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大満虚空蔵尊

山の恵み・生業エリア
歴史・文化

諸願成就にご参拝ください

ご本尊の虚空蔵菩薩[こくぞうぼさつ]は、智恵・福徳をお授けする仏で、丑寅年生まれの守り本尊です。
毎年春(4/13)・秋(10/23)に大祭があり、大護摩祈祷を厳修いたします。
住所 村上市猿沢地内
アクセス(車) 日本海東北自動車道「朝日まほろばIC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『塩野町線』または『北中[きたなか]線』に乗車、バス停「猿沢上町」下車(バス停から徒歩で約7分)
駐車場(台数) 30台(大型バス可)
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関連スポット

縄文の里・朝日

奥三面ダム建設によって水没した、山間奥地・三面集落で使われていた民俗資料や考古資料(旧石器時代~縄文時代)を展示。まが玉・石器・土器づくりや火おこしの体験ができます。併設の食堂「食事処 やまびこ」(例年4月下旬~11月中旬オープン)では、地元農産物を使った料理と手打ちそばが人気です。

普門山 東林寺

創立は明暦元(1655)年3月、開山は泉梁[せんりょう]和尚で満福寺の末寺です。その以前は、妙心庵[みょうしんあん]と称した庵寺であったといわれています。 その妙心庵に隠居生活をしていたのが、村上茶の元祖といわれている徳光屋覚左衛門(本名:土田)夫妻です。そのため境内には、夫妻の墓碑と頌徳[しょうとく]碑が建立されています。 また、寺内には夫妻の肖像画もあります。覚左衛門の没年は寛永11(1634)年6月26日。頌徳碑の建立は大正11(1922)年で当時の住持・竹内越岸[えつがん]の発起によります。

海巗山 諸上寺[かいがんざん-しょじょうじ]

寺伝によれば、大化年間(645~49)には感應寺[かんおうじ]という天台宗(真言宗とも)の寺で、石船神社の別当であった。その後、一時期廃絶したが、文明7(1475)年3月に耕雲寺5世の徳嶽宗欽[とくがくそうきん]大和尚によって再興されるが、再び荒廃する。天正元(1573)年5月にいたり、村上領主・本庄繁長[ほんじょう-しげなが]侯が巖室文松[がんしつぶんしょう]大和尚を招いて開山とし、寺号を諸上寺と定めた。 開基は村上領主・堀直竒[ほり-なおより]侯で、寺領地も堀家の寄進によるものであった。躑躅[つつじ]の咲く庭園は見事なもので、虚空蔵[こくぞう]堂が立つ。裏山には三十三番の観世音菩薩が祭られている。現在の本堂は天保元(1830)年に再興されたもの。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

大葉山 普済寺[だいようざん-ふさいじ]

回遊式日本庭園は公開期間(春・秋)あり。また、ご連絡をいただければ随時公開いたします。坐禅会や写経などの仏教を学ぶ勉強会、お茶会、演奏会、精進料理等を楽しんでいただけるイベントも開催しています。

漆山神社

旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

如意山 十輪寺

創立は不詳。参道には九品仏の一つ、中品下生仏と閻魔堂があり、十輪寺のご本尊・地蔵菩薩は「火消し地蔵」と呼ばれて地域の守り神として親しまれています。 毎月23日には、厄払い・開運の「護摩祈祷」を行っています。また、3~10月の第4日曜日には、町屋通りにて「十輪寺えんま堂の骨董市」が催され、多くの人出でにぎわいます。

大須戸能[おおすど-のう]

▶概要 大須戸能は、伝えによれば弘化元(1844)年の冬、庄内黒川の能役者・蛸井甚助が大須戸に逗留した際、村人が指導を受けたとされ、嘉永5(1852)年の記録には「古来の能装束が欠損して役に立たなくなったので奉納を願う」と記されています。現在は、例年4月3日に大須戸・八坂神社能舞台で行われる定期能と、8月15日に行われる薪能で鑑賞することができます。 ▶開催日 ・定期能…例年4月3日 ・薪能…例年8月15日

観音寺

真言宗のお寺で、開基は権大僧都宗快上人であると伝えられています。わが国最後といわれる仏海上人の即身仏(明治36年入寂)の御姿が奉安されています。 【仏海上人】 文政11(1828)年5月9日、村上市安良町の近藤家の長男として生まれ、18歳で湯殿山 注連寺に入門し、本明寺でも修行。その間、15年にわたって仙人沢で荒行を重ね、伊豆・天城山や酒田の海向寺でも修行を行いました。35歳の時、五穀絶ちの木食行をはじめ、慶応3(1867)年に37歳で本明寺の住職となり、明治7(1874)年に村上の観音寺に戻ります。明治21(1888)年5月、注連寺が全焼したため、注連寺の住職となって寺を復興。再び故郷へ戻り、明治36(1903)年に76歳で入定しました。41年にわたる苦行を成し得た、日本最後の即身仏です。

西奈彌羽黒神社[せなみ-はぐろじんじゃ]

一般的には略して羽黒神社と呼んでいます。祭神は奈津比売命[なつひめのみこと]・倉稲魂命[うがのみたまのみこと]・月読命[つきよみのみこと]です。 寛永10(1633)年、ときの村上藩主・堀丹後守直竒が神社を上(城)から見下ろすのは畏れ多いとして現在の地に遷宮しました。この遷宮祭が行われたのが6月7日で、新暦になってからは7月7日に大祭が行われています。 元禄3(1690)年に村上藩主・榊原勝乗が建立した社殿(神明宮)は、昭和44(1969)年に新潟県指定有形文化財に指定されています。

飯野山 龍皐院[いいのさん-りゅうこういん]

創立は文安3(1446)年(室町時代中期・室町幕府八代将軍 足利義政の時代)。後に、耕雲寺5世に晋住される徳嶽宗欽[とくがくそうきん]大和尚が草庵を結び、九皐庵と称して山居されたことがはじまりである。 開山没後、新発田の宝積寺[ほうしゃくじ]より、法孫の瑚珊文愛[こさんぶんあい]和尚が来て、山号を飯野山と定め、寺号を龍皐院と改めて中興し、今日に至っている。 現在の本堂・庫裏は平成2(1990)年に、山門は平成9(1997)年に改築されたものである。 山門前には、享保2(1717)年造立の地蔵菩薩立像がある。その近くには、三ツノ山(江戸時代の力士)の墓碑がある。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

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