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狭の渡正跡[せばのわたしせいせき]

清流荒川エリア
歴史・文化
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旧貝附村国道筋に建てられた石碑。「越後なる せばの渡しの 朝嵐 昨日も吹いて 今日も吹くなり」という古歌が刻まれています。碑が建てられている付近は景色が良く、古歌に詠まれた景勝地として有名です。
住所 村上市貝附
電話番号 0254-62-3101(荒川支所 地域振興課) 0254-62-3101(荒川支所 地域振興課)
FAX 0254-62-5275
アクセス(車) 日本海東北自動車「荒川胎内IC」から車で約14分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「坂町駅」から車で約10分
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関連スポット

漆山神社

旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

山上染物店[やまがみ-そめものてん]

百六十余年の時を経て、すすけて黒くなった壁や黒光りした太い梁。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような、町屋の茶の間もご覧いただけます。 おあつらえで手ぬぐいや法被を承ります。村上茶で染めた商品もどうぞ!!

村上城跡(お城山)

村上城は、標高135mの独立峰・臥牛山[がぎゅうさん]に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11(1568)年の上杉謙信との篭城戦など、幾度も戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後の中心拠点として整備されました。 山頂までの道は整備され、約20分ほどで登ることができます。村上のシンボルとして近隣住民はもちろん、観光客もたくさん訪れる名所です。 ≫ご注意ください ・ゴミ箱は設置されていません。出たゴミは必ずお持ち帰りください ・山頂(天守跡)に自動販売機やトイレはありません。自動販売機は登城口に、トイレはお城山児童公園をご利用ください ・音の出るもの(熊鈴・ラジオ等)を携行し、複数人で行動するなど、クマとの遭遇を避ける対策を行ってください

専念小路

庄内町から杉原に至る道。沿道にある専念寺に由来する。この通りには、善龍寺と専念寺が並んでいる。善龍寺は浄土真宗で寛永16(1639)年創立。専念寺は浄土宗鎮西派で元和7(1621)年創立。 専念寺には「千体仏」と呼ばれる千体のお地蔵様がある。二度の火災で焼失したが、明治29(1896)年から3年かけて復興した。本堂には地獄絵図が掛けてある。また、本堂前には九品仏(くほんぶつ)の一つである阿弥陀如来の石像がある。元は同町内の養楽院にあった。この小路が専念小路と呼ばれるようになったのも、それだけ参詣人が多かったのであろう。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

大川のコド漁

山北地区の勝木川や大川にも晩秋~初冬にかけ、たくさんの鮭が群れをなして帰ってきます。なかでも、大川は昔から鮭漁が盛んに行われ、毎年鮭漁の時期を迎えると、鮭が帰ってくるのを心待ちにしていた漁師たちで川原もにぎわい、活気づきます。 大川の鮭漁は、古くから伝えられている「コド漁」という漁法で行われており、この漁法は、全国的にも他に類を見ない大川独特のものです。漁の最盛期は10~12月中旬で、時期になると大川の河口付近はコドで埋め尽くされます。

大須戸能[おおすど-のう]

大須戸能は、伝えによれば弘化元(1844)年の冬、庄内黒川の能役者・蛸井甚助が大須戸に逗留した際、村人が指導を受けたとされ、嘉永5(1852)年の記録には「古来の能装束が欠損して役に立たなくなったので奉納を願う」と記されています。現在は、例年4月に大須戸・八坂神社能舞台で行われる定期能と、8月に行われる薪能で鑑賞することができます。

はんにむ小路

現在の北線道路北側、久保多町(くぼたまち)から片町に入る辺りから山辺里川(さべりがわ)(門前川)の堤防に通ずる小路は市道半右ェ門線であるが、小路の入り口に半右ェ門という人の家があったことから、「半右ェ門」が「はんにむ」となり、通称になったと伝えられる。 この山辺里川の河原には、罪人の打ち首を行う首切場があった。現在、この場所には供養塔が建てられている。脇にある地蔵様は「首切り地蔵」とも呼ばれる。刑を言い渡された罪人は、庄内町にあった牢屋から、市中引き回しの上、ここで刑が執行された。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)

村上大祭で引き回される「おしゃぎり」と呼ばれる山車を常時4台(うち1台は展示用)展示していることから「おしゃぎり会館」と呼ばれています。2階展示場には、村上藩歴代城主の資料や刀剣・甲冑などの歴史資料の展示を行っています。毎年3月には「城下町村上に伝わるひな人形展」を開催しています。 ※7/5~8は村上大祭の屋台巡行および準備のため、おしゃぎりは展示されていません

普門山 東林寺

創立は明暦元(1655)年3月、開山は泉梁[せんりょう]和尚で満福寺の末寺です。その以前は、妙心庵[みょうしんあん]と称した庵寺であったといわれています。 その妙心庵に隠居生活をしていたのが、村上茶の元祖といわれている徳光屋覚左衛門(本名:土田)夫妻です。そのため境内には、夫妻の墓碑と頌徳[しょうとく]碑が建立されています。 また、寺内には夫妻の肖像画もあります。覚左衛門の没年は寛永11(1634)年6月26日。頌徳碑の建立は大正11(1922)年で当時の住持・竹内越岸[えつがん]の発起によります。

筥堅八幡宮社叢[はこがた-はちまんぐう-しゃそう]

筥堅八幡宮は、延喜21(921)年に福岡筥崎宮の八霊を筥堅山に迎えて建設されました。社殿は、日本海の荒波を望む海抜約60mの北側と西側に絶壁のある岩山(筥堅山)の山頂に鎮座しています。筥堅山は、文字通り筥(箱)を積み重ねたように海岸に突き出た山容をしており、山全体が神を祭る巨大な磐境[いわさか]になっています。神の山として社叢内を保護したため、原始林相が保たれました。カヤ・アサダの大樹は県内一といわれています。

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