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黒塀通り(安善小路)

城下町村上町屋エリア
歴史・文化
多目的トイレ

雪の日も絵になる小路です

「むらかみ 宵の竹灯籠まつり」の様子

安善寺~割烹 新多久の黒塀

案内板

情緒あふれる黒塀の通り

城下町の風情が漂う、黒塀が続く小路です。通りには寺院や有名割烹が立ち並び、歴史と趣が感じられます。例年10月の第2土・日曜日には「むらかみ 宵の竹灯籠まつり」の会場になり、揺らめく約2万本もの竹灯籠の明かりと各所で奏でられる音楽に酔いしれる人々でにぎわいます。

▶安善小路について
小町[こまち]から寺町へ抜ける小路。ここは古くから安善小路[あんぜんこうじ]と呼ばれていた。
安善寺に由来する。安善寺は浄土真宗大谷派。明暦元(1655)年創立。安善寺の寺伝によると、この土地は榊原公から拝領したものとある。
その榊原氏が城主の頃の『元禄村上城下絵図』には、安善寺と小路が描かれている。現在、黒塀小路(または黒塀通り)と呼ばれることもあるが、これは景観整備で黒塀を設置したもので当時はない。また、小町側の村上信金金庫 本店辺りは堀氏時代の絵図には「馬ヤ町」の記載があり、「お馬や小路」と呼ばれていた。

村上ロータリークラブ 2017-2018
村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より
住所 村上市小町
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約20分
駐車場(台数) 市内の観光駐車場をご利用ください
バリアフリー 多目的トイレ
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関連スポット

重要文化財 若林家住宅

二百数十年前に建設され、その後、復原された若林家住宅。若林氏は、村上藩で物頭[ものがしら]役150石で中級上位の家柄に属します。曲屋[まがりや]づくりの茅葺平屋建で、部屋割りも細かく、典型的な中級武家住宅の特色を伝えていることから重要文化財に指定されました。市の文化財に指定されている、庭園の四季折々の表情もご覧ください。 【若林家住宅とは】 若林家住宅は、今から二百数十年前から明治期まで、村上藩士・若林家とその子孫の生活の舞台であった建物である。 若林家が内藤家に召し抱えられたのは延宝2(1674)年で、天和2(1682)年には内藤分家の家老職を務め200石を給されていた。その後、内藤本家に再任され、150石に減ぜられたが、内藤家中の中級上位の藩士として、大目付、長柄[ながえ]奉行、普請奉行、町奉行、三条奉行などの要職に就いている。 天明7(1787)年の『越後村上分限帳』では、筆頭家老から12番目「者頭(物頭)」の項に下記のような記述があることから、現在地の若林家住宅に生活するようになった頃には150石者頭役で、18人の足軽を指揮していたことが知られる。 一 百五拾石  若林七太夫 一 金三両弐分二人扶持  小頭 野崎文吉 一 金三拾七両三拾四人扶持 内弐両弐分取六人 足軽十七人 また、昭和6年編纂の『村上郷土史』所収の禄高順記載による「村上藩士一覧表」には、「給人百五十石 若林佐市郎」とあり、足軽まで含めた総藩士731人の家臣(内 石取藩士は約150人)の上から54番目(石取藩士の中級上位)に記されている。 旧村上藩「者頭」若林家住宅には、私的居住部分と者頭の役宅部分からなっていることが知られる。 (村上市郷土資料館)

鹽竈神社[しおがま-じんじゃ]

承安3(1173)年、塩谷字古屋敷(現在の松和町)の地に創建。慶長2(1597)年に本庄出羽守[ほんじょうでわのかみ]家長とその父・重長の病気平癒、武運長久と繁栄を祈願し、社殿を再建したと伝えられています。享保16(1731)年には境内地の狭隘化[きょうあいか]により、現在地に奉遷されました。現社殿は明治11(1878)年に再建されたもので、昭和18(1943)年に拝殿および幣殿が改築されました。 主祭神は塩土老翁命[しおつちおじのみこと]、合殿は天照皇大神[あまてらすすめおおみかみ]、水波売命[みずはのめのみこと]を祭っています。 また、塩谷では「亀」を氏神の使いであるとして、とても大切にしています。亀をモチーフにしたおもちゃやお菓子などは、境内の池に納める習わしがあるといわれています。

西奈彌神社[せなみ-じんじゃ]

千年以上も前に書かれた『延喜式神名帳』にある磐船郡8座の中にあり、長い歴史があります。福井県敦賀市にある氣比[けひ]神宮と深く関わりがあるといわれ、明治の初めまでは「氣比大明神[けひだいみょうじん]」「氣比大神宮[けひだいじんぐう]」と呼ばれていましたが、その後「西奈彌神社」と呼ばれるようになりました。現在でも、福井県の氣比神宮と同じ9月4日が祭礼です。江戸時代からの社殿は、明治18(1885)年10月の大火で焼失しました。本殿は、平成3(1991)年に再建されています。 『瀬波っていいね』(活気ある町瀬波まちづくり推進協議会)より

大満虚空蔵尊

ご本尊の虚空蔵菩薩[こくぞうぼさつ]は、智恵・福徳をお授けする仏で、丑寅年生まれの守り本尊です。 毎年春(4/13)・秋(10/23)に大祭があり、大護摩祈祷を厳修いたします。

大葉澤城跡

現在の大場沢集落のすぐ南側に位置し、東側山地から西側平地へ突き出るような小高い丘陵を利用した山城で、戦国時代に活躍した鮎川氏の本城と伝えられています。東西700m・南北200mの大要害で、敵の侵入を阻止するために人工的に施した地形が今も残っています。

車屋の看板

一桁の電話番号が書かれた看板は、明治43(1910)年のもの。また、屋号が刻印された特注の屋根瓦も見ものです。目を凝らして探してみてください。 ※個人宅の看板なのでマナーを守ってご覧ください

イヨボヤ会館

「イヨボヤ」とは、村上地方の方言でサケ(鮭)のこと。館内では、サケをはじめ、さまざまな淡水魚等を観察できます。サケ漁に使われる漁具の展示、コンピューターゲームで楽しくサケのことが学べる「こどもサケ科学館」等、サケの生態や村上の鮭文化を知ることができます。また、三面川の分流・種川の中をガラス越しに観察でき、自然の川の様子や秋には遡上するサケをご覧になれます。タイミングが合えば、産卵の瞬間に出合えることも!

縄文の里・朝日

奥三面ダム建設によって水没した、山間奥地・三面集落で使われていた民俗資料や考古資料(旧石器時代~縄文時代)を展示。まが玉・石器・土器づくりや火おこしの体験ができます。併設の食堂「食事処 やまびこ」(例年4月下旬~11月中旬オープン)では、地元農産物を使った料理と手打ちそばが人気です。

かなくそ小路

鍛冶町から北側鍛冶町裏に抜ける小路を、昔から、かなくそ小路と呼んでいた。 江戸時代初期、細工町にあった鍛冶町を防災の関係から現在地に移した。元和5(1619)年、現在地に移されたと伝えられる。この時、6軒の鍛冶職が集められた。当時は、新鍛冶町と呼ばれたようである。 「かなくそ」とは、鉱石を溶かす時にできる滓[かす]、または鉄を鍛える時に剥がれ落ちる滓のことであるが、この辺りに落ちていたといわれている。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

新潟山形県境標柱

村上市伊呉野[いぐれの]に立つ、新潟県と山形県の県境を表す標柱です。向かいには記念スタンプも設置されているので、訪れた際には押してください。

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