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九品仏 下品上生 安泰寺境内

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安泰寺境内の九品仏 下品上生

印の結び

九品仏は、珂碩上人(かせきしょうにん)が寛永12(1635)年の出家直後に発願したもの

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。
住所 村上市塩町6-34
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約10分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約20分
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