
イラスト:石田 光和(エムプリント)
妻有[つまり]城の山吉盛藤(盛春)といえば、三条城の山吉能盛[やまよし-よしもり]の弟で、盛藤は上杉顕定[うえすぎ-あきさだ]の部将となり、能盛は長尾為景[ながお-ためかげ]方の部将となっていたことは既述した。
その妻有の山吉盛藤の元に、「味方敗軍、あまつさえ御大将討死」「味方崩れたち、妻有城に向って敗走中」頻頻[ひんぴん]として敗報が伝えられてくると、城将・山吉盛藤は、「関東衆とは、かくも脆い兵であったか。いや、まさかそうではあるまい」などと心の中で反問したり、半信半疑であったりであったが、やがて敗残の兵がつれづれになって逃げ落ちてくると、顕定の敗死はまぎれもない事実ということを信じないわけにはゆかなくなった。
そこへ、うらなり瓢箪[ひょうたん]に兜をかぶせたような上杉憲房[のりふさ]が、数名のこれまた蹌踉[そうろう]*とした兵を伴って逃げてくると、落胆を隠しきれず肩を落し、大きな嘆息をつくと、呟くようにぼそぼそと、「ひとまず城中に潜み、時機を見計って関東へ帰り、捲土重来[けんどじゅうらい]*を期すことをお望みいたします」と言ったものの、憲房には顕定の仇を晴らすことなどできはしまいと思ったし、また、己は権力抗争の続く越後にいることも耐えられない思いで、沈痛にくもった眉を伏せて、「越後守護職の上杉房能[ふさよし]様が殺され、房能様の兄・顕定様が怒って、為景を討つため鎌倉からやってきたが、これまた逆に殺された。おらが山吉は家の存続のため、兄は上杉定実[さだざね]を担いだ長尾為景にくみし、弟の俺は主従の筋を通すべく房能様にお味方した。
*蹌踉 …よろめいて足取りがおぼつかなくなる様子
*捲土重来 …(戦いに)一度敗れた人が、また勢いを盛り返してくること
しかし、為景殿も房能様・顕景様も、苛斂誅求[かれんちゅうきゅう]*、万人のための政[まつりごと]なぞ、これっぽっちも思いやしない。おらが主家の上杉房能・顕定家は滅亡してしまったからには、俺らは寄る辺のない身となった。兄・能盛を頼って降人[こうにん]*となるか。ならばなにゆえ兄弟分れしてまで戦した。降人なんど筋が通らぬ。よし、いっそ武門[ぶもん]*を捨てよう。一族を安泰にするためには、武門を捨てて争いのない所で暮す、これしか道はあるまい。
*苛斂誅求 …人民の側の事情などを無視して、一方的に無理矢理税金を取り立てること
*降人 …敵に降参した人
*武門 …武士の家筋。武家
出羽・越後境に三面[みおもて]という桃源境のような所があると聞く。そうだ、一族をそこへ引っ越しさせよう」と決心し、一族の者にも言い含めた。そこで盛藤がたどった道は、荒川か三面川かのどちらかを遡行するかだが、荒川は伊達領の小国[おぐに]を経なければならない。だが三面川の下流域は本庄[ほんじょう]領である。かつて本庄時長[ときなが]は反長尾為景だったことから、ひとまず本庄を頼って、三面川を遡行していったものか。この山吉盛藤が小池大炊介[こいけ-おおいのすけ]と名を改め、「村上領山入、出羽国米沢領入山、境界三表[みおもて]の小池大炊介の則ち先祖なり」とは『上杉氏大系図』の記すところである。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2013年8月号掲載)村上市史異聞 より