案内板
瀬波温泉 噴湯公園(明治37年に温泉が噴出した温泉源泉井戸がある公園)内にあり、越後一宮 彌彦神社(西蒲原郡弥彦村)の御神霊を分霊して祭っています。本殿から、さらに石段を上っていくと奥の院があり、そこからは瀬波の温泉街や日本海が一望できます。
村上の伝統文化である「塩引き鮭」が、各家の軒下に吊るされます。塩引き鮭は、腹の一部をつないだままにする「止め腹」と呼ばれる独特の切り方、下げる際も頭を下にするという特徴があります。このような点にも注目してご覧ください。 ≫2025年の実施期間 2025年12月1日(月)~20日(土)
創建は天文9(1540)年。行海上人が摂津国(大阪)から勧請し、安良町に祭ったといわれています。寛文7(1667)年に現地へ移りますが、それは現地が村上城下の中心「札の辻」(大町・上町・安良町の接点)からみて表鬼門に当たるため、城下の鬼門封じのためだったといわれています。
庄内町から杉原に至る道。沿道にある専念寺に由来する。この通りには、善龍寺と専念寺が並んでいる。善龍寺は浄土真宗で寛永16(1639)年創立。専念寺は浄土宗鎮西派で元和7(1621)年創立。 専念寺には「千体仏」と呼ばれる千体のお地蔵様がある。二度の火災で焼失したが、明治29(1896)年から3年かけて復興した。本堂には地獄絵図が掛けてある。また、本堂前には九品仏(くほんぶつ)の一つである阿弥陀如来の石像がある。元は同町内の養楽院にあった。この小路が専念小路と呼ばれるようになったのも、それだけ参詣人が多かったのであろう。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より
堀氏によって本格的に城下町の整備が行われた江戸時代初期の城下絵図には「ちゃのこまち」の記載があり、かなり古い町名である。現在、町名としては使われていないが、市道路線名には、大工町茶の子町線として残っている。 「茶の子町」の由来については、詳しいことは分かっていないが、この通りは昔から茶の子通りといわれており、実際的な町の機能としてよりも、古称として伝えられてきたものと思われる。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より
鍛冶町から北側鍛冶町裏に抜ける小路を、昔から、かなくそ小路と呼んでいた。 江戸時代初期、細工町にあった鍛冶町を防災の関係から現在地に移した。元和5(1619)年、現在地に移されたと伝えられる。この時、6軒の鍛冶職が集められた。当時は、新鍛冶町と呼ばれたようである。 「かなくそ」とは、鉱石を溶かす時にできる滓[かす]、または鉄を鍛える時に剥がれ落ちる滓のことであるが、この辺りに落ちていたといわれている。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より
「神様が天の石船[あま-の-いわふね]に乗りお出でになられた」との伝説をもつ磐舟郡総鎮守。圏域『岩船』という地名の由来となっています。創祀は大化4(648)年、磐舟柵設置以前と伝わり、御祭神は饒速日命[にぎはやひのみこと]。 大同2(807)年、北陸道観察使・秋篠朝臣安人が下向の際に社殿を建立。越後国の北の守護神として京都・貴船神社の御祭神三柱を合祀以来千二百年、「明神様」と称されて広く信仰を集めました。延喜式神名帳には越後磐船郡の筆頭に記載され、色部氏・本庄氏・歴代村上藩主等に鎮守の御社として篤い保護を受けます。明治期には越後一宮 彌彦神社に次ぐ県内最初の縣社に列しました。 【社叢】 石船神社の社叢は、天然ヤブツバキの群生地で県天然記念物(昭和33年指定)です。 【石碑・句碑】 境内には、磐船柵趾の碑と松尾芭蕉の句碑2基があります。 【石船神社と岩船大祭】 石船神社の例祭(10/18、19)が岩船大祭です。先太鼓と木遣りを先頭に、御舟屋台をはじめとした9基のしゃぎり屋台が共に御神幸します。岩船大祭と「ともやま行事」は県無形民俗文化財(昭和62年)に指定されています。
まいづる公園は、皇太子殿下・雅子妃殿下の御成婚を記念した公園であり、南東方向に村上城跡(別名:舞鶴城)を臨み、公園内には雅子妃殿下ゆかりの旧嵩岡家住宅のほか、旧岩間家を移築復原することにより、市民の祝意を永く顕すとともに村上藩士の生活文化を展する重要な歴史文化施設としても意義深い公園です。
≫例年の実施概要 居繰網漁[いぐりあみりょう]は、現在では村上市街地北側を流れる三面川[みおもてがわ]だけに残る、江戸時代から伝わる伝統漁法です。「小回し舟」という川舟で三面川の流れに乗り、網を操りながら八の字で川を下っていきます。川を上ってくる鮭が網にかかると、双方の漁師が呼吸を合わせて網を上げて鮭を捕ります。村上の秋から初冬にかけての風物詩です。 ≫実施期間 例年10月中旬~11月末
旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。
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