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鮭 ― いよぼや ―

 

2025/09/10

鮭に関する村上ことば【鮭の子】

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さけ-の-こ
鮭の子

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ここでいう「鮭の子」とは、鮭の卵や稚魚のことではなく、明治維新後に村上藩の旧藩士らが設立した村上鮭産育養所[むらかみ-けいさん-いくようじょ]の奨学金で学んだ人々(旧藩士の子弟)のことをいいます。

明治維新後に実施された廃藩置県で禄を失った村上藩の旧藩士は、これまで藩の財政を支えてきた鮭の恵みを得るため、1872(明治5)年に資金を出し合い、鮭川(三面川[みおもてがわ]のこと)の漁業権を取得します。また、1878(明治11)年には本格的なふ化場を造り、当時最先端だった鮭の人工ふ化事業にも取り組みました。

人工ふ化と三面川支流・種川で青砥武平治[あおと-ぶへいじ]が推し進めた「種川の制」による天然ふ化、この二つの増殖事業は徐々に軌道に乗り、1882(明治15)年には組織を改め、財団法人村上鮭産育養所(以下、育養所)が設立されます。

育養所が得た収入は、川や施設の維持保全に使われただけでなく、各種団体への助成や慈善・社会福祉事業への寄付、公共施設の建設、そして旧藩士子弟の教育に投じられました。育養所の奨学金を受けた子らは、鮭の恩恵により学んだことから「鮭の子」と呼ばれたのです。

鮭の子には、三好愛吉(皇子傳育官長)や川上俊彦(外交官)、大和田愛羅(音楽家)などがおり、さまざまな分野で活躍する人物を輩出しました。皇后雅子様の祖父・小和田毅夫(教育者)も鮭の子であったことは広く知られています。

教育を重んじる村上藩の精神は、藩なき後も旧藩士たちに受け継がれ、その子らが世界へ羽ばたいていく礎となったのです。

 

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