江戸時代の村上藩は、藩主が目まぐるしく代わり、9家・21人の藩主が当地を治めました。
元和4(1618)年に堀直竒[なおより]が村上藩へ入り、寛永19(1642)年までの24年間は堀家が村上藩を治めます。寛永16(1639)年に直竒が没すると、その孫である堀千助(直定)が家督を継ぎました。
「江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~」は、2023年11月3日~12月3日まで、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で開催された同名の展示を、おしゃぎり会館監修のもと、当サイト用に編集したものです。
おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
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堀直定【堀千助直定】
ほり なおさだ
堀直竒の子・直次[なおつぐ]は、寛永15(1638)年に父に先立ち25歳で没した。翌16年に直竒が63歳で没したことから、家督は直竒の孫にあたる千助(のちに直定)が4歳で継ぐことになった。
当時、直竒は将軍の脇備え*を務めており、幕府に軍役維持のための加増を願い出ていたことから、直定に10万石を、直竒の弟・直重[なおしげ]に3万石が与えられた。
*陣立てで、本陣の左右に付く部隊のこと
幼少で後を継いだ直定であったが、寛永19(1642)年にわずか7歳で病死。嗣子のない堀家は断絶することとなった*。3万石をたまわった直重は、のちに村松(現五泉市)に移り、その子孫は幕末まで村松藩主を務めている。
*寛永19(1642)年~正保元(1644)年の2年間は幕府領となる