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おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)

城下町村上町屋エリア
歴史・文化
その他
車椅子利用可
多目的トイレ

施設外観

おしゃぎり展示場

村上大祭の「おしゃぎり」(山車)や傘鉾、荒馬などを展示

「城下町に伝わるひな人形展」の様子

豪華絢爛・村上大祭の「おしゃぎり」(山車)を常時展示

村上大祭で引き回される「おしゃぎり」と呼ばれる山車を常時4台(うち1台は展示用)展示していることから「おしゃぎり会館」と呼ばれています。2階展示場には、村上藩歴代城主の資料や刀剣・甲冑などの歴史資料の展示を行っています。毎年3月には「城下町村上に伝わるひな人形展」を開催しています。

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2026年7月1日(水)から、施設の入館料・開館時間・休館日が変更になります。

【入館料】
[単館]一般300円/小中高生150円 ≫ 一般450円/小中高生200円
[3館*共通券]一般500円/小中高生250円 ≫ 一般750円/小中高生350円
[4館*共通券]一般1,000円/小中高生500円 ≫ 一般1,300円/小中高生600円
*3館(おしゃぎり会館・若林家住宅・村上歴史文化館)
*4館(おしゃぎり会館・若林家住宅・村上歴史文化館・イヨボヤ会館)

【開館時間】
9:00~16:30 ≫ 9:00~16:30(1・2月10:00~16:00)

【休館日】
年末年始 ≫ 水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)

【変更に関するお問い合わせ】
TEL 0254-53-7511(村上市生涯学習課 文化行政推進室)
おすすめ! ●おしゃぎり会館・若林家住宅・村上歴史文化館 3館共通券
一般500円/小中高生250円

●上記3館+イヨボヤ会館 セット入館券
一般1,000円/小中高生500円
住所 村上市三之町7-9
電話番号 0254-52-1347 0254-52-1347
URL https://www.iwafune.ne.jp/~osyagiri/
営業時間 9:00~16:30
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約25分
駐車場(台数) 普通車30台/大型バス10台
料金 大人300円/小中高生150円
定休日 年末年始
カード 不可
外国語対応 英語
バリアフリー 車椅子利用可、多目的トイレ
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九品仏 中品下生 十輪寺境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

車屋の看板

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桃川のおたきさま

根古屋沢に形成された落差5mほどの滝で、国道290号脇の駐車場からも望むことができます。2018年に新潟県県民生活・環境部 環境対策課が新たに選定した「新潟県の名水」の一つでもあります。 【おたき さま】※駐車場に設置されている案内板より 関川村と境を接する広大な山塊の幾筋もの沢の水を集め、根小屋沢(ねごやざわ)を流れ下った川が、ここで男滝と女滝の2段の大きな滝となって流れ落ちています。見えている滝は2段目の滝で、1段目の滝はこの少し上流にあります。 滝の左手前に見える小さなコンクリート製の祠が現在の多伎(たき)神社です。ご祭神は「阿多加夜努志多伎吉比売命(あたかぐぬしたぎひめのみこと)」と伝わっています。古代の人たちは、稲作の命である水が囂々と流れ落ちるこの2段の滝に神の存在を感じてお祀りし、それがやがて多伎神社というかたちに整えられたと考えられます。 桃川の人たちは、この滝と多伎神社に畏敬と親しみをこめて、この場所をいつからか「おたきさま」と呼び慣わしてきました。右側の崖には、横が約2.5m、縦と奥行が共に約2mもある大きな岩屋が穿たれています。この岩屋の中に多伎神社の祠があったという言い伝えもありますが、中世の時代に流行した山岳修験道に関係した遺跡である可能性もあります。 今の小さな祠がある場所に、明治時代まで二間四方の社殿が建っていたという言い伝えがあります。この言い伝えを裏付けるように、その社殿が鳥居に掲げられていたと考えられる明治2(1869)年作の立派な多伎神社額が現存しています。 江戸時代に、延喜式内社桃川神社に神主として代々奉仕した佐藤辰左衛門(たつざえもん)家に伝わった文書には、「(桃川神社と多伎神社は)二神共ニ延喜式之霊跡(えんぎしきのれいあと)也」、「桃川神社 多伎神社、延喜式内旧社(えんぎしきないきゅうしゃ)」などと記されています。このことは、平安時代の延長5(927)年に編纂された『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載される「磐船郡八座(いわふねぐんはちざ)」の「多伎神社」は、この「おたきさま」の多伎神社であるという伝承や確信が、古くから桃川にあったことを物語っています。(平成28年8月 桃川区)

三の丸記念館

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普門山 東林寺

創立は明暦元(1655)年3月、開山は泉梁[せんりょう]和尚で満福寺の末寺です。その以前は、妙心庵[みょうしんあん]と称した庵寺であったといわれています。 その妙心庵に隠居生活をしていたのが、村上茶の元祖といわれている徳光屋覚左衛門(本名:土田)夫妻です。そのため境内には、夫妻の墓碑と頌徳[しょうとく]碑が建立されています。 また、寺内には夫妻の肖像画もあります。覚左衛門の没年は寛永11(1634)年6月26日。頌徳碑の建立は大正11(1922)年で当時の住持・竹内越岸[えつがん]の発起によります。

観音寺

真言宗のお寺で、開基は権大僧都宗快上人であると伝えられています。わが国最後といわれる仏海上人の即身仏(明治36年入寂)の御姿が奉安されています。 【仏海上人】 文政11(1828)年5月9日、村上市安良町の近藤家の長男として生まれ、18歳で湯殿山 注連寺に入門し、本明寺でも修行。その間、15年にわたって仙人沢で荒行を重ね、伊豆・天城山や酒田の海向寺でも修行を行いました。35歳の時、五穀絶ちの木食行をはじめ、慶応3(1867)年に37歳で本明寺の住職となり、明治7(1874)年に村上の観音寺に戻ります。明治21(1888)年5月、注連寺が全焼したため、注連寺の住職となって寺を復興。再び故郷へ戻り、明治36(1903)年に76歳で入定しました。41年にわたる苦行を成し得た、日本最後の即身仏です。

平林不動滝

国指定史跡の平林城跡のある神林地区・要害山中にある。要害山には至るところに清水が湧出しており、それらが流れ込み不動滝を形成している。滝つぼの奥には岩を削って造られた祠があり、数百年前から大日如来と不動明王の石像が童子石像とともに安置されている。 「新潟県の名水 関川村・村上市 県北名水巡りマップ」(新潟県)より抜粋 【備考】 ●不動滝登山道 駐車場(古刀比羅[金比羅]神社前)から不動滝までは徒歩で約50分です。 ●滝へと至る山道(不動滝登山道)は、ぬかるんでいたり、急な上り下りもあるので、履きなれた靴(登山靴がオススメ)でお越しください。 ●クマやヘビ、ハチといった危険動物・昆虫に十分ご注意ください。 【不動滝と目薬の由来について】 永禄の昔、色部氏第13代勝長が、上杉謙信の命により川中島合戦の出陣に際し、領内の安泰と戦勝を祈願するため、不動滝に祠を築造し、そこへ大日如来と不動明王の石像を安置されたものと推測されている。 また、天正時代、信州松本の名家・小笠原貞慶一族が、色部氏を頼って家臣となり、小笠原家伝来の軍法・兵法・馬術、さらに目薬の製法に至るまで色部氏に伝授した。 これにより、色部氏は領民のため、不動滝の真水(まみず)を用い、目薬の開発に努めたという。以来、不動滝の水滴が眼病に効能ありとして、無病息災・家内安全等のご利益を求めて、また村人たちの心の拠り所として、多くの参拝者が訪れたと伝えられている。 【お不動様の起源およびご利益】 一、家運隆盛 一、心願成就 一、徐災招福 一、身体健護 当不動堂の創建は不明であるが、江戸時代後期1813年、権三郎が再建したという文献上の記録がある。以来、村人たちは唯一信仰の場として崇拝してきた。しかし、昭和42年の羽越水害により不動堂および林道山沿い線(参道)は壊滅的被害を受けた。昔から幾多の破壊と補修の試練を乗り越え、この度ようやく参道の改修工事が完了し、不動堂の新築再建に併せ新刻された不動明王立像を奉迎安置したところである。 一方、平安時代初期806年、弘法大師空海が中国より帰朝し、日本に真言宗を開宗した。その後、大日如来を真言密教の根本尊と定めた不動明王は、大日如来の化身であり共に表裏一体の仏様であるといわれている。 なお、不動立像は怒りの相を表現し、背には激しく燃える炎を抱え、不動不変の盤石に立ち、右手には煩悩を断ち切る降魔の利剣、左手には煩悩から抜け出せない人々を救済するための縄を持つ。これは人間が持つ煩悩五欲、つまり心身を悩ます一切の欲望・悪業を追い払い、家運を転換隆盛し招福を招来する。また、あらゆる困難を克服し、勝負に勝って心願を成就する。同時に、仏の救済を必要とするすべての生命に対して慈愛の心で子孫の繁栄を守る。 これが大日如来、不動明王が説く真言密教の教理であり、ご利益の由来であると伝えられている。

常照山法善院 光徳寺

創立は正保元(1644)年、内藤家三代・信照侯が棚倉(福島県)で開基し、源蔵和尚が開山しました。山号の常照山は、源蔵が内藤家始祖の信成[のぶなり]侯とともに伊豆国(静岡県)韮山[にらやま]へ移った時に常照寺を建立したことによります。法善の院号は信成侯の諡[おくりな]、光徳は内藤家二代・信正侯の諡です。 三の丸にあるこの寺は、古くから代々の城主の菩提寺となりました。寺域は城内の一郭として、国重要史跡に指定されています。 本堂内部には、歴代内藤家当主の位牌とともに、血縁関係があった徳川将軍家の位牌13柱が安置されています。

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