慶長8(1603)年、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府が誕生。それから慶応3(1867)年の大政奉還まで、およそ265年という長きにわたって江戸時代は続きました。この間、村上藩では目まぐるしく藩主が交代。実に9家・21人もの藩主が当地を治めました。
今回からはじまる江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~は、2023年11月3日~12月3日まで、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で開催された同名の展示を、おしゃぎり会館監修のもと、当サイト用に編集したものです。今回を含め全22回(予定)で紹介しています。
おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
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さて、本編をはじめる前に江戸時代より昔、中世後期の村上(村上城)について紹介します。
下渡大橋から見た臥牛山(右側山頂が天守跡)
標高135メートルの独立峰・臥牛山[がぎゅうさん](通称:お城山)に築かれた村上城。築城年代は不明ですが、16世紀前期には存在したといわれています。当時は石垣ではなく、木柵で囲まれた中世的な城郭だったようです。
村上城跡
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村上城跡 登城レポート
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MURAKAMI@ctivity(2022.10.25公開)より
長楽寺(福島市)に安置されている本庄繁長の木像
画像提供:おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
築城主は、当地の地頭職にあった本庄[ほんじょう]氏。本庄繁長[しげなが]が治めていた時代に最も勢力を伸ばし、永禄11~12(1568~69)年にはこの城で上杉輝虎(謙信)と籠城戦*1を繰り広げました。臥牛山東側の虎口*2や竪堀*3、腰曲輪*4などは当時に整備されたものと考えられ、それら遺構は今でも見ることができます。
*1 のちに和議が成立し、繁長が謙信に下る
*2 一度に攻め込まれないように入り口を狭く設けた場所
*3 移動を困難にするため斜面に縦に掘った堀
*4 大きな曲輪から一段下がった、通路のように設けられた広い平坦面
中世虎口桝形
画像提供:村上市教育委員会
竪堀
画像提供:村上市教育委員会
腰曲輪
画像提供:村上市教育委員会
時代が下り、豊臣~徳川政権下(江戸時代)になると、村上氏・堀氏といった大名が村上城へ入ります。彼ら江戸時代の村上藩主の手腕により、城には石垣が張り巡らされ、城下が整備され、村上城は近世城郭へと姿を変えてゆきます。
江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~本編は、次回(2/10更新予定)江戸時代最初の村上藩主・村上頼勝[よりかつ]からスタートします。