師は水中におろしたサイ縄を握り、川を上って来る鮭が網にかかると、舷を叩き呼吸を合わせて鮭を捕るという漁法です。

黒塀通り(安善小路)

城下町の風情が漂う、黒塀が続く小路です。 重要文化財の寺院なども近くにあり、歴史と趣が感じられます。 ゆっくり歩いてお楽しみください。 【安善小路について】 小町(こまち)から寺町へ抜ける小路。ここは古くから安善小路(あんぜんこうじ)と呼ばれていた。 安善寺に由来する。安善寺は浄土真宗大谷派。明暦元(1655)年創立。安善寺の寺伝によると、この土地は榊原公から拝領したものとある。 その榊原氏が城主の頃の『元禄村上城下絵図』には、安善寺と小路が描かれている。現在、黒塀小路(または黒塀通り)と呼ばれることもあるが、これは景観整備で黒塀を設置したもので当時はない。また、小町側の村上信金金庫 本店辺りは堀氏時代の絵図には「馬ヤ町」の記載があり、「お馬や小路」と呼ばれていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

孫惣刃物鍛冶

かつて、40軒を超す鍛冶屋が軒を連ねていた村上市鍛冶町。昔ながらの仕事場を残し、現存する建物が最後の一軒となったため、街角博物館として再生されました。 中では、かつて使われていた鍛冶道具などを展示公開。「町屋の人形さま巡り」や「町屋の屏風まつり」などのイベントでは、仕事場奥の茶の間に、かわいらしい人形や屏風なども飾られます。

如意山 十輪寺

創立は不詳。参道には九品仏の一つ、中品下生仏と閻魔堂があり、十輪寺のご本尊・地蔵菩薩は「火消し地蔵」と呼ばれて地域の守り神として親しまれています。 毎月23・24日には、厄払い・開運の「護摩祈祷」を行っています。また、3~10月の第4日曜日には、大町通りにて「十輪寺えんま堂の骨董市」が催され、多くの人出でにぎわいます。

車屋の看板

一桁の電話番号が書かれた看板は、明治43(1910)年のもの。また、屋号が刻印された特注の屋根瓦も見ものです。目を凝らして探してみてください。 ※個人宅の看板なのでマナーを守ってご覧ください

庚申堂

創建は天文9(1540)年。行海上人が摂津国(大阪)から勧請し、安良町に祭ったといわれています。寛文7(1667)年に現地へ移りますが、それは現地が村上城下の中心「札の辻」(大町・上町・安良町の接点)からみて表鬼門に当たるため、城下の鬼門封じのためだったといわれています。

常照山法善院 光徳寺

創立は正保元(1644)年、内藤家三代・信照侯が棚倉(福島県)で開基し、源蔵和尚が開山しました。山号の常照山は、源蔵が内藤家始祖の信成(のぶなり)侯とともに伊豆国(静岡県)韮山(にらやま)へ移った時に常照寺を建立したことによります。法善の院号は信成侯の諡(おくりな)、光徳は内藤家二代・信正侯の諡です。 三の丸にあるこの寺は、古くから代々の城主の菩提寺となりました。寺域は城内の一郭として、国重要史跡に指定されています。 本堂内部には、歴代内藤家当主の位牌とともに、血縁関係があった徳川将軍家の位牌13柱が安置されています。

村上市コミュニティデイホーム

約100年近くにわたって少しずつ手を加えられながら大切に守られてきており、黒く光る梁や柱に時を経たこの家の歴史が感じられます。皆様が交流しながら、集える施設を目指しています。

大葉山 普済寺

庭園公開期間あり(春・秋)、またご連絡いただければ随時公開いたします。 講演会・お茶会・田舎(のお寺)に泊ろう! コンサート等、イベント開催いたします。

大川のコド漁

山北地区の勝木川や大川にも晩秋~初冬にかけ、たくさんの鮭が群れをなして帰ってきます。 なかでも、大川は昔から鮭漁が盛んに行われ、毎年鮭漁の時期を迎えると、鮭が帰ってくるのを心待ちにしていた漁師たちで川原もにぎわい、活気づきます。大川の鮭漁は、古くから伝えられている「コド漁」という漁法で行われており、この漁法は、全国的にも他に類を見ない大川独特のものです。 漁の最盛期は9~12月中旬で、時期になると大川の河口付近はコドで埋め尽くされます。

大葉澤城跡

現在の大場沢集落のすぐ南側に位置し、東側山地から西側平地へ突き出るような小高い丘陵を利用した山城で、戦国時代に活躍した鮎川氏の本城と伝えられています。東西700m・南北200mの大要害で、敵の侵入を阻止するために人工的に施した地形が今も残っています。

一宮 河内神社

仁平元(1151)年に石黒総介正盛がこの地に一ノ宮河内大明神を建てたのが起こりといわれ、後白河天皇の第三皇子・頼威親王(雲上佐市郎)を祭ったものと伝えられています。承久の乱による地方の争いを背景とした歴代譜を持つ社です。

浄念寺

文化15(1818)年に建てられた本堂は、この地方では珍しい白壁土蔵造で、日本で一番大きなこともあり、平成3(1991)年に国の重要文化財に指定されています。 建築については、防火を考えて大壁の土蔵造りとし、屋根はこけら葺きにしました。丈六の阿弥陀如来像を安置するため、棟木の高さが35尺にもなり、それにふさわしく梁間9間・桁間11間、二階部分もそれぞれ6間・9間という大きさになりました。 本尊は丈六(5m)の阿弥陀如来の座像(木像)で、この地方には類のない大きさで見事なものです。なお、本堂は間部詮房の百回忌に合わせて江戸で設計され、村上の大工の手で建築されたものです。 また、芭蕉と曽良が参詣したことでも知られています。

狭の渡正跡(せばのわたしせいせき)

旧貝附村国道筋に建てられた石碑。「越後なる せばの渡しの 朝嵐 昨日も吹いて 今日も吹くなり」という古歌が刻まれています。碑が建てられている付近は景色が良く、古歌に詠まれた景勝地として有名です。

日本玩具歴史館

日本全国の玩具約3万点を収蔵し、展示しています。 玩具を通して、そこに語り伝えられる郷土の歴史や文化に触れてみませんか。

三面民家またぎの家

奥三面地区の民家を移築し、文化遺産として後世に伝えるもので、各種イベントなどに利用できます。 約150年前の建物で豪雪にも耐えてきました。週末にはイベントも開催しています。

出羽街道(小俣~大沢)

村上市山北地区の山間を18kmにわたり横断している、かつては松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で越後入りした街道。芭蕉は1689年8月12日に中村(現:北中集落)に宿をとったといわれています。緑豊かな自然の中に、昔あった番所や宿場の集落が現在に息づいています。北中芭蕉公園、大沢峠(石畳)、小俣集落(町並み)などが見どころです。

小俣白山神社の大杉(姥杉)

樹齢千二百年と推定される大杉で、樹種は熊杉系。根廻り13.4m・樹高39mの大きさで、県内でもまれにみる老杉です。白山姫命を祭るこの神社は、昔は小俣集落の佐藤一族の氏社でしたが、今は全集落民の氏社となっています。白山神社では、生まれた子どもが初めて氏神様と対面する時、この大杉の下で泣かせて、子の行く末を祈る風習が残っています。

筥堅八幡宮社叢

筥堅八幡宮は、延喜21(921)年に福岡筥崎宮の八霊を筥堅山に迎えて建設されました。社殿は、日本海の荒波を望む海抜約60mの北側と西側に絶壁のある岩山(筥堅山)の山頂に鎮座しています。筥堅山は、文字通り筥(箱)を積み重ねたように海岸に突き出た山容をしており、山全体が神を祭る巨大な磐境(いわさか)になっています。神の山として社叢内を保護したため、原始林相が保たれました。カヤ、アサダの大樹は県内一といわれています。

平林城跡

中世小泉庄(岩船郡全域)南部に拠った色部氏の築城。平野を望む台地端に居所兼政庁の館を構え、館跡は空壕と土塁で守られた三つの郭からなります。壮大な構えで、中世後期の豪族割拠の典型です。

耕雲寺

耕雲寺は、応永元(1394)年に傑堂能勝禅師が開かれた寺で、傑堂の師・梅山聞本禅師を開祖としています。能勝は楠正成の孫に当たるといい、正平10(1355)年に楠正儀の次男に生まれ、名は正能と伝えられています。能勝は応永34(1427)年8月7日に73歳で耕雲寺で亡くなりましたが、その間に寺を離れたことがなく、宗門の学問に打ちこまれ、立派な弟子を育てました。 耕雲寺は末寺が80、孫寺以下を合わせると800にも及ぶという曹洞宗寺院の名刹です。

石船神社(いわふねじんじゃ)

「神様が天(あま)の石船(いわふね)に乗りお出でになられた」との伝説をもつ磐舟郡総鎮守。圏域『岩船』という地名の由来となっています。創祀は大化4(648)年、磐舟柵設置以前と伝わり、御祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)。 大同2(807)年、北陸道観察使・秋篠朝臣安人が下向の際に社殿を建立。越後国の北の守護神として京都・貴船神社の御祭神三柱を合祀以来千二百年、「明神様」と称されて広く信仰を集めました。延喜式神名帳には越後磐船郡の筆頭に記載され、色部氏・本庄氏・歴代村上藩主等に鎮守の御社として篤い保護を受けます。明治期には越後一宮 彌彦神社に次ぐ県内最初の縣社に列しました。 【社叢】 石船神社の社叢は、天然ヤブツバキの群生地で県天然記念物(昭和33年指定)です。 【石碑・句碑】 境内には、磐船柵趾の碑と松尾芭蕉の句碑2基があります。 【石船神社と岩船大祭】 石船神社の例祭(10/18、19)が岩船大祭です。先太鼓と木遣りを先頭に、御舟屋台をはじめとした9基のしゃぎり屋台が共に御神幸します。岩船大祭と「ともやま行事」は県無形民俗文化財(昭和62年)に指定されています。

村上茶染め体験

村上の特産・村上茶を使い、自分だけのオリジナルハンカチ・コースターを作ろう! 【開催期間】 通年 【所要時間】 ●ハンカチ …約1時間30分 ●コースター …約30分 【予約について】 体験希望日の一週間前までに要予約 【最少催行】 ●ハンカチ …5枚以上から ●コースター …1枚から

鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

承安3(1173)年、塩谷字古屋敷(現在の松和町)の地に創建。慶長2(1597)年に本庄出羽守(ほんじょうでわのかみ)家長とその父・重長の病気平癒、武運長久と繁栄を祈願し、社殿を再建したと伝えられています。享保16(1731)年には境内地の狭隘化(きょうあいか)により、現在地に奉遷されました。現社殿は明治11(1878)年に再建されたもので、昭和18(1943)年に拝殿および幣殿が改築されました。 主祭神は塩土老翁命(しおつちおじのみこと)、合殿は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、水波売命(みずはのめのみこと)を祭っています。 また、塩谷では「亀」を氏神の使いであるとして、とても大切にしています。亀をモチーフにしたおもちゃやお菓子などは、境内の池に納める習わしがあるといわれています。

伊夜日子神社(いやひこじんじゃ)

瀬波温泉の噴湯公園(明治37年に温泉が噴出した温泉源泉井戸がある公園)の脇に立つ神社で、瀬波の龍神を祭っています。本殿から、さらに石段を上っていくと奥の院があり、そこからは瀬波の温泉街や日本海が一望できます。

藤基神社

藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造り。嘉永2(1849)年に当時の工匠がその技を結集し、8年の歳月を費やして造り上げたものです。村上が生んだ工匠・有磯周斎(ありいそしゅうさい)による、かご彫りと呼ばれる彫刻の傑作を各所に残しています。 ご祭神は、徳川家康侯の異母弟に当たり、徳川家十七士の一人でもある村上藩の藩祖・内藤信成(のぶなり)侯、十代目の信敦(のぶあつ)侯、十一代目の信思(のぶもと)侯を祭っています。 八幡大神(やわたのおおかみ)、誉田大神(ほんだのおおかみ)、火帯姫大神(ほたらしひめのおおかみ)、稲荷大神(いなりのおおかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、秋葉大神(あきばのおおかみ)、火産霊神(ほむすひのかみ)、学問の神である菅原道真公を祭っています。

早撰堂

江戸時代から続く、国の登録有形文化財に指定された大正ロマンあふれる和菓子店。建物は明治26年建築、平成16年に町屋再生プロジェクト第1号として外観を大正時代風に改装しました。箱階段に組み込まれた金庫の重厚さが目を引きます。

大満虚空蔵尊

ご本尊「虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)」は、智恵・福徳をお授けする仏で、丑寅年生まれの守り本尊です。 毎年春(4月13日)、秋(10月23日)の大祭があり、大護摩祈祷を厳修。厄除け、病気平癒、車のお祓い等、各種ご祈祷は随時承ります。(ご祈祷は事前にお電話ください)

小俣宿

かつて日本の主要道であった出羽街道の宿場町として、出羽三山への参拝者など多くの人々が訪れました。明治維新では戊辰戦争の戦場となり、集落のほとんどが焼き払われましたが、その跡に再建された家々が現在も残っており、この貴重な小俣集落の町並みをつくっています。心のふるさとを感じさせてくれる趣があります。

漆山神社

旧朝日村の蒲萄峠に鎮座する漆山神社は、「延喜式」所載の「漆山神社」のことです。地元では「矢葺(やぶき)明神」と呼ばれています。 鎮座地は、国道7号線の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入った所にあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

ゴールドパーク鳴海(鳴海金山)

慶長年間には、全国の産金量の3分の1を産出したといわれている鳴海金山跡(黄金坑・大切坑)は、当時のタヌキ掘り(手掘り)の跡と荒々しい岩肌が残されたままになっています。千二百年の時を越え、現代によみがえった鳴海金山の姿をご覧ください。 【ご注意ください】 ●ゴールドパーク鳴海までの道程(朝日スーパーライン または 高根集落~林道平床線)は、道路状況により閉鎖・通行止めになる場合があります。お出掛けになる前に、朝日支所 産業建設課 または ホームページ等でご確認ください。 ●受付から金山までは15~20分程度、山道を歩きます。 ヒール等の歩きにくい靴での来場はご遠慮ください。※坑道内は水たまりの個所もあります

多伎神社(多岐神社)

この神社には、義経が奥州へ逃れる途中、供の弁慶が社の前の岩の上に立ち、日本海を眺めて「さても麗わしき景色かな」と嘆賞したという伝説があります。

一ツ橋陣屋跡の碑

幕末期の40年間、徳川御三卿の一つであった一橋家の陣屋跡。明治以降は跡地に旧金屋村役場が建てられました。現在では碑が置かれ、見事な枝ぶりの老松が当時の面影をしのばせます。

村上歴史文化館

外観は、村上市堀片にあった明治時代後期の擬洋風病院建築物を参考として設計されています。 内部展示場には、文部省唱歌「汽車」の作曲者・大和田愛羅ゆかりのピアノ「キャロル・オットー」や旧磐舟文華博物館所蔵の民俗資料などの展示を行っています。

重要文化財 若林家住宅

二百数十年前に建設され、その後、復原された若林家住宅。 若林氏は、村上藩で物頭(ものがしら)役150石で中級上位の家柄に属します。曲屋(まがりや)づくりの茅葺平屋建で、部屋割りも細かく、典型的な中級武家住宅の特色を伝えていることから重要文化財に指定されました。

まいづる公園

園内には、雅子妃殿下のご祖母・静様の父方の実家にあたる武家住宅・旧嵩岡家住宅の他、旧岩間家住宅、旧藤井家住宅の3棟の武家屋敷が一般公開されています。

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)

村上大祭で引き回される、「おしゃぎり」と呼ばれる山車を常時3台展示していることから「おしゃぎり会館」と呼ばれています。2階展示場には、村上藩歴代城主の資料や刀剣・甲冑などの歴史資料の展示を行っています。毎年3月には「城下町村上に伝わるひな人形展」を開催しています。

縄文の里・朝日

奥三面ダム建設によって水没した、山間奥地・三面集落で使われていた民俗資料や考古資料(旧石器時代~縄文時代)を展示。まが玉・石器・土器づくりや火おこしの体験ができます。併設の食堂「食事処 やまびこ」では、地元農産物を使った料理と手打ちそばが人気です(団体のお客様、平日ご希望の場合はご相談ください)

イヨボヤ会館

「イヨボヤ」とは、村上地方の方言でサケ(鮭)のこと。館内では、サケをはじめ、様々な淡水魚等を観察できます。サケ漁法に使われる漁具の展示、コンピューターゲームで楽しくサケのことが学べる「こどもサケ科学館」等、サケの生態や村上の鮭文化を知ることができます。また、三面川の分流・種川の中をガラス越しに観察でき、自然の川の様子や秋には遡上するサケをご覧になれます。タイミングが合えば、産卵の瞬間に出合えることも!

野澤食品工業

事前に連絡をもらいましたら、塩谷の町屋をご案内いたします。 【野澤食品工業 店舗兼主屋が国の登録有形文化財(建造物)に登録されました】 平成28(2016)年8月1日、旧マルマス醬油蔵・野澤三次郎住宅・瀬賀惣一郎商店兼主屋と倉庫とともに国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。

観音寺

真言宗のお寺で、寺伝では元海上人が開かれたといわれています。わが国最後といわれる仏海上人の即身仏(明治36年入寂)の御姿が奉安されています。 【仏海上人】 文政11(1828)年5月9日、村上市安良町の近藤家の長男として生まれ、18歳で湯殿山 注連寺に入門し、本明寺でも修行。その間、15年にわたって仙人沢で荒行を重ね、伊豆・天城山や酒田の海向寺でも修行を行いました。35歳の時、五穀絶ちの木食行をはじめ、慶応3(1867)年に37歳で本明寺の住職となり、明治7(1874)年に村上の観音寺に戻ります。明治21(1888)年5月、注連寺が全焼したため、注連寺の住職となって寺を復興。再び故郷へ戻り、明治36(1903)年に76歳で入定しました。41年にわたる苦行を成し得た、日本最後の即身仏です。

西奈彌羽黒神社(せなみはぐろじんじゃ)

一般的には略して羽黒神社と呼んでいます。祭神は奈津比売命(なつめのみこと)・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)・月読命(つきよみのみこと)です。 寛永10(1633)年、時の村上藩主・堀丹後守直竒が神社を上(城)から見下ろすのは畏れ多いとして現在の地に遷宮しました。この遷宮祭が行われたのが6月7日で、新暦になってからは7月7日に大祭が行われています。 元禄3(1690)年に村上藩主・榊原勝乗が建立した社殿(神明宮)は、昭和44(1969)年に新潟県有形文化財に指定されています。

村上城跡

村上城は、標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11(1568)年の上杉謙信との篭城戦(ろうじょうせん)など、幾度も戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後(きたえちご)の中心拠点として整備されました。 山頂までの道は整備され、約20分ほどで登ることができます。村上のシンボルとして近隣住民はもちろん、観光客もたくさん訪れる名所です。

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マップを掲載しました

城下町村上 寺社の由来

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十方山 本門寺

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

朝日山(ちょうじつざん) 醫泉寺(いせんじ)

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

大葉山 普済寺(ふさいじ)

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

霊樹山 耕雲寺

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

館廣山(かんこうざん) 常榮寺

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

白龍山 潜龍寺

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

月海山 養福寺

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

多伎(岐)神社(たきじんじゃ)

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

西奈彌神社(せなみじんじゃ)

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

太平山(たいへいざん) 善福寺(ぜんぷくじ)

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

遍照山(へんしょうざん) 光浄寺(こうじょうじ)

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

鹽竈神社(しおがまじんじゃ)

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

色部山 善行寺

城下町村上 寺社の由来

2012/03/04

和泉山(いずみさん) 不動院

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2012/03/04

安養山 弘願寺(ぐがんじ)

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瀬崎山法持院 最明寺

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磐舟郡総鎮守 石船神社(いわふねじんじゃ) 明神様

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海巗山(かいがんざん) 諸上寺

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海岸山 本證寺

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飯野山(いいのさん) 龍皐院(りゅうこういん)

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万年山 長楽寺

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體真山(たいしんざん) 満福寺

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普門山(ふもんざん) 東林寺(とうりんじ)

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傳忠山 行恩寺(ぎょうおんじ)

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聴松山(ちょうしょうざん) 浄国寺

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日光山 善澤寺(ぜんたくじ)

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神明宮

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真寳山 常福寺

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迎接山(ごうしょうざん) 宝光寺

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常照山法善院(じょうしょうざんほうぜんいん) 光徳寺(こうとくじ)

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藤基神社(ふじもとじんじゃ)

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津波倉山(つばくらざん) 本悟寺

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六角山 等覺寺

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如意山(にょいざん) 十輪寺(じゅうりんじ)

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笠原山 善行寺

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虎丸山 光濟寺

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真光山(しんこうざん) 経王寺(きょうおうじ)

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遠壽山 長法寺

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信飯山 西真寺

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三藤山 安善寺

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