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鮭のまち・村上の鮭に関する話題を
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あなたが知らなかった
鮭トリビアにも出合える!?
……かもしれませんよ。

 

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鮭 ― いよぼや ―

 

2026/01/05

【鮭にまつわる神事】第14回 水神様

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供物を乗せた舟を三面川に流しました(舟は回収します)

2025年12月15日、三面川鮭産漁業協同組合 第三ふ化場内の鮭直売所(村上市羽下ケ渕)にて第14回 水神様が執り行われ、主催する「せなみすみれの会」会員をはじめ、大滝敏文副市長や江戸時代に鮭不漁から村上藩を救った藩士・青砥武平治[あおと-ぶへいじ]の子孫など、関係者ら11名が参列しました。

 

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西奈彌羽黒神社[せなみ-はぐろじんじゃ]の江見宮司による神事では、水にまつわる神々と村上の川に戻ってきてくれた鮭に感謝の祈りを奉げました。

 

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神事の後、せなみすみれの会・吉川杏理会長があいさつに立ち、「全国的な鮭の不漁が続いているが、これからも鮭のまち・村上の大切な神事を絶やすことなく続けていきたい」と話しました。

 

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神事に参列した三面川鮭産漁業協同組合の佐藤克雄代表理事組合長は、ことし三面川で捕れた鮭は700匹弱*だったと言い、不漁といわれた2024年よりもさらに1/10程度しか捕れていないと話しました。しかし、千年以上続く村上と鮭の歴史の中で、不漁の年はこれまで幾度もあり、先人たちはそれを乗り越えてきたと続け、これからも三面川の鮭という資源を大切にしていかなくてはならないと力を込めました。
*2025年12月10日時点

 

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閉会後、参加者は葦[あし]を組んだ3艘の舟を抱えて三面川右岸へ移動。鮭の一ビレ(胸ビレが付いたカマの部分)や赤飯、お神酒といった供物を乗せた舟を川の流れに放ち、水の神と川によってもたらされた一年の恵みに改めて感謝しました。

 

2025/10/20

【鮭にまつわる神事】第26回 鮭魂祭

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2025年10月16日(木)、三面川[みおもてがわ]へ帰ってくる鮭への感謝と、これから始まる鮭漁の安全と豊漁を願う神事、鮭魂祭[けいこんさい]が西奈彌羽黒神社[せなみ-はぐろじんじゃ]で執り行われ、主催の「せなみすみれの会」メンバーをはじめ、市内の関係者など15名が参列しました。

 

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神前に供えられたオスの鮭は岩船沖で捕れたもの

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西奈彌羽黒神社 江見宮司による神事

 

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神事の後、せなみすみれの会顧問・山貝世津子[やまがい-せつこ]さんは、あいさつで「昨今は鮭が捕れず、寂しい思いをしている」と切り出し、神事を絶やさず祈り続け、次世代へ村上の鮭文化をつなげていくことが、会の大切な仕事であると締めくくりました。

 

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その後、村上鮭加工業組合から三面川鮭産漁業協同組合へ寄付金が手渡されました。

 

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最後に、三面川鮭産漁業協同組合 代表理事組合長・佐藤克雄さんが現在の状況を解説。今夏は高温が続いたため海水温が下がっておらず、また9月半ばに三面川上流の猿田川[さるたがわ]で出水し、いまだに川の水が濁っていることなどから、三面川ではまだ鮭が捕れていないと話し、10/21(火)から始まるウライ漁(一括採捕)等に期待を込めました。

 

≫関連記事
・ウライ漁(一括採捕)について
三面川・大川・荒川の鮭漁 ~村上の河川で行われている鮭漁を紹介~
・イベント情報
2025(令和7)年度 三面川の居繰網漁[みおもてがわ-の-いぐりあみりょう]

 

2025/09/10

鮭に関する村上ことば【鮭の子】

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さけ-の-こ
鮭の子

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ここでいう「鮭の子」とは、鮭の卵や稚魚のことではなく、明治維新後に村上藩の旧藩士らが設立した村上鮭産育養所[むらかみ-けいさん-いくようじょ]の奨学金で学んだ人々(旧藩士の子弟)のことをいいます。

明治維新後に実施された廃藩置県で禄を失った村上藩の旧藩士は、これまで藩の財政を支えてきた鮭の恵みを得るため、1872(明治5)年に資金を出し合い、鮭川(三面川[みおもてがわ]のこと)の漁業権を取得します。また、1878(明治11)年には本格的なふ化場を造り、当時最先端だった鮭の人工ふ化事業にも取り組みました。

人工ふ化と三面川支流・種川で青砥武平治[あおと-ぶへいじ]が推し進めた「種川の制」による天然ふ化、この二つの増殖事業は徐々に軌道に乗り、1882(明治15)年には組織を改め、財団法人村上鮭産育養所(以下、育養所)が設立されます。

育養所が得た収入は、川や施設の維持保全に使われただけでなく、各種団体への助成や慈善・社会福祉事業への寄付、公共施設の建設、そして旧藩士子弟の教育に投じられました。育養所の奨学金を受けた子らは、鮭の恩恵により学んだことから「鮭の子」と呼ばれたのです。

鮭の子には、三好愛吉(皇子傳育官長)や川上俊彦(外交官)、大和田愛羅(音楽家)などがおり、さまざまな分野で活躍する人物を輩出しました。皇后雅子様の祖父・小和田毅夫(教育者)も鮭の子であったことは広く知られています。

教育を重んじる村上藩の精神は、藩なき後も旧藩士たちに受け継がれ、その子らが世界へ羽ばたいていく礎となったのです。

 

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