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イベント情報

ゆかた de 村上まちあるき

芸術・文化

2024年5月26日(日)

村上のまちには浴衣がとても映えます

イベント限定でレトロな番傘を無料貸出します

藤基神社の輪投げで運試し

散策の合間に串団子を召し上がれ

ことしは春開催! 城下町・村上を浴衣で巡りましょう

▶イベント参加について
このイベントは事前申込制(参加費無料・先着30名様)です。下記URL(日刊にいがた WEBタウン情報)の【>『ゆかた de 村上まちあるき』参加申し込みはこちら!】と書かれたボタンからお申し込みください。

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「ゆかた de 村上まちあるき」は、風情のある城下町を浴衣で楽しむイベント。例年秋の開催でしたが、ことしは5/26(日)に開催します。
イベント当日は、会場の越後村上 町屋通り(村上市中央商店街付近)では、「第10回 城下町村上 春の庭百景めぐり」や「十輪寺えんま堂の骨董市」も開催予定。併せてお楽しみください。

▶開催日時
2024年5月26日(日)9:30~17:00
※参加時間は自由、自由解散です

▶会場
「越後村上 町屋通り」を中心とした村上市中央商店街周辺

▶料金
参加無料(事前申込制)

▶参加者特典
●ロゴ入り巾着・オリジナル扇子(当日受付時に進呈)
●瀬波温泉の日帰り入浴料が500円になる割引優待券(当日のみ有効)
※対象施設は、ゆ処そば処 磐舟・瀬波ビューホテル・大観荘せなみの湯・瀬波はまなす荘・湯元 龍泉
●瀬波温泉の源泉で温泉卵作りが楽しめる生卵引換券(当日のみ有効)
※瀬波温泉観光案内所にて引き換え

▶有料オプション
●レンタル浴衣(浴衣・帯・着付け小物・草履・着付け込み)…5,500円
●持ち込み浴衣の着付け…2,500円
●ヘアアレンジ(ハーフアップ・ゆるふわヘア・あみおろし等)…一律3,800円
●バッグのレンタル…600円~
●足袋(購入のみ)…600円~
※ヘアアレンジは早割サービスあり
・~5/5(日・祝)までの申し込みで500円OFF
・5/6(月・休)~5/15(水)までの申し込みで300円OFF
※有料オプションは全て参加申込時に要予約
※レンタル品の数には限りがあります
※着替えスペースもあります
おすすめ! プチギフトが必ずもらえる!
「ゆかた de 村上まちあるき」ハッシュタグキャンペーン!!
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イベント参加者に配布される「まちあるきMAP」内の店舗・施設・フォトスポットで撮影した写真に、共通のハッシュタグ「#ゆかたで村上」を付けてInstagramにポストしてください。受付会場の藤基神社に常駐しているイベントスタッフに投稿画面を提示すると、村上ならではのプチギフトを進呈いたします。
※このキャンペーンはイベントに参加申込をした方が対象です
住所 【受付会場】村上市三之町11-12 藤基神社
電話番号 0254-75-8943(村上市役所 観光課) 0254-75-8943(村上市役所 観光課)
開催期間 2024年5月26日(日)
開催時間 9:30 ~ 17:00
URL https://tjniigata.jp/event/202404machiarukimurakami/
アクセス(車) 【藤基神社まで】日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) 【藤基神社まで】JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約16分
駐車場(台数) 有(藤基神社)
主催者 村上市役所 観光課
大きなマップで目的地までのルートチェック

関連スポット

桃川のおたきさま

根古屋沢に形成された落差5mほどの滝で、国道290号脇の駐車場からも望むことができます。2018年に新潟県県民生活・環境部 環境対策課が新たに選定した「新潟県の名水」の一つでもあります。 【おたき さま】※駐車場に設置されている案内板より 関川村と境を接する広大な山塊の幾筋もの沢の水を集め、根小屋沢(ねごやざわ)を流れ下った川が、ここで男滝と女滝の2段の大きな滝となって流れ落ちています。見えている滝は2段目の滝で、1段目の滝はこの少し上流にあります。 滝の左手前に見える小さなコンクリート製の祠が現在の多伎(たき)神社です。ご祭神は「阿多加夜努志多伎吉比売命(あたかぐぬしたぎひめのみこと)」と伝わっています。古代の人たちは、稲作の命である水が囂々と流れ落ちるこの2段の滝に神の存在を感じてお祀りし、それがやがて多伎神社というかたちに整えられたと考えられます。 桃川の人たちは、この滝と多伎神社に畏敬と親しみをこめて、この場所をいつからか「おたきさま」と呼び慣わしてきました。右側の崖には、横が約2.5m、縦と奥行が共に約2mもある大きな岩屋が穿たれています。この岩屋の中に多伎神社の祠があったという言い伝えもありますが、中世の時代に流行した山岳修験道に関係した遺跡である可能性もあります。 今の小さな祠がある場所に、明治時代まで二間四方の社殿が建っていたという言い伝えがあります。この言い伝えを裏付けるように、その社殿が鳥居に掲げられていたと考えられる明治2(1869)年作の立派な多伎神社額が現存しています。 江戸時代に、延喜式内社桃川神社に神主として代々奉仕した佐藤辰左衛門(たつざえもん)家に伝わった文書には、「(桃川神社と多伎神社は)二神共ニ延喜式之霊跡(えんぎしきのれいあと)也」、「桃川神社 多伎神社、延喜式内旧社(えんぎしきないきゅうしゃ)」などと記されています。このことは、平安時代の延長5(927)年に編纂された『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載される「磐船郡八座(いわふねぐんはちざ)」の「多伎神社」は、この「おたきさま」の多伎神社であるという伝承や確信が、古くから桃川にあったことを物語っています。(平成28年8月 桃川区)

耕雲寺

耕雲寺は、応永元(1394)年に傑堂能勝禅師が開かれた寺で、傑堂の師・梅山聞本禅師を開祖としています。能勝は楠正成の孫に当たるといい、正平10(1355)年に楠正儀の次男に生まれ、名は正能と伝えられています。能勝は応永34(1427)年8月7日に73歳で耕雲寺で亡くなりましたが、その間に寺を離れたことがなく、宗門の学問に打ちこまれ、立派な弟子を育てました。 耕雲寺は末寺が80、孫寺以下を合わせると800にも及ぶという曹洞宗寺院の名刹です。

万年山 長楽寺

創立は天文9(1540)年、開基は本庄越前守繁長(ほんじょう えちぜんのかみ しげなが)、開山は 耕雲寺11世 三心宗尹(さんしんそうい)禅師。 はじめは里本庄にあり、本庄氏に従うかたちで村上に移った。本庄氏が村上を去るのは天正18(1590)年末、福島城主になるのが慶長5(1600)年。その時、同寺は福島へも建立された。福島長楽寺の開山は、宗尹の師の大沖元甫(だいちゅうげんぽ)である。 江戸時代中期には、城主・榊原氏や本多氏などの家中寺として遇されたか、両家の重臣らが菩提寺にしている。参道入口には九品仏の上品下生仏、境内には三十三番観音を祭る。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

狭の渡正跡[せばのわたしせいせき]

旧貝附村国道筋に建てられた石碑。「越後なる せばの渡しの 朝嵐 昨日も吹いて 今日も吹くなり」という古歌が刻まれています。碑が建てられている付近は景色が良く、古歌に詠まれた景勝地として有名です。

三の丸記念館

三の丸記念館は、明治40(1907)年に村上銀行本店として建築されたものです。村上銀行は、明治11(1878)年に国立銀行として誕生した「村上第71国立銀行」の業務を引き継いだことから、鬼瓦には図案化された「七十一」の文字が刻まれています。昭和57(1982)年まで現在の第四銀行村上支店の位置で店舗として活用されていましたが、銀行の改築に伴い、明治末期の貴重な建築物の保存のため、現在の位置に曳家により移転・保存されています。現在は、集会場や作品展の展示会場として活用されています。

【2025年営業中止】ゴールドパーク鳴海(鳴海金山)

【2025.04.22更新|2025(令和7)年度の営業中止について】 朝日スーパーラインが通行止めのため、2025(令和7)年度の営業を中止いたします。楽しみにされていた皆様には大変申し訳ありませんが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 慶長年間には、全国の産金量の3分の1を産出したといわれている鳴海金山跡(黄金坑・大切坑)は、当時のタヌキ掘り(手掘り)の跡と荒々しい岩肌が残されたままになっています。千二百年の時を越え、現代によみがえった鳴海金山の姿をご覧ください。

村上市指定文化財 旧成田家住宅

村上で現存している武家住宅の中では、唯一玄関が妻側に位置する形態で、建築年代は幕末から明治にかけてと推定され、平成8(1996)年に復原後、一般公開されています。 【旧成田家住宅と『諸国廻遊日録』】 旧成田家住宅は、現在の村上市新町にある。ここは、江戸時代の内藤氏治政世下においては旧武家町に属し、村上城本丸に通じる下渡門[げどもん]の近くで、比較的中級武士の住宅が集中していたところである。 『諸国廻遊日録』とは、九州佐賀藩士・牟田高惇という侍が、武者修行で諸国を巡り歩いたときの日記のようなもので、その日記によると、嘉永7(1854)年7月頃に村上にも立ち寄り、七夕祭りなどのことが記載されている。このとき、牟田高惇が宿としたところが、当時は空き家であった「元岡本左太夫」の屋敷であったことが日記にあり、明治初年の城下絵図にも、旧成田家住宅の位置には岡本左太夫という名前があり、これが現在の位置に比定される。 しかし、明治の村上藩士の分限帳(名簿)には、この岡本左太夫という名前は見当たらないことと、牟田高惇が訪れた頃、すでに空き家であったことから、どのような武士が住んでいた住宅であったかは現在のところ不明である。 (村上市郷土資料館) 【旧成田家住宅と復原調査】 この住宅の構造形式は、直屋[すごや]・寄棟造・茅葺であり、典型的な村上の武家住宅の形式であるといえるが、玄関の位置については、現存しているほとんどの武家住宅が平入りの玄関であるのに対して、妻入りの玄関であることが大きな特徴であるといえる。 また、建物の改造痕跡や技法などの調査からも、これまでに若林家や嵩岡家、岩間家などとは異なる面がかなりあり、特に技法的には一段と進んだ方法が見られる。さらに、先の『諸国廻遊日録』には、元岡本左太夫の住宅間取りも記載されているが、この記述と復原調査からの間取りとも合致しない点がかなりある。 このようなことから、『諸国廻遊日録』にある屋敷を前身建物として、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、従来の武家住宅の建築方法や技法を踏襲しながら、新たに建て替えられた再生武家住宅であるという考え方もできる。いずれにしろ、この住宅が江戸時代から明治時代へと移り変わるときに建築されたことを考えるならば、村上の住宅の歴史や変遷を理解する上で貴重な歴史的建造物であることには間違いはない。 (村上市郷土資料館)

藤基神社[ふじもと-じんじゃ]

藤基神社社殿は総欅造りで、日光東照宮と同じ権現造り。嘉永2(1849)年に当時の工匠がその技を結集し、8年の歳月を費やして造り上げたものです。村上が生んだ工匠・有磯周斎[ありいそ-しゅうさい]による、かご彫りと呼ばれる彫刻の傑作を各所に残しています。 ご祭神は、徳川家康侯の異母弟に当たり、徳川家十七士の一人でもある村上藩の藩祖・内藤信成[のぶなり]侯、十代目の信敦[のぶあつ]侯、十一代目の信思[のぶもと]侯を祭っています。 八幡大神[やわたのおおかみ]、誉田大神[ほんだのおおかみ]、火帯姫大神[ほたらしひめのおおかみ]、稲荷大神[いなりのおおかみ]、倉稲魂神[うかのみたまのかみ]、秋葉大神[あきばのおおかみ]、火産霊神[ほむすひのかみ]、学問の神である菅原道真公を祭っています。

観音寺

真言宗のお寺で、開基は権大僧都宗快上人であると伝えられています。わが国最後といわれる仏海上人の即身仏(明治36年入寂)の御姿が奉安されています。 【仏海上人】 文政11(1828)年5月9日、村上市安良町の近藤家の長男として生まれ、18歳で湯殿山 注連寺に入門し、本明寺でも修行。その間、15年にわたって仙人沢で荒行を重ね、伊豆・天城山や酒田の海向寺でも修行を行いました。35歳の時、五穀絶ちの木食行をはじめ、慶応3(1867)年に37歳で本明寺の住職となり、明治7(1874)年に村上の観音寺に戻ります。明治21(1888)年5月、注連寺が全焼したため、注連寺の住職となって寺を復興。再び故郷へ戻り、明治36(1903)年に76歳で入定しました。41年にわたる苦行を成し得た、日本最後の即身仏です。

九品仏 下品上生 安泰寺境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

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