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イベント情報

令和8年 大須戸能 定期能

芸術・文化

2026年4月3日(金)

過去の様子

過去の観覧の様子

村上市大須戸に伝わる「大須戸能」の定期能です

【ご注意ください】
以下の情報は例年の開催時のものです。
内容は最新情報が入り次第、随時更新していきます。

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≫大須戸能の由来
嘉永5(1852)年2月の記録に「古来の能装束が切損し役に立たなくなったので奉納を願う」とあることから推して、大須戸能の起源はこれよりなお久しく遡るものと推定される。
伝によれは弘化元(1844)年の冬、庄内の黒川能役者・蛸井甚助が当地(大須戸)に逗留した際、庄屋・神主など村人19人の能社中が、数年にわたり熱心な指導を受け、嘉永4(1851)年3月、鎮守・八坂神社の社殿ではじめて演能したが、当時すでに式三番の外能十五番を習得していたという。
神社の境内には、蛸井甚助が帰郷する際、記念に残したといわれる「黒川や 上に流れて 花の郷」なる句碑がある。
その後、明治・大正・昭和にかけて、さらに庄内黒川より師を招き、新たに十番を習得した。
能が神事として演じられたのは、昭和7(1932)年に八坂神社が村社に昇格してからで、以前は1月11日の山神祭の日と、4月3日の節句に演じられていた。
八坂神社の境内には、古くから能舞台が設けてあったが、雪害で壊れて以来、しばらく再建をみなかった。その後、大正2(1913)年3月の大正天皇即位を記念して建設した能舞台も老朽化し、昭和63(1988)年現在の能舞台が新設された。

≫中山家との関係
集落の旧家・中山与惣右衛門家は、創立当時より代々、能の斯道奨励の衝にあたり、能装束をはじめ幕・組立式能舞台・能面等の寄進、後継者の養成など、伝統系能の維持につとめ今日に及んでいる。
住所 村上市大須戸・八坂神社 能舞台
電話番号 0254-53-7511(村上市役所 生涯学習課 文化行政推進室) 0254-53-7511(村上市役所 生涯学習課 文化行政推進室)
開催期間 2026年4月3日(金)
開催時間 13:00 ~ 16:00(予定)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「朝日まほろばIC」から国道7号を経由し、車で約12分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『大須戸線』に乗車、バス停「大須戸」下車(バス停から徒歩で約5分)
主催者 大須戸能保存会
大きなマップで目的地までのルートチェック

関連スポット

まいづる公園

まいづる公園は、皇太子殿下・雅子妃殿下の御成婚を記念した公園であり、南東方向に村上城跡(別名:舞鶴城)を臨み、公園内には雅子妃殿下ゆかりの旧嵩岡家住宅のほか、旧岩間家を移築復原することにより、市民の祝意を永く顕すとともに村上藩士の生活文化を展する重要な歴史文化施設としても意義深い公園です。

早撰堂

江戸時代から続く、国の登録有形文化財に指定された大正ロマンあふれる和菓子店。建物は明治26(1893)年建築、平成16(2004)年に町屋再生プロジェクト第1号として外観を大正時代風に改装しました。箱階段に組み込まれた金庫の重厚さが目を引きます。

イヨボヤ会館

「イヨボヤ」とは、村上地方の方言でサケ(鮭)のこと。館内では、サケをはじめ、さまざまな淡水魚等を観察できます。サケ漁に使われる漁具の展示、コンピューターゲームで楽しくサケのことが学べる「こどもサケ科学館」等、サケの生態や村上の鮭文化を知ることができます。また、三面川の分流・種川の中をガラス越しに観察でき、自然の川の様子や秋には遡上するサケをご覧になれます。タイミングが合えば、産卵の瞬間に出合えることも!

伊夜日子神社[いやひこ-じんじゃ]

瀬波温泉 噴湯公園(明治37年に温泉が噴出した温泉源泉井戸がある公園)内にあり、越後一宮 彌彦神社(西蒲原郡弥彦村)の御神霊を分霊して祭っています。本殿から、さらに石段を上っていくと奥の院があり、そこからは瀬波の温泉街や日本海が一望できます。

孫惣刃物鍛冶[まごそう-はものかじ]

かつては40を越える鍛冶屋が軒を連ねていた村上市鍛冶町。昔ながらの仕事場を残し、現存する建物が最後の一軒となったため、街角博物館として再生されました。 館内では、かつて使われていた鍛冶道具などを展示公開。また、例年「城下町村上 町屋の人形さま巡り」や「城下町村上 町屋の屏風まつり」などのイベントでは、仕事場奥の茶の間に、かわいらしい土人形や屏風も飾られます。

出羽街道(小俣~大沢)

村上市山北地区の山間を18kmにわたり横断している、かつては松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で越後入りした街道。芭蕉は元禄2(1689)年8月12日に中村(現:北中集落)に宿をとったといわれています。緑豊かな自然の中に、昔あった番所や宿場の集落が現在に息づいています。北中芭蕉公園、大沢峠の石畳、小俣集落のまち並みなどが見どころです。

九品仏 中品下生 十輪寺境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

九品仏 下品上生 安泰寺境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

小俣宿

かつて日本の主要道であった出羽街道の宿場町として、出羽三山への参拝者など多くの人々が訪れました。明治維新では戊辰戦争の戦場となり、集落のほとんどが焼き払われましたが、その跡に再建された家々が現在も残っており、この貴重な小俣集落のまち並みをつくっています。心のふるさとを感じさせてくれる趣があります。

村上市指定文化財 旧成田家住宅

村上で現存している武家住宅の中では、唯一玄関が妻側に位置する形態で、建築年代は幕末から明治にかけてと推定され、平成8(1996)年に復原後、一般公開されています。 【旧成田家住宅と『諸国廻遊日録』】 旧成田家住宅は、現在の村上市新町にある。ここは、江戸時代の内藤氏治政世下においては旧武家町に属し、村上城本丸に通じる下渡門[げどもん]の近くで、比較的中級武士の住宅が集中していたところである。 『諸国廻遊日録』とは、九州佐賀藩士・牟田高惇という侍が、武者修行で諸国を巡り歩いたときの日記のようなもので、その日記によると、嘉永7(1854)年7月頃に村上にも立ち寄り、七夕祭りなどのことが記載されている。このとき、牟田高惇が宿としたところが、当時は空き家であった「元岡本左太夫」の屋敷であったことが日記にあり、明治初年の城下絵図にも、旧成田家住宅の位置には岡本左太夫という名前があり、これが現在の位置に比定される。 しかし、明治の村上藩士の分限帳(名簿)には、この岡本左太夫という名前は見当たらないことと、牟田高惇が訪れた頃、すでに空き家であったことから、どのような武士が住んでいた住宅であったかは現在のところ不明である。 (村上市郷土資料館) 【旧成田家住宅と復原調査】 この住宅の構造形式は、直屋[すごや]・寄棟造・茅葺であり、典型的な村上の武家住宅の形式であるといえるが、玄関の位置については、現存しているほとんどの武家住宅が平入りの玄関であるのに対して、妻入りの玄関であることが大きな特徴であるといえる。 また、建物の改造痕跡や技法などの調査からも、これまでに若林家や嵩岡家、岩間家などとは異なる面がかなりあり、特に技法的には一段と進んだ方法が見られる。さらに、先の『諸国廻遊日録』には、元岡本左太夫の住宅間取りも記載されているが、この記述と復原調査からの間取りとも合致しない点がかなりある。 このようなことから、『諸国廻遊日録』にある屋敷を前身建物として、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、従来の武家住宅の建築方法や技法を踏襲しながら、新たに建て替えられた再生武家住宅であるという考え方もできる。いずれにしろ、この住宅が江戸時代から明治時代へと移り変わるときに建築されたことを考えるならば、村上の住宅の歴史や変遷を理解する上で貴重な歴史的建造物であることには間違いはない。 (村上市郷土資料館)

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