江戸時代の村上藩は、藩主が目まぐるしく代わり、9家・21人の藩主が当地を治めました。
これまでに、村上家(頼勝・忠勝)、堀家(直竒・直定)、本多家(忠義)、松平家(直矩)、榊原家(政倫・勝乗)と5家・8人の藩主が村上藩を治めてきましたが、ここでまた姫路の本多家が村上へ転封となり、宝永元(1704)年~同7(1710)年の6年間を治めることになります。
「江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~」は、2023年11月3日~12月3日まで、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で開催された同名の展示を、おしゃぎり会館監修のもと、当サイト用に編集したものです。
おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
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本多忠孝【本多吉十郎忠孝】
ほんだ ただたか
本多忠孝は、元禄11(1698)年に姫路城主・本多忠国[ただくに]の三男として生まれる。兄がいずれも早世し、父・忠国が宝永元(1704)年に亡くなると、当時7歳の忠孝が遺領を相続することになったが、本領のまま村上城へ移された。
理由は、松平直矩[まつだいらなおのり]や榊原政倫[さかきばらまさみち]と同じく、若い忠孝を西国の要衝である姫路には置けないという幕府の考えによるもので、姫路と村上は3代続いて同じ理由での転入封となった。
⑥松平直矩
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⑦榊原政倫
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本多忠孝の祖は、本多忠義[ただよし]と同じく徳川四天王の一人、本多忠勝[ただかつ]で、忠勝の次男・政朝[まさとも]の5代目となる。しかし、忠孝は宝永6(1709)年、村上の地を一度も踏むことなく12歳の若さで江戸で病没した。
⑤本多忠義
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