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観光スポット

イヨボヤ会館

城下町村上町屋エリア
歴史・文化
自然
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鮭
その他
春
夏
秋
冬
車椅子利用可
多目的トイレ
その他

施設外観

サケのふ化

サケの産卵シーン

館内の様子

鮭公園

日本最初の鮭の博物館

≫臨時開館のお知らせ
2026年11月11日(水・鮭の日)は臨時開館します。

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「イヨボヤ」とは、村上の方言でサケ(鮭)のこと。館内では、サケをはじめ、さまざまな淡水魚等を観察できます。サケ漁に使われる漁具の展示、コンピューターゲームで楽しくサケのことが学べる「こどもサケ科学館」等、サケの生態や村上の鮭文化を知ることができます。また、三面川の分流・種川の中をガラス越しに観察でき、自然の川の様子や秋には遡上するサケをご覧になれます。タイミングが合えば、産卵の瞬間に出合えることも!
おすすめ! ≫イヨボヤ会館・おしゃぎり会館・若林家住宅・村上歴史文化館の4館共通券
一般1,300円(団体20名様以上1,000円)/小中高生600円(500円)
住所 村上市塩町13-34
電話番号 0254-52-7117 0254-52-7117
URL https://www.iyoboya.jp/
営業時間 9:00~16:30(1・2月10:00~16:00)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約7分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約18分。またはJR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『まちなか循環 小回り』・『町屋号』(日曜・祝日限定)に乗車、バス停「イヨボヤ会館」下車(バス停から徒歩で約1分)
駐車場(台数) 普通車134台/バス5台
料金 一般700円(団体20名様以上600円)/小中高生300円(250円)
定休日 水曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12/28~1/4) ※臨時開館または閉館の場合があります。詳細はお問い合わせください
カード 可 /キャッシュレス決済対応(QRコード決済・交通系IC・タッチ決済)
ペット可 不可
バリアフリー 車椅子利用可、多目的トイレ、その他(おむつ替えスペース付きトイレ ※授乳室についてはお申し出ください)
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関連スポット

庚申堂

創建は天文9(1540)年。行海上人が摂津国(大阪)から勧請し、安良町に祭ったといわれています。寛文7(1667)年に現地へ移りますが、それは現地が村上城下の中心「札の辻」(大町・上町・安良町の接点)からみて表鬼門に当たるため、城下の鬼門封じのためだったといわれています。

御蔵屋敷通り

「御蔵」とは、藩の米蔵のことである。この場所には藩の米蔵があったので、米蔵が撤去された以降も御蔵屋敷通りといわれた。 この蔵屋敷の上と下には、吉田門と小石垣門があり、両脇は堀であった。現在、堀は埋められ、土居は崩されて、当時の姿を見ることはできない。しかし、この狭い路を通ると、重要文化財 若林家住宅の裏の生け垣などがあり、武家町の小路としての雰囲気を漂わせている。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

村上市指定文化財 旧成田家住宅

村上で現存している武家住宅の中では、唯一玄関が妻側に位置する形態で、建築年代は幕末から明治にかけてと推定され、平成8(1996)年に復原後、一般公開されています。 【旧成田家住宅と『諸国廻遊日録』】 旧成田家住宅は、現在の村上市新町にある。ここは、江戸時代の内藤氏治政世下においては旧武家町に属し、村上城本丸に通じる下渡門[げどもん]の近くで、比較的中級武士の住宅が集中していたところである。 『諸国廻遊日録』とは、九州佐賀藩士・牟田高惇という侍が、武者修行で諸国を巡り歩いたときの日記のようなもので、その日記によると、嘉永7(1854)年7月頃に村上にも立ち寄り、七夕祭りなどのことが記載されている。このとき、牟田高惇が宿としたところが、当時は空き家であった「元岡本左太夫」の屋敷であったことが日記にあり、明治初年の城下絵図にも、旧成田家住宅の位置には岡本左太夫という名前があり、これが現在の位置に比定される。 しかし、明治の村上藩士の分限帳(名簿)には、この岡本左太夫という名前は見当たらないことと、牟田高惇が訪れた頃、すでに空き家であったことから、どのような武士が住んでいた住宅であったかは現在のところ不明である。 (村上市郷土資料館) 【旧成田家住宅と復原調査】 この住宅の構造形式は、直屋[すごや]・寄棟造・茅葺であり、典型的な村上の武家住宅の形式であるといえるが、玄関の位置については、現存しているほとんどの武家住宅が平入りの玄関であるのに対して、妻入りの玄関であることが大きな特徴であるといえる。 また、建物の改造痕跡や技法などの調査からも、これまでに若林家や嵩岡家、岩間家などとは異なる面がかなりあり、特に技法的には一段と進んだ方法が見られる。さらに、先の『諸国廻遊日録』には、元岡本左太夫の住宅間取りも記載されているが、この記述と復原調査からの間取りとも合致しない点がかなりある。 このようなことから、『諸国廻遊日録』にある屋敷を前身建物として、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、従来の武家住宅の建築方法や技法を踏襲しながら、新たに建て替えられた再生武家住宅であるという考え方もできる。いずれにしろ、この住宅が江戸時代から明治時代へと移り変わるときに建築されたことを考えるならば、村上の住宅の歴史や変遷を理解する上で貴重な歴史的建造物であることには間違いはない。 (村上市郷土資料館)

筥堅八幡宮社叢[はこがた-はちまんぐう-しゃそう]

筥堅八幡宮は、延喜21(921)年に福岡筥崎宮の八霊を筥堅山に迎えて建設されました。社殿は、日本海の荒波を望む海抜約60mの北側と西側に絶壁のある岩山(筥堅山)の山頂に鎮座しています。筥堅山は、文字通り筥(箱)を積み重ねたように海岸に突き出た山容をしており、山全体が神を祭る巨大な磐境[いわさか]になっています。神の山として社叢内を保護したため、原始林相が保たれました。カヤ・アサダの大樹は県内一といわれています。

幸せの鐘

瀬波温泉海岸の中央に立つ「幸せの鐘」は、鳴らすと幸せになれるといわれており、多くの方が訪れています。雄大な日本海や沈む夕日をバックに、美しい鐘の音をお聞きください。

西奈彌神社[せなみ-じんじゃ]

千年以上も前に書かれた『延喜式神名帳』にある磐船郡8座の中にあり、長い歴史があります。福井県敦賀市にある氣比[けひ]神宮と深く関わりがあるといわれ、明治の初めまでは「氣比大明神[けひだいみょうじん]」「氣比大神宮[けひだいじんぐう]」と呼ばれていましたが、その後「西奈彌神社」と呼ばれるようになりました。現在でも、福井県の氣比神宮と同じ9月4日が祭礼です。江戸時代からの社殿は、明治18(1885)年10月の大火で焼失しました。本殿は、平成3(1991)年に再建されています。 『瀬波っていいね』(活気ある町瀬波まちづくり推進協議会)より

奥三面ダム

奥三面ダムは、村上市朝日地区から山形県鶴岡市を結ぶ朝日スーパーライン(県道鶴岡村上線)の途中にあります。新潟県が昭和42(1967)年の羽越水害を契機に、三面川流域の洪水防止、流水の正常な機能維持ならびに発電を目的として、平成13(2001)年10月に完成しました。新潟県では最初の放物線型アーチ式コンクリートダムで高さは116m、新潟県庁の1.3倍の高さがあります。 このダムが完成したことにより、三面川流域の水量をコントロールすることが可能となり、下流にある三面ダムと、それと共に暮らしている人たちの生命と財産を守る重要な役割を果たしています。

道の駅 笹川流れ(夕日会館)

道の駅 笹川流れは、新潟県で11番目の道の駅として1993(平成5)年2月23日付で登録されました。施設から国道345号に架かる陸橋があり、JR羽越本線「桑川駅」にも併設されている、全国的にも珍しいかたちの道の駅です。 ≫「笹川流れ」の由来 沖合の岩の間を盛り上がるように流れる潮流を、中心地・笹川集落の名を冠して呼んだと伝えられています。

鷲ヶ巣山

▲標高1093.3m ▲所要時間 約4時間 建久(1190)年間に開山した山で、13体の祭神が祭られ、前ノ岳・中ノ岳・奥の院の三峰から成り立っており、尾根づたいに続く山稜は登り・下りが激しいのが特徴です。峰々の頂からは、三面ダムの湖水が静けさの中にくっきりと見え、人造湖とは思えない神秘性を漂わせています。国道7号・水明橋からの遠望は魅力的で、見る者を一層ひきつけます。

多伎神社(多岐神社)

この神社には、義経が奥州へ逃れる途中、御供の弁慶が社の前の岩の上に立ち、日本海を眺めて「さても麗わしき景色かな」と嘆賞したという伝説があります。

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