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鮭のまち・村上の鮭に関する話題を
こつこつ紹介しています。

 

あなたが知らなかった
鮭トリビアにも出合える!?
……かもしれませんよ。

 

記事中で紹介している商品価格・店舗情報等は
取材当時のものです。あらかじめご了承ください。

 

 

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鮭 ― いよぼや ―

 

2025/11/01

【2025】三面川で鮭漁が始まりました

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撮影日:2025年10月21日

10月21日(火)、三面川[みおもてがわ]で三面川鮭産漁業協同組合(以下、鮭産漁協)の鮭漁が本格始動し、期間限定の鮭直売所も同日オープンしました。

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三面川・大川・荒川の鮭漁 ~村上の河川で行われている鮭漁を紹介~

 

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撮影日:2025年10月17日

この日に先駆け、10月17日(金)には「令和7年度 三面川鮭大漁祈願祭」が執り行われ、西奈彌神社[せなみ-じんじゃ]吉田宮司による神事に鮭産漁協職員をはじめ、市内関係者ら約20人が参列し、三面川での鮭漁の安全と大漁を祈願しました。

 

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初日は、残念なことにウライ(一括採捕)のおとし籠に鮭は一匹も入っておらず、漁を見学していた人たちからも落胆の声が上がりました。しかし、その後は気温が下がってきたこともあってか、日に数匹の鮭が捕れているとのことです。

 

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2024年撮影

三面川左岸、ウライの下流では伝統漁法の居繰網漁[いぐりあみりょう]*も実施されています。居繰網漁は11月末まで、ウライ漁(一括採捕)は12月上~中旬を予定しています。

イベント情報
2025(令和7)年度 三面川の居繰網漁[みおもてがわ-の-いぐりあみりょう]

 

昨年、一昨年と不漁が続き、今や貴重な魚となりつつある鮭。しかし、ここ村上において鮭は単なる食材としてだけではなく、千年以上も前から共にあり、暮らしを支え、固有の文化を育んできた特別な魚です。村上が誇る鮭文化の一端である、三面川の鮭漁をこの機会にぜひご覧ください。

≫鮭直売所の営業について
10/21~12月上旬の期間限定で営業予定ですが、現在は安定して鮭が捕れていないため休業する日が多くなっています。当日の営業状況については、三面川鮭産漁業協同組合(TEL 0254-52-3758)までお問い合わせください。

 

 

2025/10/20

【鮭にまつわる神事】第26回 鮭魂祭

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2025年10月16日(木)、三面川[みおもてがわ]へ帰ってくる鮭への感謝と、これから始まる鮭漁の安全と豊漁を願う神事、鮭魂祭[けいこんさい]が西奈彌羽黒神社[せなみ-はぐろじんじゃ]で執り行われ、主催の「せなみすみれの会」メンバーをはじめ、市内の関係者など15名が参列しました。

 

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神前に供えられたオスの鮭は岩船沖で捕れたもの

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西奈彌羽黒神社 江見宮司による神事

 

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神事の後、せなみすみれの会顧問・山貝世津子[やまがい-せつこ]さんは、あいさつで「昨今は鮭が捕れず、寂しい思いをしている」と切り出し、神事を絶やさず祈り続け、次世代へ村上の鮭文化をつなげていくことが、会の大切な仕事であると締めくくりました。

 

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その後、村上鮭加工業組合から三面川鮭産漁業協同組合へ寄付金が手渡されました。

 

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最後に、三面川鮭産漁業協同組合 代表理事組合長・佐藤克雄さんが現在の状況を解説。今夏は高温が続いたため海水温が下がっておらず、また9月半ばに三面川上流の猿田川[さるたがわ]で出水し、いまだに川の水が濁っていることなどから、三面川ではまだ鮭が捕れていないと話し、10/21(火)から始まるウライ漁(一括採捕)等に期待を込めました。

 

≫関連記事
・ウライ漁(一括採捕)について
三面川・大川・荒川の鮭漁 ~村上の河川で行われている鮭漁を紹介~
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2025(令和7)年度 三面川の居繰網漁[みおもてがわ-の-いぐりあみりょう]

 

2025/09/10

鮭に関する村上ことば【鮭の子】

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さけ-の-こ
鮭の子

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ここでいう「鮭の子」とは、鮭の卵や稚魚のことではなく、明治維新後に村上藩の旧藩士らが設立した村上鮭産育養所[むらかみ-けいさん-いくようじょ]の奨学金で学んだ人々(旧藩士の子弟)のことをいいます。

明治維新後に実施された廃藩置県で禄を失った村上藩の旧藩士は、これまで藩の財政を支えてきた鮭の恵みを得るため、1872(明治5)年に資金を出し合い、鮭川(三面川[みおもてがわ]のこと)の漁業権を取得します。また、1878(明治11)年には本格的なふ化場を造り、当時最先端だった鮭の人工ふ化事業にも取り組みました。

人工ふ化と三面川支流・種川で青砥武平治[あおと-ぶへいじ]が推し進めた「種川の制」による天然ふ化、この二つの増殖事業は徐々に軌道に乗り、1882(明治15)年には組織を改め、財団法人村上鮭産育養所(以下、育養所)が設立されます。

育養所が得た収入は、川や施設の維持保全に使われただけでなく、各種団体への助成や慈善・社会福祉事業への寄付、公共施設の建設、そして旧藩士子弟の教育に投じられました。育養所の奨学金を受けた子らは、鮭の恩恵により学んだことから「鮭の子」と呼ばれたのです。

鮭の子には、三好愛吉(皇子傳育官長)や川上俊彦(外交官)、大和田愛羅(音楽家)などがおり、さまざまな分野で活躍する人物を輩出しました。皇后雅子様の祖父・小和田毅夫(教育者)も鮭の子であったことは広く知られています。

教育を重んじる村上藩の精神は、藩なき後も旧藩士たちに受け継がれ、その子らが世界へ羽ばたいていく礎となったのです。

 

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