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むかしの「昔のことせ!」 むかしの「昔のことせ!」

 

村上商工会議所「むらかみ商工会議所ニュース」内
『村上市史異聞』(大場喜代司著)を転載するのが
昔のことせ! ―村上むかし語り―です。

 

 

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現在ご覧のむかしの「昔のことせ!」
昔のことせ!」のかつての原稿を再掲しています。

 

石田 光和さんによる
イラストとともにお楽しみください。
※「むらかみ商工会議所ニュース」掲載は2008~2015年

 

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著者の郷土史研究家・大場喜代司さんが
2024年3月27日にご逝去されました。
村上市の郷土史研究に多大な功績を残された
大場先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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2021/08/15

007 七夕(1)

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イラスト:石田 光和(エム・プリント

 

盆、正しくは盂蘭盆(うらぼん)、精霊会(しょうりょうえ)ともいう。7月13日が入りで初日であるが、実は7日が初まりであった。その日の夕方、やがて訪れる先祖霊に献ずるため、あらかじめ水辺にかけて置いた棚の上の機(はた)で布を織る。それが7月7日の夕方に行われることから七夕と書いて「たなばた」というようになった。

 

それから精進潔斎すること7日間、いよいよ祖霊が常世波(とこよなみ)に乗って訪れると、本格的な盆行事に入ることになる。これが日本の七夕信仰であったが、中国から牽牛(けんぎゅう)と織姫神話が移入されると、七夕は星祭りの要素が強くなる。

 

さらに、ねぶり流し(睡魔を祓い流し、無病息災を祈願する俗信)の行事がつく。

 

あるいはまた、伊勢信仰が流行する江戸後期になると伊勢神楽が重なり、二重三重の層をなし、本来のたなばた信仰がまったく失われてしまった。

 

たなばたがわが国古来の神道、仏教に結びつく証拠の一つは供物でもわかる。すなわち、その日には鯖(サバ)を供える習慣であった。あの魚の鯖だ。なぜ鯖なのかであるが、元は豊受大神(とようけのおおかみ/稲荷大明神)へ供える神饌(しんせん)を産飯(さば)と言ったことに起因する。それがやがて寺院の食物になると、盆には鯖を蓮の葉に包み、盆鯖と称して菩提寺などに届けるようになる。

 

岩船では、葬家の家の前に小さな棚を設け、その上に餓鬼に施す握り飯をあげる風習があり、それを「サバ」と呼んでいた。すなわち施餓鬼供養(せがきくよう)の供物である。

 

そういえば岩船の七夕丸の行事は、舟で彼岸(ひがん)と此岸(しがん)を渡海するもので、日本の原初の信仰形態を伝えていて貴重なものだ。

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2008年7月号掲載)村上市史異聞 より

 

2021/07/15

006 羽黒神社の祭日

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イラスト:石田 光和(エム・プリント

 

村上羽黒神社の祭礼は、暦のころは6月7日であった。明治になり太陽暦になると7月7日になったが、季節的には変わりがない。では、なにゆえ雨期のさかりに祭りをするのか。羽黒神社の社殿が建立され、遷宮祭が行われたことに端を発する。確かにそれはそうだ。けれど、そんな単純な理由だけではあるまい。

 

祭神の月読命(つきよみのみこと)は「青海原の潮流を治め」る霊威を持つ、とは『日本書紀』の記すところだ。されば潮の干満を制御する月の運行に関るということになり、月の宇宙神と水霊を崇める信仰ということになる。

 

そのように考えると、梅雨のさなかに神を招き祭りを行うことは、月神=水神の霊力によって、水の過不足を調節して水害を防止し、豊作を祈願するためであったといえよう。

 

同社が農耕神であるもう一つの証拠は、合祀する倉稲命(うがのみたまのみこと/稲荷大神)と奈津比売命(なつひめのみこと/正しくは夏高津日命 なつたかつひめのみこと)であることだ。稲荷さまは説明するまでもなく、稲なりの神だ。

 

夏高津日の父神は羽山戸神(はやまどのかみ)で、山形県長井市白兎に葉山神社があり、大きな信仰圏を持っている。白兎は月を擬したもので、羽山=葉山は山神である。山神は春に里に降りると農耕神に変ずる。江戸時代初期の村上藩主・堀直竒(なおより)によって祀られた羽黒神社の祭礼は、水害の発生しやすい時季でなければならなかったし、作物の成長が一段と進む前でなければならなかった。

 

梅雨を乗りきり夏を越し、豊かな秋を迎えることを願ったのだ。いったい祭礼には人々のもっとも切実な願いがかけられる。災害・疫病・凶作などの忌み避けるべきこと、豊穣などへの期待すべきことで、それは過去も現在も変わらない。

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2008年6月号掲載)村上市史異聞 より

 

2021/06/15

005 夏越(なつこし)のみそぎはらい

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イラスト:石田 光和(エム・プリント

 

いまさら言うまでもないが、6月晦日は夏越の大祓の日である。この行事は全国いたるところの神社が行っていて、夏に浮遊して人々に禍(わざわい)や疫病をもたらす邪霊を祓い、延命を祈願する行事であるといわれている。その日に無病息災を得るために行う「茅の輪(ちのわ)くぐり」という呪(まじない)ごともある。

 

すなわち、強くて生命力の旺盛な茅(かや)には、神霊が宿るとされていたから、茅を束ねた輪をくぐることにより、神威が身体に憑(つ)くと信じられていた。また、この日には牛を海水に浸して害虫を落とすことも行われていた。これが土用の牛湯治に移行する。

 

しかし、わが国で牛が広く一般に農耕用として使用されるのは江戸時代からで、その以前は馬の使用が多い。平林城主 色部氏の『色部氏史料集』に6月の行事の「馬越(むまごし)」の到来品として「御茶、扇、白蒜(ひる)、干魚」などが記されている。

 

この馬越とは一体なにを意味する行事であろうか、と疑問であったが、馬の夏越であろうと推察するにいたった。それが牛の使用が多くなると牛の夏越に変わっていったと考えられる。

 

とはいえ、こうした行事は比較的時代が浅く、もともとは歳末の大晦日と同じく6月晦日も祖霊神を迎える日であったとされている。晦日から神を迎える準備をして、7月7日から精進潔斉に入り、盆の13日に祖霊が訪れるとすると、7日ごとの節目で月の満ち欠け・潮の干満に深く関わってくる。

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2008年5月号掲載)村上市史異聞 より

 

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