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観光スポット

車屋の看板

城下町村上町屋エリア
歴史・文化

明治43年作、電話番号一桁の珍しい看板

一桁の電話番号が書かれた看板は、明治43(1910)年のもの。また、屋号が刻印された特注の屋根瓦も見ものです。目を凝らして探してみてください。
※個人宅の看板なのでマナーを守ってご覧ください
おすすめ! 100年の時を経た看板、屋号を刻印した特注の屋根瓦に注目!
住所 村上市庄内町(鈴木様宅)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約6分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約20分
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関連スポット

稲荷山(番所山)

江戸時代、塩谷は村上城下と北国街道を結ぶ重要拠点であり、村上藩はこの山に番所を置いて、人や物の出入りを監視していました。そのため、番所山[ばんしょやま]と呼ばれていましたが、明治になり、廃藩とともに番所も廃されました。その後、お稲荷さんが祭られていることから「稲荷山」と呼ばれるようになりました。 山頂には三等三角点があり、国土地理院の2万5千分の1電子地形図にも「稲荷山」として掲載されており、新潟県で一番低い(標高15.3メートル)山です。37段の階段を上った山頂の展望台からは、塩谷のまち並みや日本海に浮かぶ粟島や佐渡、南西には弥彦山、角田山が海に浮かぶ島のように見えます。

如意山 十輪寺

創立は不詳。参道には九品仏の一つ、中品下生仏と閻魔堂があり、十輪寺のご本尊・地蔵菩薩は「火消し地蔵」と呼ばれて地域の守り神として親しまれています。 毎月23日には、厄払い・開運の「護摩祈祷」を行っています。また、3~10月の第4日曜日には、町屋通りにて「十輪寺えんま堂の骨董市」が催され、多くの人出でにぎわいます。

西奈彌神社[せなみ-じんじゃ]

千年以上も前に書かれた『延喜式神名帳』にある磐船郡8座の中にあり、長い歴史があります。福井県敦賀市にある氣比[けひ]神宮と深く関わりがあるといわれ、明治の初めまでは「氣比大明神[けひだいみょうじん]」「氣比大神宮[けひだいじんぐう]」と呼ばれていましたが、その後「西奈彌神社」と呼ばれるようになりました。現在でも、福井県の氣比神宮と同じ9月4日が祭礼です。江戸時代からの社殿は、明治18(1885)年10月の大火で焼失しました。本殿は、平成3(1991)年に再建されています。 『瀬波っていいね』(活気ある町瀬波まちづくり推進協議会)より

鹽竈神社[しおがま-じんじゃ]

承安3(1173)年、塩谷字古屋敷(現在の松和町)の地に創建。慶長2(1597)年に本庄出羽守[ほんじょうでわのかみ]家長とその父・重長の病気平癒、武運長久と繁栄を祈願し、社殿を再建したと伝えられています。享保16(1731)年には境内地の狭隘化[きょうあいか]により、現在地に奉遷されました。現社殿は明治11(1878)年に再建されたもので、昭和18(1943)年に拝殿および幣殿が改築されました。 主祭神は塩土老翁命[しおつちおじのみこと]、合殿は天照皇大神[あまてらすすめおおみかみ]、水波売命[みずはのめのみこと]を祭っています。 また、塩谷では「亀」を氏神の使いであるとして、とても大切にしています。亀をモチーフにしたおもちゃやお菓子などは、境内の池に納める習わしがあるといわれています。

體真山 満福寺[たいしんざん-まんぷくじ]

創立は慶長元(1596)年、開山は耕雲寺14世 剛安寿金禅師[ごうあんじゅきんぜんじ]。宝永2(1705)年での山号は村上山とある。後に慈海山[じかいさん]と改め、さらに體真山[たいしんざん]と改めた。 山号を改めた理由は不明であるが、村上山の山号は地名によることは明らか。文書上の村上の初出は永正6(1509)年9月11日である。 文化2(1805)年に建て替えられた時の費用は、90両3分2朱と銭1035貫730文。全て銭にすると、1651貫862文であった。当時の大工日当は150文、米1俵が1貫650文の時代である。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

村上城跡(お城山)

村上城は、標高135mの独立峰・臥牛山[がぎゅうさん]に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11(1568)年の上杉謙信との篭城戦など、幾度も戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後の中心拠点として整備されました。 山頂までの道は整備され、約20分ほどで登ることができます。村上のシンボルとして近隣住民はもちろん、観光客もたくさん訪れる名所です。 ≫ご注意ください ・ゴミ箱は設置されていません。出たゴミは必ずお持ち帰りください ・山頂(天守跡)に自動販売機やトイレはありません。自動販売機は登城口に、トイレはお城山児童公園をご利用ください ・音の出るもの(熊鈴・ラジオ等)を携行し、複数人で行動するなど、クマとの遭遇を避ける対策を行ってください

狭の渡正跡[せばのわたしせいせき]

旧貝附村国道筋に建てられた石碑。「越後なる せばの渡しの 朝嵐 昨日も吹いて 今日も吹くなり」という古歌が刻まれています。碑が建てられている付近は景色が良く、古歌に詠まれた景勝地として有名です。

三の丸記念館

三の丸記念館は、明治40(1907)年に村上銀行本店として建築されたものです。村上銀行は、明治11(1878)年に国立銀行として誕生した「村上第71国立銀行」の業務を引き継いだことから、鬼瓦には図案化された「七十一」の文字が刻まれています。昭和57(1982)年まで現在の第四銀行村上支店の位置で店舗として活用されていましたが、銀行の改築に伴い、明治末期の貴重な建築物の保存のため、現在の位置に曳家により移転・保存されています。現在は、集会場や作品展の展示会場として活用されています。

新潟山形県境標柱

村上市伊呉野[いぐれの]に立つ、新潟県と山形県の県境を表す標柱です。向かいには記念スタンプも設置されているので、訪れた際には押してください。

筏場通り[いかだばどおり]

庄内町から泉町に至る路で「筏場[いかだば]通り」といわれていた。筏場とは、三面川上流から筏を組んで流してきた木材の陸揚げ場で、ここから材木屋や木羽[こば]屋に運ばれた。 文政3(1820)年の『塩町軒付帳』には、木挽[こびき]9軒、木宿8軒。文久3(1861)年の『加賀町軒付帳』には、木挽11軒とある。 木挽とは、木材を製材する職人をいい、また木宿とは薪や炭を扱う薪炭[しんたん]屋をいう。 以後、近年まで塩町と加賀町には材木屋や製材所が集中していた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

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