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観光スポット

飯野山 龍皐院[いいのさん-りゅうこういん]

城下町村上町屋エリア
歴史・文化

曹洞宗寺院

創立は文安3(1446)年(室町時代中期・室町幕府八代将軍 足利義政の時代)。後に、耕雲寺5世に晋住される徳嶽宗欽[とくがくそうきん]大和尚が草庵を結び、九皐庵と称して山居されたことがはじまりである。

開山没後、新発田の宝積寺[ほうしゃくじ]より、法孫の瑚珊文愛[こさんぶんあい]和尚が来て、山号を飯野山と定め、寺号を龍皐院と改めて中興し、今日に至っている。

現在の本堂・庫裏は平成2(1990)年に、山門は平成9(1997)年に改築されたものである。

山門前には、享保2(1717)年造立の地蔵菩薩立像がある。その近くには、三ツノ山(江戸時代の力士)の墓碑がある。
(「城下町村上 寺社の由来」より)
住所 村上市羽黒町12-30
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約3分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約16分
駐車場(台数)
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大葉澤城跡

現在の大場沢集落のすぐ南側に位置し、東側山地から西側平地へ突き出るような小高い丘陵を利用した山城で、戦国時代に活躍した鮎川氏の本城と伝えられています。東西700m・南北200mの大要害で、敵の侵入を阻止するために人工的に施した地形が今も残っています。

石船神社[いわふね-じんじゃ]

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