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2020/12/16

まちの中の鮭【6】種川碑

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村上市三之町にある藤基神社の境内には、村上藩士・青砥武平治の頌徳碑として建立された「種川碑」(写真右側)があります。
※左側の石碑は鳥居三十郎の追悼碑

 

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三面川河口を見つめるように立つ青砥武平治像(村上市鮭公園内)

藩の郷村役だった青砥武平治は、鮭の母川回帰性に注目し、藩へ三面川に分流の「種川」造成を献策します。本流ではこれまでどおり漁を行い、分流の種川では鮭を保護して産卵を促し、鮭を増やすというものです。

 

時の村上藩主・内藤信凭(のぶより)は武平治の策を取り入れ、河川改修と鮭の保護に着手します。その後、信凭の跡を継いだ信敦(のぶあつ)は、さらに鮭の保護を発展させ「種川の制」*を制定。これにより、減少が続いていた鮭は次第に増え、村上藩は財政も潤い、藩校・克従館を中心に藩士子弟の教育にも力を注ぎました。
※産卵期に竹柵を設けて川を遮断し、種川に集めた鮭の漁を固く禁じるというもの

 

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「種川碑」が立つ藤基神社は、種川の制を定めた信敦はじめ、藩祖・内藤信成、11代目・信思(のぶもと)を祭った神社。そして「種川碑」を建立した村上鮭産育養所(現在の一般財団法人 村上城跡保存育英会)は、明治5(1882)年に旧藩士たちが結成したもので、新たに鮭の人工ふ化増殖に取り組み、その収益で教育・慈善事業に力を注ぎました。

克従館の精神を受け継いだ育養所は「教育を受け成長した子は、やがて村上に戻って郷土の発展に寄与してくれる」との願いを込め、奨学金を支給。奨学金を受けた子は「鮭の子(さけのこ)」と呼ばれ、三好愛吉や川上俊彦、近藤虎五郎、稲葉修*などの優れた人材を世に送り出しました。
※三好愛吉 …皇子傳育長官として秩父宮・高松宮両殿下の教育係を務めた
※川上俊彦 …外交官。乃木希典の通訳も務めた
※近藤虎五郎 …日本で最初の工学博士
※稲葉修 …法学博士、文部大臣・法務大臣を歴任

 

今も村上に多くの恵みをもたらす鮭と、鮭に感謝して守り育ててきた村上の人々。鮭と村上の密接な結びつきが、この「種川碑」からも感じられます。

 

 

種川碑

 

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