むかしの「昔のことせ!」 むかしの「昔のことせ!」

 

このコンテンツは
『むらかみ商工会議所ニュース』で連載していた
「昔のことせ!ー村上むかし語りーを再掲です。
発行:村上商工会議所

 

著者は村上市の郷土史研究家
大場喜代司さん(故人)です。

 

石田光和さんによる
イラストとともにお楽しみください。

 

2025/09/15

056 次太郎騒動(10)

%e6%ac%a1%e5%a4%aa%e9%83%8e%e9%a8%92%e5%8b%9510
イラスト:石田 光和エムプリント

 

荒井浜の庄次郎が襲われたときのことである。本宅や土蔵が次々と破壊されたが、今一つ最も重要な蔵が発見されていない。そこで暴徒に加わっていた村上庄内町の大工・佐太郎は、実直な職人の容貌を険悪に変え、「俺が普請した穴蔵こそが金蔵なのだわ」そう叫びながら、その穴蔵目がけて突入する。庄次郎にすれば、まさかかつて雇った大工が暴徒になっているとは露知らず、全て略奪されてしまった。

 

しかし、ここに至るとさすがの暴徒も疲れがでた。20人、30人とごそごそと落伍者[らくごしゃ]が相次ぎ、総勢で4~500人程になっていた。これで村松浜へ押し寄せるのだが、関係する藩も黙し難い。まず白川藩預かりの出雲崎陣屋からは、元締役・岡雄左衛門と手代・大塚万右衛門の両名が家来を引き具し*中条へ出張る**。
*引き連れる、伴う
**戦いのために他の場所へ出向く

そして、村々に檄[げき]を飛ばして農兵を募る。これに応じた急造の農兵が千人余。それらを前にした岡は、「一揆の暴徒と間違われぬよう、髪の結び目に白紙を付けよ」と令し、500人は岡、500人は大塚の手兵として、「暴徒奴らが来ぬうちに、逆か寄せに寄せて搦[から]め捕れ。手向かいいたさば多勢で取り巻き、叩き伏せよ」と厳しく申し付けていたところ、高橋村の庄屋・源兵衛からの注進で、「奴らは村松浜の多七を襲い、少しばっか打壊しましたが、ここに至って逃げ失せる者もあります。なにとぞ追撃して捕まえてくだせ。」よし、さらばと岡は勇躍、「まいるぞ、ものども。ぬかるなよ」と下知すると、500のにわか農兵は、昴奮[こうふん]に膝頭を震わせ、引き攣[つ]る唇を奥歯でかみながら、「えいおう!」と鯨波[とき]を上げ、胴震いを止めると、小走りに走り出した。

普段、手にするものは鍬[くわ]や鎌で農作業しか知らぬ者ばかりだが、陣頭指揮は侍だから素晴らしい勢いで、真っ黒になって駈[か]ける。そこへ折よく暴徒の列から外れた少人数に行き逢った。

 

岡は、「それ奴等だ! 引っ捕らえろ!」。その下知にどうと周りを囲むと、暴徒の1人がやみくもに脇差しを振り回す。むろん、にわか農兵は手を束[つか]ねている。岡は、「よし、俺が打ちこらしてやる」と手にした六尺の鉄棒をごうと振る。それも恐れず、かの者はめったやたらに脇差しを振った。それを岡は、二三度空を泳がせて、「えい!」とその脇差しを目がけて打ち下ろすと、青白い閃光が飛び、鉄臭を残して脇差しが地面に転がった。

 

「それっ、ものども縄をかけよ!」その号令を待つまでもなく、農兵はうわっと群がるハチのようになって、高手小手[たかてこて]*に縛り上げてしまった。その他はほとんど逃げ散ったが、1人だけが捕らえられ、都合2人の捕縛者となった。
*人の両手を後ろに回し、首~ひじ~手首に縄をかけて厳重に縛り上げること

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年8月号掲載)村上市史異聞 より

 

2025/08/15

055 次太郎騒動(9)

%e6%ac%a1%e5%a4%aa%e9%83%8e%e9%a8%92%e5%8b%959
イラスト:石田 光和エムプリント

 

村上藩相手の交渉は次太郎らの思いどおりになった。なすすべもなくただ傍観の体の藩兵を尻目に、次太郎らはその下道を通り桃崎の家並にかかると、大勢の村人足が酒飯を仕度して接待する。そしてまた、次の目標である荒井浜までの浜道を率先して案内する。そのとき桃崎村が放出の約束をした米は1,003俵で、さらに3カ月間米の津出はしない、というものであった。

 

時は暮れ六ツ(午後6時頃)、どこかの寺の鐘が聞こえてきた。桃崎村とすれば、暴動から逃れたい一心で次太郎らの要求を呑んだものだが、村上藩とすればまさに屈辱そのものである。どだい一揆そのものが天下に対する非道であり、公儀に対する反逆である。にもかかわらずだ。これでは法度の存在も無に等しいということになり、屈辱なんてものではない。それをはるかに上回る行為で、藩主には公儀からきつい沙汰があってしかるべきである。

 

ただ間が良かったか悪かったか、藩主・内藤信敦[のぶあつ]は、このとき幕府の寺社奉行の任にあったため江戸定府で、村上にはいなかった。従って領内の統轄[とうかつ]は家老にあった。また、村上城下も食糧難に陥り、歳の暮れには721人もの飢人が出たほどである。

 

ところで、荒井浜に向かった次太郎は、かねて知り合いの与八郎宅の前に出張[でば]った。そこで与八郎はもとより、女房も母親も血相を変えて唇をわななかせ、「米の五百俵や千俵ならば、4~5日中に積みそろえるで穏やかにしてけろ」そう言うし、与八郎とも懇意にしていた次太郎であるから、さればと与八郎宅をあとにして庄次郎という家屋を襲った。そこでの破壊略奪、狼藉がものすごい。日頃、庄次郎はよほどの強欲だったか、民衆から恨みを買っていたのか。群衆は竜巻のように襲いかかり、戸障子を叩き砕き、掛け矢で土蔵の扉を破ると、まるで血に飢えた群狼のようにどっと中に入り、衣類といわず膳部[ぜんぶ]といわず、陶器やあらゆる什物[じゅうもつ]や骨董品、また金銭までも強奪し、残余の衣類などは火を付けて燃やしてしまった。その数百余、また奪った金銭は450両と銭204貫に及んだというから落花狼藉も極みに達した。

 

そして、群狼のごとき一揆衆は勝ち誇ったかのように傲然[ごうぜん]と肩をそびやかし、醜悪な顔を酒と松明で赤くさせ、濁った目をぎらつかせ、黄色い歯をむきだして、わめきながら村中を歩行する。これに脅えない者はいるわけがない。子どもから女、老人、病人まで声もなく蒼然として顔を寄せ、雨戸を締めて灯を消し、まるで死人の家のようにしていた。なかでも肝をつぶし、魂も消して震え上がったのは、庄次郎に続いた身代の彦七、伝四郎、与五兵衛、治郎左衛門であった。彼らは鳩首[きゅうしゅ]すると、「ともかくひでぇ奴らだ。あのぼっ壊すようは、たまったもんでねえ。次は俺たちが狙われる」「んだでば、そうなる前にまんず4人で502斗の米だばどうだや。これで納得すてもらうべ」。

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年7月号掲載)村上市史異聞 より

 

2025/07/15

054 次太郎騒動(8)

%e6%ac%a1%e5%a4%aa%e9%83%8e%e9%a8%92%e5%8b%958
イラスト:石田 光和エムプリント

 

「それ押し返せ! 一人たりとも揚げるでない。鉄砲隊は筒先そろえて撃て!」と下知をした。この時、桃崎の川岸に構えていた鉄砲は20挺である。そのうち2挺ほどは実弾を込めていた。岩付五郎太夫の下知に逆上した足軽は、かねて筒先を上方に向けて撃てとの命令をすっかり忘れ、すべて一揆勢に向けて放ったのである。

 

もの凄い轟音で川面は波立ち、木々の梢は震え、鼓膜が鳴り、煙が鼻をつき、青白い閃光が走った。その一発が切田村の百姓の腰に命中したものだからたまらない。「ギャッ!」と悲鳴を上げて猫のようにもんどりうち、どさっと倒れ伏した。さらに一人は、逃げ足になったところを抜刀の足軽に肩先を「えい!」と切りつけられ、血飛沫を上げながら逃げる。他の連中も驚愕[きょうがく]、髪を逆立て、顔色を失って逃げ返ろうとするが、なにしろ舟橋であるから足場が不安定である。揺れて足がもつれ、人と人が重なり、倒れて舟端にぶつかり、鼻血を流す者があり、気を失う者もありで、ほうほうの体となってようやく中州へたどり着く。

 

この時、対岸へ逃げ渡って行方が分からなくなった者は300人もいたろうか。残余の者は6~700人で、次太郎はこれ以後の方針を評議するため、それらの者どもを集合させると、「桃崎は村上兵が出張っているので無理」と言う者もいるが、「いやさ、俺らは無防備にして無力。それを鉄砲と刀槍で脅し、あまつさえ重傷を負わせたもんだ。このことをねたにして陣をば解かせるべ」「その使いには誰がするや」「それは桃崎の庄屋がよかろう。俺らどもはおとなしく引き揚げるで、村上さまも手を引いてくれとな。それに桃崎へも手荒なことはしないともな」。

 

それからというもの桃崎の庄屋を説得し、庄屋は次太郎らの要求を入れて、村上藩・川上重次郎と岩付五郎太夫相手に掛け合いに及んだところ、川上らは「何を申すか庄屋、汝うぬも一揆奴[め]らと同類か。陣を解けとはどの面さげてぬかす」と眼を釣り上げ、唾を飛ばして怒る。庄屋は、「腰に鉄砲弾を食らい、肩に刀傷を負った者は無防備の者です。やつらはその行為を理不尽と言っています」。

 

非道・理不尽を持ち出されては、武士の信条が許さない。「チッ」と小さく舌を打った川上は、「畜生奴が、いまいましいが仕方ない」とそう言えば、岩付も渋い顔に渋を塗ったようになり、「無腰の者を撃ったとなれば、侍道に悖[もと]る。やむを得まい、陣を引くとするか」と言う。しかし、侍道に悖るといえば、いささか奇麗に聞こえるが、実のところあまりにも多勢の敵に怖じ気たのではなかろうか。また、藩の対策としても千名の一揆勢を鎮圧するのに、わずか60名の警護隊の派遣でしかないのはおよび腰といわれても仕方あるまい。

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2012年6月号掲載)村上市史異聞 より

 

先頭に戻る