臥牛山(がぎゅうさん)山頂に築かれた村上城。築城年数は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたと考えられています。
戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11(1568)年の上杉謙信との籠城戦(ろうじょうせん)など、幾度も戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって、城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後の中心拠点として整備されました。
しかし、寛文7(1667)年、藩主・榊原政倫(さかきばら まさみち)の時代に落雷により天守が焼失。その後、城の再建が行われますが、天守は再建されず、以降、村上城は天守のない城となりました。
歴史ある村上城ですが、江戸期の度重なる火災、明治期の取り壊しや払い下げなどにより建物は現存せず、城の外観を知る手がかりは城絵図しかありません。
明治元年 村上城下絵図より一部抜粋
城の詳細が残っていないことは残念ですが、現存する城跡や資料などから想像を膨らませるのもまた一興です。本丸の8メートルを超える石垣や天守台礎石跡、井戸、馬冷やし場など、往時の様子を感じることができる遺構も数多く残されているほか、東側斜面には、敵が斜面を横に移動しにくくするため、斜面の上下方向に設けられた竪堀(たてぼり)と呼ばれる堀の跡もあり、戦国時代の面影を感じることができます。