江戸時代の村上藩は、藩主が目まぐるしく代わり、9家・21人の藩主が当地を治めました。
慶安7(1667)年~宝永元(1704)年の37年間を治めた榊原家。榊原政倫は19歳で病没、急きょその跡を継ぐことになったのが虎之助(のちの勝乗)です。
「江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~」は、2023年11月3日~12月3日まで、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で開催された同名の展示を、おしゃぎり会館監修のもと、当サイト用に編集したものです。
おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
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榊原勝乗【榊原式部大輔勝乗】
さかきばら かつのり
村上城を治めていた榊原本家・榊原政倫[まさみち]が18歳で重病となり、嗣子もいなかったことから、急いで分家から養子を迎えることになった。幼名は虎之助、のちの榊原勝乗である。元禄2(1689)年に従五位下の式部大輔に叙任。名を勝乗と改め、同5(1692)年には従四位下に昇っている。
ちなみに勝乗は、元禄16(1703)年に名を政辰[まさとき]と改め、さらにのちに政邦[まさくに]と改めている。
宝永元(1704)年に姫路城主・本多忠国[ただくに]が没し、家を継いだ吉十郎は7歳であったことから村上城へ移され、代わって政辰(勝乗)は父祖の地・姫路へ戻された。
西奈彌羽黒神社の摂社・神明宮
松尾芭蕉が泊まったとされる旅籠跡(現 千年鮭きっかわ 井筒屋)に立つ看板
榊原氏の村上在城は2代で37年、禄高は15万石と村上藩の全盛時代だった。この間、貞享5(1688)年に羽黒神社の社殿が炎上、勝乗が新たに造営して元禄3(1690)年に遷宮が行われた。この時の本殿が、新潟県指定有形文化財の摂社・神明宮の社殿である。また、松尾芭蕉と曽良[そら]が『奥の細道』の行脚の途中、村上に立ち寄ったのもこの時代である。
西奈彌羽黒神社(せなみはぐろじんじゃ)
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千年鮭きっかわ 井筒屋
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政邦(勝乗)は、享保11(1726)年に52歳で江戸の邸[やしき]で没した。その後の榊原家は、政邦の孫・政岑[まさみね]が遊女の身請けの件などで寛保元(1741)年に蟄居[ちっきょ]を命ぜられると、家督を継いだ子の政永[まさなが]が越後高田城へ移され、その後は幕末まで髙田に在城している。