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イベント情報

令和8年 岩船七夕まつり

まつり

2026年8月6日(木)

岩船地域に伝わる旧盆の民俗行事です

江戸時代から続く旧盆の民俗行事です。ガツボ(マコモ)で作った馬を化粧し、茅の船に乗せて先祖の霊を迎えます。
住所 村上市岩船・旧岩船海水浴場付近
電話番号 0254-56-7071(岩船地域コミュニティセンター) 0254-56-7071(岩船地域コミュニティセンター)
開催期間 2026年8月6日(木)
アクセス(車) 【旧岩船海水浴場付近】日本海東北自動車道「神林岩船港IC」から車で約6分
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関連スポット

【2026年営業中止】ゴールドパーク鳴海(鳴海金山)

【2026.04.24更新|2026(令和8)年度の営業中止について】 朝日スーパーラインが通行止めのため、2026(令和8)年度の営業を中止いたします。楽しみにされていた皆様には大変申し訳ありませんが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 慶長年間には、全国の産金量の3分の1を産出したといわれている鳴海金山跡(黄金坑・大切坑)は、当時のタヌキ掘り(手掘り)の跡と荒々しい岩肌が残されたままになっています。千二百年の時を越え、現代によみがえった鳴海金山の姿をご覧ください。

藤基神社[ふじもと-じんじゃ]

藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造り。嘉永2(1849)年に当時の工匠がその技を結集し、8年の歳月を費やして造り上げたものです。村上が生んだ工匠・有磯周斎[ありいそ-しゅうさい]による、かご彫りと呼ばれる彫刻の傑作を各所に残しています。 ご祭神は、徳川家康侯の異母弟に当たり、徳川家十七士の一人でもある村上藩の藩祖・内藤信成[のぶなり]侯、十代目の信敦[のぶあつ]侯、十一代目の信思[のぶもと]侯を祭っています。 八幡大神[やわたのおおかみ]、誉田大神[ほんだのおおかみ]、火帯姫大神[ほたらしひめのおおかみ]、稲荷大神[いなりのおおかみ]、倉稲魂神[うかのみたまのかみ]、秋葉大神[あきばのおおかみ]、火産霊神[ほむすひのかみ]、学問の神である菅原道真公を祭っています。

如意山 十輪寺

創立は不詳。参道には九品仏の一つ、中品下生仏と閻魔堂があり、十輪寺のご本尊・地蔵菩薩は「火消し地蔵」と呼ばれて地域の守り神として親しまれています。 毎月23日には、厄払い・開運の「護摩祈祷」を行っています。また、3~10月の第4日曜日には、町屋通りにて「十輪寺えんま堂の骨董市」が催され、多くの人出でにぎわいます。

イヨボヤ会館

≫臨時開館のお知らせ 2026年11月11日(水・鮭の日)は臨時開館します。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「イヨボヤ」とは、村上の方言でサケ(鮭)のこと。館内では、サケをはじめ、さまざまな淡水魚等を観察できます。サケ漁に使われる漁具の展示、コンピューターゲームで楽しくサケのことが学べる「こどもサケ科学館」等、サケの生態や村上の鮭文化を知ることができます。また、三面川の分流・種川の中をガラス越しに観察でき、自然の川の様子や秋には遡上するサケをご覧になれます。タイミングが合えば、産卵の瞬間に出合えることも!

筥堅八幡宮社叢[はこがた-はちまんぐう-しゃそう]

筥堅八幡宮は、延喜21(921)年に福岡筥崎宮の八霊を筥堅山に迎えて建設されました。社殿は、日本海の荒波を望む海抜約60mの北側と西側に絶壁のある岩山(筥堅山)の山頂に鎮座しています。筥堅山は、文字通り筥(箱)を積み重ねたように海岸に突き出た山容をしており、山全体が神を祭る巨大な磐境[いわさか]になっています。神の山として社叢内を保護したため、原始林相が保たれました。カヤ・アサダの大樹は県内一といわれています。

浄念寺

文化15(1818)年に建てられた本堂は、この地方では珍しい白壁土蔵造で、日本で一番大きなこともあり、平成3(1991)年に国の重要文化財に指定されています。 建築については、防火を考えて大壁の土蔵造りとし、屋根はこけら葺きにしました。丈六の阿弥陀如来像を安置するため、棟木の高さが35尺にもなり、それにふさわしく梁間9間・桁間11間、2階部分もそれぞれ6間・9間という大きさになりました。 本尊は丈六(5m)の阿弥陀如来の座像(木像)で、この地方には類のない大きさで見事なものです。なお、本堂は間部詮房の百回忌に合わせて江戸で設計され、村上の大工の手で建築されたものです。 また、芭蕉と曽良が参詣したことでも知られています。

村上城跡(お城山)

村上城は、標高135mの独立峰・臥牛山[がぎゅうさん]に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11(1568)年の上杉謙信との篭城戦など、幾度も戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後の中心拠点として整備されました。 山頂までの道は整備され、約20分ほどで登ることができます。村上のシンボルとして近隣住民はもちろん、観光客もたくさん訪れる名所です。 ≫ご注意ください ・ゴミ箱は設置されていません。出たゴミは必ずお持ち帰りください ・山頂(天守跡)に自動販売機やトイレはありません。自動販売機は登城口に、トイレはお城山児童公園をご利用ください ・音の出るもの(熊鈴・ラジオ等)を携行し、複数人で行動するなど、クマとの遭遇を避ける対策を行ってください

赤坂屋小路

赤坂屋は、大町の大手門脇にあった商家・大年寄伊與部助次郎である。赤坂屋小路の由来は、この赤坂屋の敷地内に造られた私道に由来すると思われる。 文政9(1826)年の町絵図では、間口22間5尺6寸、奥行は堀まで28間5尺という広大なものであった。 酒造業を営んでいたが、持株は5本で2,120株。村上町は全部で38本、10,109株であったから、その2割を持っていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

越後村上 町屋通り

村上市中央商店街の小町[こまち]~大町[おおまち]~上町[かんまち]の通りには、昔ながらの町屋造りを活かした建物が数多く立ち並んでいます。「越後村上 町屋通り」をぶらり歩いて、城下町・村上の風情をご堪能ください。

耕雲寺

耕雲寺は、応永元(1394)年に傑堂能勝禅師が開かれた寺で、傑堂の師・梅山聞本禅師を開祖としています。能勝は楠正成の孫に当たるといい、正平10(1355)年に楠正儀の次男に生まれ、名は正能と伝えられています。能勝は応永34(1427)年8月7日に73歳で耕雲寺で亡くなりましたが、その間に寺を離れたことがなく、宗門の学問に打ちこまれ、立派な弟子を育てました。 耕雲寺は末寺が80、孫寺以下を合わせると800にも及ぶという曹洞宗寺院の名刹です。

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