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イヨボヤ小ネタ帳 イヨボヤ小ネタ帳

 

鮭のまち・村上の鮭に関する話題を
こつこつ紹介しています。

 

あなたが知らなかった
鮭トリビアにも出合える!?
……かもしれませんよ。

 

記事中で紹介している商品価格・店舗情報等は
取材当時のものです。あらかじめご了承ください。

 

 

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鮭 ― いよぼや ―

 

2026/04/20

【2026】令和8年度 三面川さけ・ます稚魚放流式

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4月13日(月)、村上市羽下ケ渕[はげがふち]の三面川鮭産漁業協同組合 第3ふ化場で「令和8年度 三面川さけ・ます稚魚放流式」(主催:三面川鮭産漁業協同組合)(以下、鮭産漁協)が行われ、新潟県知事・村上市長などの来賓や関係者、市内6小学校*の児童、中等教育学校の生徒ら約190名が参列しました。
*村上、村上南、瀬波、朝日さくら、小川、山辺里[さべり]

 

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鮭産漁協の代表理事組合長・佐藤克雄さんは、式辞の中で参列する児童・生徒に「皆さんは、サッカーでいうと三面川の強烈なサポーター」と話しかけ、この後に放流する鮭・サクラマスの稚魚について「大事に川に放してほしい」と伝えました。

 

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式の後は、三面川右岸へ移動して稚魚を放流しました。

 

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上の写真、左が鮭・右がサクラマスの稚魚です。どちらも体長は6cmほど。この日放流した稚魚は、鮭500匹・サクラマス2万匹でした。

 

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小さなバケツに入った稚魚を、優しい手つきで川の流れに放つ子どもたち。皆それぞれに「大きくなれよ!」や「元気でね!」などと声を掛けていました。村上南小学校5年生・鈴木彩梛[さな]さんは、バケツの中の稚魚を見て「意外と大きかった」と言い、続けて「大きくなって戻ってきてほしい」と話してくれました。

三面川では、昨年度に捕れた鮭は1,415匹、採卵数も7.5万粒と厳しい状況が続いています。この日放流した鮭・サクラマスの稚魚が3~4年後にまた戻ってきてくれることを願ってやみません。

2026/01/20

お土産にいかが? ~鮭ステッカー~

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鮭のまち・村上で、新しい鮭グッズの鮭ステッカー(1枚200円・税込)が販売中です。このステッカーは、公益財団法人 イヨボヤの里開発公社・村上商工会議所・一般社団法人 村上市観光協会・村上市観光課の4者で構成された「村上にぎわい委員会」が手掛けたもの。同委員会では、主に①村上市のにぎわい創出に関する事業 ②鮭に関係する地域活性化事業に取り組み、その活動の第1弾として、この鮭ステッカーが製作されました。

 

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鮭ステッカーは、現在はイヨボヤ会館・おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)・村上商工会議所(外部リンク)・村上駅前観光案内所「むらかみ旅なび館」で好評販売中です。価格も手頃でちょっとしたおみやげにも最適、海外からのお客様にも人気とのこと。お手持ちの携帯電話やノート・手帳などに貼ってお楽しみください。

 

 

2025/09/10

鮭に関する村上ことば【鮭の子】

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さけ-の-こ
鮭の子

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ここでいう「鮭の子」とは、鮭の卵や稚魚のことではなく、明治維新後に村上藩の旧藩士らが設立した村上鮭産育養所[むらかみ-けいさん-いくようじょ]の奨学金で学んだ人々(旧藩士の子弟)のことをいいます。

明治維新後に実施された廃藩置県で禄を失った村上藩の旧藩士は、これまで藩の財政を支えてきた鮭の恵みを得るため、1872(明治5)年に資金を出し合い、鮭川(三面川[みおもてがわ]のこと)の漁業権を取得します。また、1878(明治11)年には本格的なふ化場を造り、当時最先端だった鮭の人工ふ化事業にも取り組みました。

人工ふ化と三面川支流・種川で青砥武平治[あおと-ぶへいじ]が推し進めた「種川の制」による天然ふ化、この二つの増殖事業は徐々に軌道に乗り、1882(明治15)年には組織を改め、財団法人村上鮭産育養所(以下、育養所)が設立されます。

育養所が得た収入は、川や施設の維持保全に使われただけでなく、各種団体への助成や慈善・社会福祉事業への寄付、公共施設の建設、そして旧藩士子弟の教育に投じられました。育養所の奨学金を受けた子らは、鮭の恩恵により学んだことから「鮭の子」と呼ばれたのです。

鮭の子には、三好愛吉(皇子傳育官長)や川上俊彦(外交官)、大和田愛羅(音楽家)などがおり、さまざまな分野で活躍する人物を輩出しました。皇后雅子様の祖父・小和田毅夫(教育者)も鮭の子であったことは広く知られています。

教育を重んじる村上藩の精神は、藩なき後も旧藩士たちに受け継がれ、その子らが世界へ羽ばたいていく礎となったのです。

 

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