HOMEイベント情報 > 令和8年 岩船七夕まつり

イベント情報

令和8年 岩船七夕まつり

まつり

2026年8月6日(木)

岩船地域に伝わる旧盆の民俗行事です

【ご注意ください】
以下の情報は例年の開催時のものです。
内容は最新情報が入り次第、随時更新していきます。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

江戸時代から続く旧盆の民俗行事です。ガツボ(マコモ)で作った馬を化粧し、茅の船に乗せて先祖の霊を迎えます。
住所 村上市岩船・旧岩船海水浴場付近
電話番号 0254-56-7071(岩船地域コミュニティセンター) 0254-56-7071(岩船地域コミュニティセンター)
開催期間 2026年8月6日(木)
アクセス(車) 【旧岩船海水浴場付近】日本海東北自動車道「神林岩船港IC」から車で約6分
大きなマップで目的地までのルートチェック

関連スポット

筏場通り[いかだばどおり]

庄内町から泉町に至る路で「筏場[いかだば]通り」といわれていた。筏場とは、三面川上流から筏を組んで流してきた木材の陸揚げ場で、ここから材木屋や木羽[こば]屋に運ばれた。 文政3(1820)年の『塩町軒付帳』には、木挽[こびき]9軒、木宿8軒。文久3(1861)年の『加賀町軒付帳』には、木挽11軒とある。 木挽とは、木材を製材する職人をいい、また木宿とは薪や炭を扱う薪炭[しんたん]屋をいう。 以後、近年まで塩町と加賀町には材木屋や製材所が集中していた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

一宮 河内神社

仁平元(1151)年に石黒総介正盛がこの地に一ノ宮河内大明神を建てたのが起こりといわれ、後白河天皇の第三皇子・頼威親王(雲上佐市郎)を祭ったものと伝えられています。承久の乱による地方の争いを背景とした歴代譜を持つ社です。

車屋の看板

一桁の電話番号が書かれた看板は、明治43(1910)年のもの。また、屋号が刻印された特注の屋根瓦も見ものです。目を凝らして探してみてください。 ※個人宅の看板なのでマナーを守ってご覧ください

越後村上鮭塩引き街道

村上の伝統文化である「塩引き鮭」が、各家の軒下に吊るされます。塩引き鮭は、腹の一部をつないだままにする「止め腹」と呼ばれる独特の切り方、下げる際も頭を下にするという特徴があります。このような点にも注目してご覧ください。 ≫2025年の実施期間 2025年12月1日(月)~20日(土)

観音寺

真言宗のお寺で、開基は権大僧都宗快上人であると伝えられています。わが国最後といわれる仏海上人の即身仏(明治36年入寂)の御姿が奉安されています。 【仏海上人】 文政11(1828)年5月9日、村上市安良町の近藤家の長男として生まれ、18歳で湯殿山 注連寺に入門し、本明寺でも修行。その間、15年にわたって仙人沢で荒行を重ね、伊豆・天城山や酒田の海向寺でも修行を行いました。35歳の時、五穀絶ちの木食行をはじめ、慶応3(1867)年に37歳で本明寺の住職となり、明治7(1874)年に村上の観音寺に戻ります。明治21(1888)年5月、注連寺が全焼したため、注連寺の住職となって寺を復興。再び故郷へ戻り、明治36(1903)年に76歳で入定しました。41年にわたる苦行を成し得た、日本最後の即身仏です。

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)

【2025.12.18更新|2025-26 年末年始の開館について】 ・12/28(日)…通常開館 ・12/29(月)~1/1(木・祝)…休館 ・1/2(金)・3(土)…臨時開館(10:00~15:00)※最終入館14:30 ※1/4(日)から通常開館します ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 村上大祭で引き回される「おしゃぎり」と呼ばれる山車を常時4台(うち1台は展示用)展示していることから「おしゃぎり会館」と呼ばれています。2階展示場には、村上藩歴代城主の資料や刀剣・甲冑などの歴史資料の展示を行っています。毎年3月には「城下町村上に伝わるひな人形展」を開催しています。

西奈彌神社[せなみ-じんじゃ]

千年以上も前に書かれた『延喜式神名帳』にある磐船郡8座の中にあり、長い歴史があります。福井県敦賀市にある氣比[けひ]神宮と深く関わりがあるといわれ、明治の初めまでは「氣比大明神[けひだいみょうじん]」「氣比大神宮[けひだいじんぐう]」と呼ばれていましたが、その後「西奈彌神社」と呼ばれるようになりました。現在でも、福井県の氣比神宮と同じ9月4日が祭礼です。江戸時代からの社殿は、明治18(1885)年10月の大火で焼失しました。本殿は、平成3(1991)年に再建されています。 『瀬波っていいね』(活気ある町瀬波まちづくり推進協議会)より

伊夜日子神社[いやひこ-じんじゃ]

瀬波温泉 噴湯公園(明治37年に温泉が噴出した温泉源泉井戸がある公園)内にあり、越後一宮 彌彦神社(西蒲原郡弥彦村)の御神霊を分霊して祭っています。本殿から、さらに石段を上っていくと奥の院があり、そこからは瀬波の温泉街や日本海が一望できます。

村上市指定文化財 旧岩間家住宅

【2025.12.18更新|2025-26 年末年始の開館状況】 旧岩間・嵩岡・藤井家住宅は12/27(土)~1/4(日)休館いたします ※1/5(月)から通常開館します ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 東西方向に棟を持つ直屋・寄棟造りの茅葺き住宅で、平成7(1995)年に現在地に移築復原されました。建設当初は連棟式の長屋形式の住宅であったものを、安政5(1858)年に一戸建の武家住宅に大改造しました。茅葺き屋根の梁間が二間と小さく、背面の増築した下屋根が大きいことでも伺い知ることができます。 【旧岩間家住宅の旧所在地】 旧岩間家住宅は、現在の新潟県村上市飯野2丁目にあったものを現在地に移築復原したものです。旧所在地は、江戸時代に五軒町と呼ばれていたところで、町人町(細工町)と接していました。明治初年の城下絵図によると、この岩間家の位置に「須貝勝太郎」と記されていることから、もとはこの村上藩士・須貝勝太郎の屋敷であったと推測されます。 なお、岩間氏の先祖は山形県の旧新庄藩の武士であったと伝えられており、この屋敷については昭和23年に取得し現在に至っていますが、住宅部分については村上市へ寄付されました。 また、この岩間家住宅は平成4年9月21日に村上市の有形文化財として指定されましたが、茅葺屋根等の破損と老朽化が激しく、一時的な補修では建物の維持が図れないということから、同年12月に、移築復原を前提とした解体と部材の保存格納が行われました。 (村上市郷土資料館) 【復原調査と安政5(1858)年の大改造】 この住宅の構造形式は「直屋[すごや]・寄棟造・茅葺・一戸建」であり、典型的な村上の武家住宅の形式であるといえますが、この住宅の特徴は、この建物が建設された当初の形態と安政5年に行われた大改造後の形態がまったく異なるものになったことです。 武家住宅というのは基本的には藩の官舎であり、身分や格式によって厳しい建築規制がありました。つまり、その武士の身分や格式によって住まいする住宅の規模や形式が決まっていたため、長屋形式の住宅に住まうのは下級武士であり、それに対して一戸建形式の住宅に住まうのは中級以上の武士でした。このことからも、こうした建物の形式そのものを変えるような改造は、よほどのことがない限り行われなかったのではないかと考えられます。 この改造が行われた時期については、改造によって取り払われた部材の痕跡を隠すために使用した「カブセ」という小部材の裏に、当時の大工が書いた「墨書[ぼくしょ]」が発見されたことによります。そこには「安政五戌年午歳五月吉日 大工 羽黒町清八造之」と記されていました。こうした職人による墨書や落書きによって建築年代や改造年代が判明することは珍しいことではありませんが、この場合の大工清八の墨書は、建設当初からのものではなく改造時のものであり、当初の建物が建設されたのは、おそらくもう50~60年前にさかのぼると思われます。 では、建設当初はどのような形態であったかというと、本来は2棟続きの《長屋形式》の住宅でした。そして、何か特別な事情が背景にあったのか、その2棟続きの長屋住宅の一方の材料を活用しながら、安政5年に《一戸建形式》に改造したものといえます。 (村上市郷土資料館)

御蔵屋敷通り

「御蔵」とは、藩の米蔵のことである。この場所には藩の米蔵があったので、米蔵が撤去された以降も御蔵屋敷通りといわれた。 この蔵屋敷の上と下には、吉田門と小石垣門があり、両脇は堀であった。現在、堀は埋められ、土居は崩されて、当時の姿を見ることはできない。しかし、この狭い路を通ると、重要文化財 若林家住宅の裏の生け垣などがあり、武家町の小路としての雰囲気を漂わせている。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

先頭に戻る