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大手通り

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村上の小古路

大町から大手門に至る路。大手門(追手門ともいう)があったことに由来する。
村上市役所の駐車場辺りにあった大手門は、城の正門である。門は枡形(ますがた)形式で、大手通りから門のところで右折して入る。
現在の道路に「食い違い」があるのは、ここが大手門であったことの名残りである。
三の丸内を「丸の内」と称し、南を羽黒門、西を飯野門・大手門、北を山辺里(さべり)門で区切る。


村上ロータリークラブ 2017-2018
村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より
住所 村上市大町~三之町
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約20分
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関連スポット

千眼寺 保呂羽堂(せんげんじ ほろわどう)

保呂羽堂は、国指定文化財「平林城跡」の所領であった色部氏15代・色部長真(いろべながざね)が天正19(1591)年に出羽国仙北郡大森町の保呂羽山波宇志別神社から当地に分霊したことにより創立され、その後の安政5(1858)年に再建されたものと伝わる。 保呂羽堂の奥行きが深く、幣殿と拝殿を前後に明確に分ける平面形式は、越後特有の形式と知られている。 総欅造 [本殿]一間社流造、桟瓦葺、向拝一間 [拝殿]入母屋造 千鳥破風付、桟瓦葺、向拝一間 軒唐破風付 [幣殿]切妻造、桟瓦葺 指定:平成19(2007)年11月20日 【村上市教育委員会】

三面川の居繰網漁(みおもてがわのいぐりあみりょう)

<2022(令和4)年度の実施概要> ■実施期間 2022年10月21日(金)~11月30日(水) ■実施時間 ●月~金曜日……………9:00頃~ ●土・日曜日、祝日……9:00頃~/13:00頃~ ■料金 見学無料 ■備考 ●今年度は三面川左岸で実施します。 ●柵(ウライ)の延長線上から300~400メートル下流で行います。 ●漁の状況によって早く終了する場合があります。 ●悪天候や西風が吹くとき等は出漁しない場合があります。 ●見学場所・駐車場等の詳細は下記へお問い合わせください。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 新型コロナウイルス感染症等の流行状況や社会情勢等により中止または内容が変更になる場合があります。 あらかじめご了承ください。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- <例年の実施概要> 居繰網漁(いぐりあみりょう)は、現在は三面川(みおもてがわ)だけに残る江戸時代から伝わる伝統漁法です。居繰網漁は、「小回し舟」という川舟3艘で行います。3艘のうち2艘は網を操りながら川下に「八」の字で下ります。もう1艘は、2艘の舟の間に鮭を追い立てます。鮭が網にかかると双方の漁師が網を上げて鮭を捕らえます。居繰網漁は、村上の秋~初冬にかけての風物詩です。 ■実施期間 例年10月中旬~11月末

浄念寺

文化15(1818)年に建てられた本堂は、この地方では珍しい白壁土蔵造で、日本で一番大きなこともあり、平成3(1991)年に国の重要文化財に指定されています。 建築については、防火を考えて大壁の土蔵造りとし、屋根はこけら葺きにしました。丈六の阿弥陀如来像を安置するため、棟木の高さが35尺にもなり、それにふさわしく梁間9間・桁間11間、2階部分もそれぞれ6間・9間という大きさになりました。 本尊は丈六(5m)の阿弥陀如来の座像(木像)で、この地方には類のない大きさで見事なものです。なお、本堂は間部詮房の百回忌に合わせて江戸で設計され、村上の大工の手で建築されたものです。 また、芭蕉と曽良が参詣したことでも知られています。

宇左ェ門小路(傘松宇左ェ門小路)

小国町から武家町・飯野に至る通りで、宇左ェ門小路といわれていた。また、「傘松小路」ともいわれていた。 この辺りに、村上の瀧波姓の先祖である「瀧波宇左ェ門」の広大な屋敷があったことから、この名前が付けられたものと思われる。この宇左ェ門屋敷には一本の立派な松があった。四方に枝の広がった立派な傘松であったといわれている。瀧波宇左ェ門は、北前船が瀬波沖で難破したため村上に上陸。手広く商売を始め、成功を収めた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

漆山神社

旧朝日村の蒲萄(ぶどう)峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺(やぶき)明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

観音寺

真言宗のお寺で、寺伝では元海上人が開かれたといわれています。わが国最後といわれる仏海上人の即身仏(明治36年入寂)の御姿が奉安されています。 【仏海上人】 文政11(1828)年5月9日、村上市安良町の近藤家の長男として生まれ、18歳で湯殿山 注連寺に入門し、本明寺でも修行。その間、15年にわたって仙人沢で荒行を重ね、伊豆・天城山や酒田の海向寺でも修行を行いました。35歳の時、五穀絶ちの木食行をはじめ、慶応3(1867)年に37歳で本明寺の住職となり、明治7(1874)年に村上の観音寺に戻ります。明治21(1888)年5月、注連寺が全焼したため、注連寺の住職となって寺を復興。再び故郷へ戻り、明治36(1903)年に76歳で入定しました。41年にわたる苦行を成し得た、日本最後の即身仏です。

五軒丁通り

城下絵図には、町人地と接し、5軒の武家屋敷が記載されている。「五軒丁」というのは、ここに5軒の武家屋敷が並んでいたことに由来する。 城下町の町割りは、大きく武家町・町人町とに分けられるが、この細工町のように武家地と町人地が隣接しているところは多くはない。 現在では、この辺りを五軒丁と呼ぶ人は少なくなったが、この通りに入ると、今でも武家町の雰囲気が漂い、町人地との違いを感じることができる。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

藤基神社

藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造り。嘉永2(1849)年に当時の工匠がその技を結集し、8年の歳月を費やして造り上げたものです。村上が生んだ工匠・有磯周斎(ありいそしゅうさい)による、かご彫りと呼ばれる彫刻の傑作を各所に残しています。 ご祭神は、徳川家康侯の異母弟に当たり、徳川家十七士の一人でもある村上藩の藩祖・内藤信成(のぶなり)侯、十代目の信敦(のぶあつ)侯、十一代目の信思(のぶもと)侯を祭っています。 八幡大神(やわたのおおかみ)、誉田大神(ほんだのおおかみ)、火帯姫大神(ほたらしひめのおおかみ)、稲荷大神(いなりのおおかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、秋葉大神(あきばのおおかみ)、火産霊神(ほむすひのかみ)、学問の神である菅原道真公を祭っています。

縄文の里・朝日

奥三面ダム建設によって水没した、山間奥地・三面集落で使われていた民俗資料や考古資料(旧石器時代~縄文時代)を展示。まが玉・石器・土器づくりや火おこしの体験ができます。併設の食堂「食事処 やまびこ」(例年4月下旬~11月中旬オープン)では、地元農産物を使った料理と手打ちそばが人気です。

孫惣刃物鍛冶

かつて、40軒を超す鍛冶屋が軒を連ねていた村上市鍛冶町。昔ながらの仕事場を残し、現存する建物が最後の一軒となったため、街角博物館として再生されました。 中では、かつて使われていた鍛冶道具などを展示公開。「城下町村上 町屋の人形さま巡り」や「城下町村上 町屋の屏風まつり」などのイベントでは、仕事場奥の茶の間に、かわいらしい土人形や屏風も飾られます。

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