江戸時代の村上藩は、藩主が目まぐるしく代わり、9家・21人の藩主が当地を治めました。
享保5(1720)年~明治4(1871)年までの151年間は内藤家の9人の藩主が治めました。時代が江戸から明治へと向かう中、内藤家藩主8人目・内藤信民[のぶたみ]が自害したため、養父であり先代藩主であった藤翁(内藤信親)は、内藤家存続のため、再び養子を迎えることになります。
「江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~」は、2023年11月3日~12月3日まで、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で開催された同名の展示を、おしゃぎり会館監修のもと、当サイト用に編集したものです。
おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
https://www.sake3.com/spot/179
内藤信美【内藤豊前守信美】
ないとう のぶよし
信民没後、官軍に抗った罪で謹慎中の藤翁(内藤信思)*は、家名相続のため、遠縁にあたる和泉国岸和田藩主・岡部長寛[おかべながひろ]の子、長美[ながとみ](のちの信美)を養子に迎えた。
*内藤信親のこと
内藤信美は安政4(1857)年生まれ。内藤家と岡部家の関わりは、内藤家4代の信良*[のぶよし]の長女が岡部家へ嫁いでいるという古いつながり。
*陸奥国板倉藩主で内藤弌信[かずのぶ]の養父
⑬内藤弌信
https://www.sake3.com/jyoukamachi/163
信美は養子に迎えられたのち、明治2(1869)年に家督相続が許され、従五位下・豊前守に任ぜられる。その年の6月、版籍を奉還し、改めて村上藩知事となった。
明治3(1870)年には、三条陣屋間管内の村々は村上藩領から離れ、代わって岩船郡内の139カ村が編入された。明治4(1871)年の廃藩置県により、村上藩は廃止されて村上県となり、信美は官を解かれた。