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城下町・村上 城下町・村上

 

新潟県の最北に位置する
村上市は城跡武家屋敷町屋寺町
城下町の四大要素が残る希少なまちです。

 

この魅力ある城下町・村上を
ちょっとひも解いてみましょう。

2025/09/01

⑳内藤信民「江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~」

 

江戸時代の村上藩は、藩主が目まぐるしく代わり、9家・21人の藩主が当地を治めました。

享保5(1720)年~明治4(1871)年までの151年間は内藤家の9人の藩主が治めました。内藤家藩主7人目・内藤信親[のぶちか]の養子になり、村上藩主となった信民。約265年も続いた江戸時代も間もなく終焉[しゅうえん]を迎えようという頃、村上藩も大きな時代のうねりに飲み込まれ、信民の人生も翻弄されます。

 

「江戸時代の村上 ~村上藩歴代藩主物語~」は、2023年11月3日~12月3日まで、おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)で開催された同名の展示を、おしゃぎり会館監修のもと、当サイト用に編集したものです。

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
https://www.sake3.com/spot/179

 


 

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内藤信民【内藤豊前守信親】
ないとう のぶたみ

内藤信民は、嘉永3(1850)年に信州岩村田藩主・内藤正縄[まさつな]の子として生まれる。幼名は松千代。11歳で先代藩主・内藤信親の養子となった。元治元(1864)年、14歳で家督を継ぐ。

 

折しも時代は、長州征伐から薩長同盟、そして尊王攘夷の風が吹き荒れ、15代将軍・徳川慶喜[よしのぶ]による大政奉還(慶応3(1867)年)、そして慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争へと進展していく。東北諸藩にも動揺が広がり、村上藩にも勅書が伝達される頃であった。

信民は、藩士の熱望もあって江戸から帰城。村上藩は奥羽列藩同盟に加わり、官軍と戦うことになった。帰藩の際、隠居した養父・藤翁(内藤信思)*から官軍への恭順を諭されていた信民は、抗戦に向かう藩内で深く思い悩み、ついに城中で命を絶った。信民19歳、若くして重大な局面を担うこととなり、さまざまな思惑の間で翻弄された生涯だった。
*内藤信親のこと

 

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おしゃぎり会館(村上市)所蔵の内藤信民の書
画像提供:おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)

信民没後の村上藩は、官軍の侵攻に合わせて老中・鳥居三十郎[とりいさんじゅうろう]が藩兵200名余を率いて庄内方面へ退き、城に火が放たれたことで城下が戦場になることはなかった。鳥居三十郎らは鼠ヶ関[ねずがせき]方面で官軍との激しい攻防戦ののち、庄内藩の降伏に続いて降伏している。

 

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