江戸時代の村上藩は、藩主が目まぐるしく代わり、9家・21人の藩主が当地を治めました。
享保5(1720)年~明治4(1871)年までの151年間は内藤家の9人の藩主が治めました。内藤家藩主4人目の内藤信旭[のぶあきら]が参勤交代の道中に病没。跡を継いだのは、信旭の異母弟である信凭です。
「江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~」は、2023年11月3日~12月3日まで、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で開催された同名の展示を、おしゃぎり会館監修のもと、当サイト用に編集したものです。
おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
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内藤信凭【内藤紀伊守信凭】
ないとう のぶより
内藤信凭は、寛延元(1748)年に信興[のぶおき]の第2子として生まれた。幼名は富丸。
藤基神社(村上市)所蔵の内藤信凭肖像画
画像提供:おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
藤基神社
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宝暦12(1762)年、兄・信旭が参勤交代で江戸へ向かう途中に発症し、重体となったことから、その養子となり家督を継いだ。明和元(1764)年に従五位下・紀伊守に叙任される。
安永4(1775)年には、10代将軍・徳川家治[いえはる]の日光御社参りに勤番を仰せつかったことで、領内に金1万両の御用金を課している。また、在任中は度重なる大火に見舞われ、安永7(1778)年には光徳寺の火災で寺は全焼。飛び火によって城の三重櫓・月見櫓・刎橋御門を焼失した。
常照山法善院 光徳寺
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天明元(1781)年、34歳で江戸で没す。