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観光スポット

伊夜日子神社[いやひこ-じんじゃ]

瀬波温泉・岩船港エリア
歴史・文化

鳥居と本殿

伊夜日子神社の本殿

石段約180段を上った先に立つ奥の院

奥の院の境内にある「龍神の鐘」

奥の院にある「龍神の鐘」を鳴らすと、願いごとが叶うとか……

瀬波温泉 噴湯公園(明治37年に温泉が噴出した温泉源泉井戸がある公園)内にあり、越後一宮 彌彦神社(西蒲原郡弥彦村)の御神霊を分霊して祭っています。本殿から、さらに石段を上っていくと奥の院があり、そこからは瀬波の温泉街や日本海が一望できます。
住所 村上市瀬波温泉2-5-1
電話番号 0254-52-2656(瀬波温泉観光案内所) 0254-52-2656(瀬波温泉観光案内所)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約10分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『せなみ巡回』または『岩船巡回』に乗車、バス停「瀬波温泉」下車(バス停から徒歩で約4分)
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関連スポット

藤基神社[ふじもと-じんじゃ]

藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造り。嘉永2(1849)年に当時の工匠がその技を結集し、8年の歳月を費やして造り上げたものです。村上が生んだ工匠・有磯周斎[ありいそ-しゅうさい]による、かご彫りと呼ばれる彫刻の傑作を各所に残しています。 ご祭神は、徳川家康侯の異母弟に当たり、徳川家十七士の一人でもある村上藩の藩祖・内藤信成[のぶなり]侯、十代目の信敦[のぶあつ]侯、十一代目の信思[のぶもと]侯を祭っています。 八幡大神[やわたのおおかみ]、誉田大神[ほんだのおおかみ]、火帯姫大神[ほたらしひめのおおかみ]、稲荷大神[いなりのおおかみ]、倉稲魂神[うかのみたまのかみ]、秋葉大神[あきばのおおかみ]、火産霊神[ほむすひのかみ]、学問の神である菅原道真公を祭っています。

赤坂屋小路

赤坂屋は、大町の大手門脇にあった商家・大年寄伊與部助次郎である。赤坂屋小路の由来は、この赤坂屋の敷地内に造られた私道に由来すると思われる。 文政9(1826)年の町絵図では、間口22間5尺6寸、奥行は堀まで28間5尺という広大なものであった。 酒造業を営んでいたが、持株は5本で2,120株。村上町は全部で38本、10,109株であったから、その2割を持っていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

桃川のおたきさま

根古屋沢に形成された落差5mほどの滝で、国道290号脇の駐車場からも望むことができます。2018年に新潟県県民生活・環境部 環境対策課が新たに選定した「新潟県の名水」の一つでもあります。 【おたきさま】※駐車場に設置されている案内板より 関川村と境を接する広大な山塊の幾筋もの沢の水を集め、根小屋沢[ねごやざわ]を流れ下った川が、ここで男滝と女滝の2段の大きな滝となって流れ落ちています。見えている滝は2段目の滝で、1段目の滝はこの少し上流にあります。 滝の左手前に見える小さなコンクリート製の祠が現在の多伎[たき]神社です。ご祭神は「阿多加夜努志多伎吉比売命[あたかぐぬしたぎひめのみこと]」と伝わっています。古代の人たちは、稲作の命である水が囂々と流れ落ちるこの2段の滝に神の存在を感じてお祀りし、それがやがて多伎神社というかたちに整えられたと考えられます。 桃川の人たちは、この滝と多伎神社に畏敬と親しみをこめて、この場所をいつからか「おたきさま」と呼び慣わしてきました。右側の崖には、横が約2.5m、縦と奥行が共に約2mもある大きな岩屋が穿たれています。この岩屋の中に多伎神社の祠があったという言い伝えもありますが、中世の時代に流行した山岳修験道に関係した遺跡である可能性もあります。 今の小さな祠がある場所に、明治時代まで二間四方の社殿が建っていたという言い伝えがあります。この言い伝えを裏付けるように、その社殿が鳥居に掲げられていたと考えられる明治2(1869)年作の立派な多伎神社額が現存しています。 江戸時代に、延喜式内社桃川神社に神主として代々奉仕した佐藤辰左衛門[さとう-たつざえもん]家に伝わった文書には、「(桃川神社と多伎神社は)二神共ニ延喜式之霊跡[えんぎしきのれいあと]也」、「桃川神社 多伎神社、延喜式内旧社[えんぎしきないきゅうしゃ]」などと記されています。このことは、平安時代の延長5(927)年に編纂された『延喜式神名帳[えんぎしきじんみょうちょう]』に記載される「磐船郡八座[いわふねぐんはちざ]」の「多伎神社」は、この「おたきさま」の多伎神社であるという伝承や確信が、古くから桃川にあったことを物語っています。(平成28年8月 桃川区)

筥堅八幡宮社叢[はこがた-はちまんぐう-しゃそう]

筥堅八幡宮は、延喜21(921)年に福岡筥崎宮の八霊を筥堅山に迎えて建設されました。社殿は、日本海の荒波を望む海抜約60mの北側と西側に絶壁のある岩山(筥堅山)の山頂に鎮座しています。筥堅山は、文字通り筥(箱)を積み重ねたように海岸に突き出た山容をしており、山全体が神を祭る巨大な磐境[いわさか]になっています。神の山として社叢内を保護したため、原始林相が保たれました。カヤ・アサダの大樹は県内一といわれています。

九品仏 中品中生 肴町・保育園前

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

九品仏 下品下生 上片町地蔵堂境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

山上染物店[やまがみ-そめものてん]

百六十余年の時を経て、すすけて黒くなった壁や黒光りした太い梁。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような、町屋の茶の間もご覧いただけます。 おあつらえで手ぬぐいや法被を承ります。村上茶で染めた商品もどうぞ!!

三の丸記念館

三の丸記念館は、明治40(1907)年に村上銀行本店として建築されたものです。村上銀行は、明治11(1878)年に国立銀行として誕生した「村上第71国立銀行」の業務を引き継いだことから、鬼瓦には図案化された「七十一」の文字が刻まれています。昭和57(1982)年まで現在の第四銀行村上支店の位置で店舗として活用されていましたが、銀行の改築に伴い、明治末期の貴重な建築物の保存のため、現在の位置に曳家により移転・保存されています。現在は、集会場や作品展の展示会場として活用されています。

野澤食品工業

事前に連絡をもらいましたら、塩谷の町屋をご案内いたします。 ≫野澤食品工業 店舗兼主屋が国の登録有形文化財(建造物)に登録されました 平成28(2016)年8月1日、旧マルマス醬油蔵・野澤三次郎住宅・瀬賀惣一郎商店兼主屋と倉庫とともに国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。 ≫野澤食品工業 店舗兼主屋の特徴 南北に延びる道沿いに西向きの屋敷は、間口11間(約20メートル)、奥行き47間(約85.5メートル)で、地域では最も大きい屋敷です。建物は木造で、船枻切り妻造り一部2階建て下屋根付きの妻入り型で、この地域の特徴的な造りとなっています。茶の間の明かり取りは、通り土間の明かり取りも兼用された構造となっていて、大変珍しいです。 (『塩谷ガイドブック』より)

はんにむ小路

現在の北線道路北側、久保多町(くぼたまち)から片町に入る辺りから山辺里川(さべりがわ)(門前川)の堤防に通ずる小路は市道半右ェ門線であるが、小路の入り口に半右ェ門という人の家があったことから、「半右ェ門」が「はんにむ」となり、通称になったと伝えられる。 この山辺里川の河原には、罪人の打ち首を行う首切場があった。現在、この場所には供養塔が建てられている。脇にある地蔵様は「首切り地蔵」とも呼ばれる。刑を言い渡された罪人は、庄内町にあった牢屋から、市中引き回しの上、ここで刑が執行された。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

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