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九品仏 下品下生 上片町地蔵堂境内

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上片町地蔵堂の九品仏 下品下生

印の結び

九品仏は、珂碩上人(かせきしょうにん)が寛永12(1635)年の出家直後に発願したもの

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。
住所 村上市上片町5-12
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約8分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『まちなか循環[大回り]』『塩野町線』『大須戸線』に乗車、バス停「上片町」下車(バス停から徒歩で約2分)
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大葉山 普済寺[だいようざん-ふさいじ]

回遊式日本庭園は公開期間(春・秋)あり。また、ご連絡をいただければ随時公開いたします。坐禅会や写経などの仏教を学ぶ勉強会、お茶会、演奏会、精進料理等を楽しんでいただけるイベントも開催しています。

平林不動滝

国指定史跡の平林城跡のある神林地区・要害山中にある。要害山には至るところに清水が湧出しており、それらが流れ込み不動滝を形成している。滝つぼの奥には岩を削って造られた祠があり、数百年前から大日如来と不動明王の石像が童子石像とともに安置されている。 「新潟県の名水 関川村・村上市 県北名水巡りマップ」(新潟県)より抜粋 【備考】 ●不動滝登山道 駐車場(古刀比羅[金比羅]神社前)から不動滝までは徒歩で約50分です。 ●滝へと至る山道(不動滝登山道)は、ぬかるんでいたり、急な上り下りもあるので、履きなれた靴(登山靴がオススメ)でお越しください。 ●クマやヘビ、ハチといった危険動物・昆虫に十分ご注意ください。 【不動滝と目薬の由来について】 永禄の昔、色部氏第13代勝長が、上杉謙信の命により川中島合戦の出陣に際し、領内の安泰と戦勝を祈願するため、不動滝に祠を築造し、そこへ大日如来と不動明王の石像を安置されたものと推測されている。 また、天正時代、信州松本の名家・小笠原貞慶一族が、色部氏を頼って家臣となり、小笠原家伝来の軍法・兵法・馬術、さらに目薬の製法に至るまで色部氏に伝授した。 これにより、色部氏は領民のため、不動滝の真水(まみず)を用い、目薬の開発に努めたという。以来、不動滝の水滴が眼病に効能ありとして、無病息災・家内安全等のご利益を求めて、また村人たちの心の拠り所として、多くの参拝者が訪れたと伝えられている。 【お不動様の起源およびご利益】 一、家運隆盛 一、心願成就 一、徐災招福 一、身体健護 当不動堂の創建は不明であるが、江戸時代後期1813年、権三郎が再建したという文献上の記録がある。以来、村人たちは唯一信仰の場として崇拝してきた。しかし、昭和42年の羽越水害により不動堂および林道山沿い線(参道)は壊滅的被害を受けた。昔から幾多の破壊と補修の試練を乗り越え、この度ようやく参道の改修工事が完了し、不動堂の新築再建に併せ新刻された不動明王立像を奉迎安置したところである。 一方、平安時代初期806年、弘法大師空海が中国より帰朝し、日本に真言宗を開宗した。その後、大日如来を真言密教の根本尊と定めた不動明王は、大日如来の化身であり共に表裏一体の仏様であるといわれている。 なお、不動立像は怒りの相を表現し、背には激しく燃える炎を抱え、不動不変の盤石に立ち、右手には煩悩を断ち切る降魔の利剣、左手には煩悩から抜け出せない人々を救済するための縄を持つ。これは人間が持つ煩悩五欲、つまり心身を悩ます一切の欲望・悪業を追い払い、家運を転換隆盛し招福を招来する。また、あらゆる困難を克服し、勝負に勝って心願を成就する。同時に、仏の救済を必要とするすべての生命に対して慈愛の心で子孫の繁栄を守る。 これが大日如来、不動明王が説く真言密教の教理であり、ご利益の由来であると伝えられている。

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)

村上大祭で引き回される「おしゃぎり」と呼ばれる山車を常時4台(うち1台は展示用)展示していることから「おしゃぎり会館」と呼ばれています。2階展示場には、村上藩歴代城主の資料や刀剣・甲冑などの歴史資料の展示を行っています。毎年3月には「城下町村上に伝わるひな人形展」を開催しています。 ※7/5~8は村上大祭の屋台巡行および準備のため、おしゃぎりは展示されていません

小俣白山神社の大杉(姥杉)

樹齢千二百年と推定される大杉で、樹種は熊杉系。根廻り13.4m・樹高39mの大きさで、県内でもまれにみる老杉です。白山姫命を祭るこの神社は、昔は小俣集落の佐藤一族の氏社でしたが、今は全集落民の氏社となっています。白山神社では、生まれた子どもが初めて氏神様と対面する時、この大杉の下で泣かせて、子の行く末を祈る風習が残っています。

漆山神社

旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

出羽街道(小俣~大沢)

村上市山北地区の山間を18kmにわたり横断している、かつては松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で越後入りした街道。芭蕉は元禄2(1689)年8月12日に中村(現:北中集落)に宿をとったといわれています。緑豊かな自然の中に、昔あった番所や宿場の集落が現在に息づいています。北中芭蕉公園、大沢峠の石畳、小俣集落のまち並みなどが見どころです。

万年山 長楽寺

創立は天文9(1540)年、開基は本庄越前守繁長(ほんじょう えちぜんのかみ しげなが)、開山は 耕雲寺11世 三心宗尹(さんしんそうい)禅師。 はじめは里本庄にあり、本庄氏に従うかたちで村上に移った。本庄氏が村上を去るのは天正18(1590)年末、福島城主になるのが慶長5(1600)年。その時、同寺は福島へも建立された。福島長楽寺の開山は、宗尹の師の大沖元甫(だいちゅうげんぽ)である。 江戸時代中期には、城主・榊原氏や本多氏などの家中寺として遇されたか、両家の重臣らが菩提寺にしている。参道入口には九品仏の上品下生仏、境内には三十三番観音を祭る。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

石船神社[いわふね-じんじゃ]

「神様が天の石船[あま-の-いわふね]に乗りお出でになられた」との伝説をもつ磐舟郡総鎮守。圏域『岩船』という地名の由来となっています。創祀は大化4(648)年、磐舟柵設置以前と伝わり、御祭神は饒速日命[にぎはやひのみこと]。 大同2(807)年、北陸道観察使・秋篠朝臣安人が下向の際に社殿を建立。越後国の北の守護神として京都・貴船神社の御祭神三柱を合祀以来千二百年、「明神様」と称されて広く信仰を集めました。延喜式神名帳には越後磐船郡の筆頭に記載され、色部氏・本庄氏・歴代村上藩主等に鎮守の御社として篤い保護を受けます。明治期には越後一宮 彌彦神社に次ぐ県内最初の縣社に列しました。 【社叢】 石船神社の社叢は、天然ヤブツバキの群生地で県天然記念物(昭和33年指定)です。 【石碑・句碑】 境内には、磐船柵趾の碑と松尾芭蕉の句碑2基があります。 【石船神社と岩船大祭】 石船神社の例祭(10/18、19)が岩船大祭です。先太鼓と木遣りを先頭に、御舟屋台をはじめとした9基のしゃぎり屋台が共に御神幸します。岩船大祭と「ともやま行事」は県無形民俗文化財(昭和62年)に指定されています。

九品仏 下品中生 専念寺境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

専念小路

庄内町から杉原に至る道。沿道にある専念寺に由来する。この通りには、善龍寺と専念寺が並んでいる。善龍寺は浄土真宗で寛永16(1639)年創立。専念寺は浄土宗鎮西派で元和7(1621)年創立。 専念寺には「千体仏」と呼ばれる千体のお地蔵様がある。二度の火災で焼失したが、明治29(1896)年から3年かけて復興した。本堂には地獄絵図が掛けてある。また、本堂前には九品仏(くほんぶつ)の一つである阿弥陀如来の石像がある。元は同町内の養楽院にあった。この小路が専念小路と呼ばれるようになったのも、それだけ参詣人が多かったのであろう。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

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