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観光スポット

車屋の看板

城下町村上町屋エリア
歴史・文化

明治43年作、電話番号一桁の珍しい看板

一桁の電話番号が書かれた看板は、明治43(1910)年のもの。また、屋号が刻印された特注の屋根瓦も見ものです。目を凝らして探してみてください。
※個人宅の看板なのでマナーを守ってご覧ください
おすすめ! 100年の時を経た看板、屋号を刻印した特注の屋根瓦に注目!
住所 村上市庄内町(鈴木様宅)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約6分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約20分
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関連スポット

孫惣刃物鍛冶[まごそう-はものかじ]

かつては40を越える鍛冶屋が軒を連ねていた村上市鍛冶町。昔ながらの仕事場を残し、現存する建物が最後の一軒となったため、街角博物館として再生されました。 館内では、かつて使われていた鍛冶道具などを展示公開。また、例年「城下町村上 町屋の人形さま巡り」や「城下町村上 町屋の屏風まつり」などのイベントでは、仕事場奥の茶の間に、かわいらしい土人形や屏風も飾られます。

普門山 東林寺

創立は明暦元(1655)年3月、開山は泉梁[せんりょう]和尚で満福寺の末寺です。その以前は、妙心庵[みょうしんあん]と称した庵寺であったといわれています。 その妙心庵に隠居生活をしていたのが、村上茶の元祖といわれている徳光屋覚左衛門(本名:土田)夫妻です。そのため境内には、夫妻の墓碑と頌徳[しょうとく]碑が建立されています。 また、寺内には夫妻の肖像画もあります。覚左衛門の没年は寛永11(1634)年6月26日。頌徳碑の建立は大正11(1922)年で当時の住持・竹内越岸[えつがん]の発起によります。

火伏せのいの字石[ひぶせ-の-いのじいし]

観光客が行きかう「越後村上 町屋通り」(県道286号)に「い」の字に埋め込まれた石。この石をアスファルトで埋めたり、隠したりすると火事が起きるといわれ、現在も石を隠さないように道路舗装が行われています。 ※車道に埋め込まれています。見学の際は車の往来にご注意ください

越後村上鮭塩引き街道

村上の伝統文化である「塩引き鮭」が、各家の軒下に吊るされます。塩引き鮭は、腹の一部をつないだままにする「止め腹」と呼ばれる独特の切り方、下げる際も頭を下にするという特徴があります。このような点にも注目してご覧ください。

地蔵様小路

久保多町(くぼたまち)の通りから北に入る小路で、久保多町の地蔵様に通ずる小路を称す。さらに、この小路を左に曲がると秋葉神社に至る。 江戸時代頃の城下絵図には、現在の道筋に加え、地蔵様から右にも小路が続き、片町の「はんにむ小路」に通じていた。元禄時代、榊原氏の頃の城下絵図では、この小路の北側(川寄り)には下級武士の組屋敷があったため、小路としては比較的長い道筋となっている。 市道路線名は「萱場(かやば)線」で、萱場があった。地蔵様は萱場地蔵と呼ばれる。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

イヨボヤ会館

「イヨボヤ」とは、村上の方言でサケ(鮭)のこと。館内では、サケをはじめ、さまざまな淡水魚等を観察できます。サケ漁に使われる漁具の展示、コンピューターゲームで楽しくサケのことが学べる「こどもサケ科学館」等、サケの生態や村上の鮭文化を知ることができます。また、三面川の分流・種川の中をガラス越しに観察でき、自然の川の様子や秋には遡上するサケをご覧になれます。タイミングが合えば、産卵の瞬間に出合えることも! ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2026年7月1日(水)から、施設の入館料・開館時間・休館日が変更になります。 【入館料】 [単館]一般600円/小中高生300円 ≫ 一般700円/小中高生300円 [4館*共通券]一般1,000円/小中高生500円 ≫ 一般1,300円/小中高生600円 *4館(おしゃぎり会館・若林家住宅・村上歴史文化館・イヨボヤ会館) 【開館時間】 9:00~16:30 ≫ 9:00~16:30(1・2月10:00~16:00) 【休館日】 年末年始 ≫ 水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4) 【変更に関するお問い合わせ】 TEL 0254-53-3368(村上市農林水産課 林業水産振興室)

飯野山 龍皐院[いいのさん-りゅうこういん]

創立は文安3(1446)年(室町時代中期・室町幕府八代将軍 足利義政の時代)。後に、耕雲寺5世に晋住される徳嶽宗欽[とくがくそうきん]大和尚が草庵を結び、九皐庵と称して山居されたことがはじまりである。 開山没後、新発田の宝積寺[ほうしゃくじ]より、法孫の瑚珊文愛[こさんぶんあい]和尚が来て、山号を飯野山と定め、寺号を龍皐院と改めて中興し、今日に至っている。 現在の本堂・庫裏は平成2(1990)年に、山門は平成9(1997)年に改築されたものである。 山門前には、享保2(1717)年造立の地蔵菩薩立像がある。その近くには、三ツノ山(江戸時代の力士)の墓碑がある。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

石船神社[いわふね-じんじゃ]

「神様が天の石船[あま-の-いわふね]に乗りお出でになられた」との伝説をもつ磐舟郡総鎮守。圏域『岩船』という地名の由来となっています。創祀は大化4(648)年、磐舟柵設置以前と伝わり、御祭神は饒速日命[にぎはやひのみこと]。 大同2(807)年、北陸道観察使・秋篠朝臣安人が下向の際に社殿を建立。越後国の北の守護神として京都・貴船神社の御祭神三柱を合祀以来千二百年、「明神様」と称されて広く信仰を集めました。延喜式神名帳には越後磐船郡の筆頭に記載され、色部氏・本庄氏・歴代村上藩主等に鎮守の御社として篤い保護を受けます。明治期には越後一宮 彌彦神社に次ぐ県内最初の縣社に列しました。 【社叢】 石船神社の社叢は、天然ヤブツバキの群生地で県天然記念物(昭和33年指定)です。 【石碑・句碑】 境内には、磐船柵趾の碑と松尾芭蕉の句碑2基があります。 【石船神社と岩船大祭】 石船神社の例祭(10/18、19)が岩船大祭です。先太鼓と木遣りを先頭に、御舟屋台をはじめとした9基のしゃぎり屋台が共に御神幸します。岩船大祭と「ともやま行事」は県無形民俗文化財(昭和62年)に指定されています。

一ツ橋陣屋跡の碑

幕末期の40年間、徳川御三卿の一つであった一橋家の陣屋跡。明治以降は跡地に旧金屋村役場が建てられました。現在では碑が置かれ、見事な枝ぶりの老松が当時の面影をしのばせます。

常照山法善院 光徳寺

創立は正保元(1644)年、内藤家三代・信照侯が棚倉(福島県)で開基し、源蔵和尚が開山しました。山号の常照山は、源蔵が内藤家始祖の信成[のぶなり]侯とともに伊豆国(静岡県)韮山[にらやま]へ移った時に常照寺を建立したことによります。法善の院号は信成侯の諡[おくりな]、光徳は内藤家二代・信正侯の諡です。 三の丸にあるこの寺は、古くから代々の城主の菩提寺となりました。寺域は城内の一郭として、国重要史跡に指定されています。 本堂内部には、歴代内藤家当主の位牌とともに、血縁関係があった徳川将軍家の位牌13柱が安置されています。

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