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まいづる公園

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まいづる公園全景

旧嵩岡家住宅

旧岩間家住宅

旧藤井家住宅

皇太子殿下・皇太子妃雅子様 御成婚記念公園

まいづる公園は、皇太子殿下・雅子妃殿下の御成婚を記念した公園であり、南東方向に村上城跡(別名:舞鶴城)を臨み、公園内には雅子妃殿下ゆかりの旧嵩岡家住宅のほか、旧岩間家を移築復原することにより、市民の祝意を永く顕すとともに村上藩士の生活文化を展する重要な歴史文化施設としても意義深い公園です。
おすすめ! それぞれ特徴のある3棟の武家住宅。村上藩士の往時の生活に思いを馳せてみてください
住所 村上市庄内町(旧嵩岡・旧岩間)・堀片(旧藤井)
電話番号 0254-52-1347(おしゃぎり会館) 0254-52-1347(おしゃぎり会館)
URL https://www.iwafune.ne.jp/~osyagiri/
営業時間 【武家屋敷】9:00~16:30(1・2月10:00~16:00)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約35分。またはJR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『まちなか循環 大回り』・『町屋号』(日曜・祝日限定)に乗車、バス停「三之町」下車(バス停から徒歩で約5分)
駐車場(台数) 有
定休日 【武家屋敷】水曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12/28~1/4)
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関連スポット

はんにむ小路

現在の北線道路北側、久保多町(くぼたまち)から片町に入る辺りから山辺里川(さべりがわ)(門前川)の堤防に通ずる小路は市道半右ェ門線であるが、小路の入り口に半右ェ門という人の家があったことから、「半右ェ門」が「はんにむ」となり、通称になったと伝えられる。 この山辺里川の河原には、罪人の打ち首を行う首切場があった。現在、この場所には供養塔が建てられている。脇にある地蔵様は「首切り地蔵」とも呼ばれる。刑を言い渡された罪人は、庄内町にあった牢屋から、市中引き回しの上、ここで刑が執行された。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

大葉澤城跡

現在の大場沢集落のすぐ南側に位置し、東側山地から西側平地へ突き出るような小高い丘陵を利用した山城で、戦国時代に活躍した鮎川氏の本城と伝えられています。東西700m・南北200mの大要害で、敵の侵入を阻止するために人工的に施した地形が今も残っています。

村上市指定文化財 旧岩間家住宅

東西方向に棟を持つ直屋・寄棟造りの茅葺き住宅で、平成7(1995)年に現在地に移築復原されました。建設当初は連棟式の長屋形式の住宅であったものを、安政5(1858)年に一戸建の武家住宅に大改造しました。茅葺き屋根の梁間が二間と小さく、背面の増築した下屋根が大きいことでも伺い知ることができます。 【旧岩間家住宅の旧所在地】 旧岩間家住宅は、現在の新潟県村上市飯野2丁目にあったものを現在地に移築復原したものです。旧所在地は、江戸時代に五軒町と呼ばれていたところで、町人町(細工町)と接していました。明治初年の城下絵図によると、この岩間家の位置に「須貝勝太郎」と記されていることから、もとはこの村上藩士・須貝勝太郎の屋敷であったと推測されます。 なお、岩間氏の先祖は山形県の旧新庄藩の武士であったと伝えられており、この屋敷については昭和23年に取得し現在に至っていますが、住宅部分については村上市へ寄付されました。 また、この岩間家住宅は平成4年9月21日に村上市の有形文化財として指定されましたが、茅葺屋根等の破損と老朽化が激しく、一時的な補修では建物の維持が図れないということから、同年12月に、移築復原を前提とした解体と部材の保存格納が行われました。 (村上市郷土資料館) 【復原調査と安政5(1858)年の大改造】 この住宅の構造形式は「直屋[すごや]・寄棟造・茅葺・一戸建」であり、典型的な村上の武家住宅の形式であるといえますが、この住宅の特徴は、この建物が建設された当初の形態と安政5年に行われた大改造後の形態がまったく異なるものになったことです。 武家住宅というのは基本的には藩の官舎であり、身分や格式によって厳しい建築規制がありました。つまり、その武士の身分や格式によって住まいする住宅の規模や形式が決まっていたため、長屋形式の住宅に住まうのは下級武士であり、それに対して一戸建形式の住宅に住まうのは中級以上の武士でした。このことからも、こうした建物の形式そのものを変えるような改造は、よほどのことがない限り行われなかったのではないかと考えられます。 この改造が行われた時期については、改造によって取り払われた部材の痕跡を隠すために使用した「カブセ」という小部材の裏に、当時の大工が書いた「墨書[ぼくしょ]」が発見されたことによります。そこには「安政五戌年午歳五月吉日 大工 羽黒町清八造之」と記されていました。こうした職人による墨書や落書きによって建築年代や改造年代が判明することは珍しいことではありませんが、この場合の大工清八の墨書は、建設当初からのものではなく改造時のものであり、当初の建物が建設されたのは、おそらくもう50~60年前にさかのぼると思われます。 では、建設当初はどのような形態であったかというと、本来は2棟続きの《長屋形式》の住宅でした。そして、何か特別な事情が背景にあったのか、その2棟続きの長屋住宅の一方の材料を活用しながら、安政5年に《一戸建形式》に改造したものといえます。 (村上市郷土資料館)

越後村上 町屋通り

村上市中央商店街の小町[こまち]~大町[おおまち]~上町[かんまち]の通りには、昔ながらの町屋造りを活かした建物が数多く立ち並んでいます。「越後村上 町屋通り」をぶらり歩いて、城下町・村上の風情をご堪能ください。

火伏せのいの字石[ひぶせ-の-いのじいし]

観光客が行きかう「越後村上 町屋通り」(県道286号)に「い」の字に埋め込まれた石。この石をアスファルトで埋めたり、隠したりすると火事が起きるといわれ、現在も石を隠さないように道路舗装が行われています。 ※車道に埋め込まれています。見学の際は車の往来にご注意ください

黒塀通り(安善小路)

城下町の風情が漂う、黒塀が続く小路です。通りには寺院や有名割烹が立ち並び、歴史と趣が感じられます。例年10月の第2土・日曜日には「むらかみ 宵の竹灯籠まつり」の会場になり、揺らめく約2万本もの竹灯籠の明かりと各所で奏でられる音楽に酔いしれる人々でにぎわいます。 ▶安善小路について 小町[こまち]から寺町へ抜ける小路。ここは古くから安善小路[あんぜんこうじ]と呼ばれていた。 安善寺に由来する。安善寺は浄土真宗大谷派。明暦元(1655)年創立。安善寺の寺伝によると、この土地は榊原公から拝領したものとある。 その榊原氏が城主の頃の『元禄村上城下絵図』には、安善寺と小路が描かれている。現在、黒塀小路(または黒塀通り)と呼ばれることもあるが、これは景観整備で黒塀を設置したもので当時はない。また、小町側の村上信金金庫 本店辺りは堀氏時代の絵図には「馬ヤ町」の記載があり、「お馬や小路」と呼ばれていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

大満虚空蔵尊

ご本尊の虚空蔵菩薩[こくぞうぼさつ]は、智恵・福徳をお授けする仏で、丑寅年生まれの守り本尊です。 毎年春(4/13)・秋(10/23)に大祭があり、大護摩祈祷を厳修いたします。

筏場通り[いかだばどおり]

庄内町から泉町に至る路で「筏場[いかだば]通り」といわれていた。筏場とは、三面川上流から筏を組んで流してきた木材の陸揚げ場で、ここから材木屋や木羽[こば]屋に運ばれた。 文政3(1820)年の『塩町軒付帳』には、木挽[こびき]9軒、木宿8軒。文久3(1861)年の『加賀町軒付帳』には、木挽11軒とある。 木挽とは、木材を製材する職人をいい、また木宿とは薪や炭を扱う薪炭[しんたん]屋をいう。 以後、近年まで塩町と加賀町には材木屋や製材所が集中していた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

村上城跡(お城山)

村上城は、標高135mの独立峰・臥牛山[がぎゅうさん]に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11(1568)年の上杉謙信との篭城戦など、幾度も戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後の中心拠点として整備されました。 山頂までの道は整備され、約20分ほどで登ることができます。村上のシンボルとして近隣住民はもちろん、観光客もたくさん訪れる名所です。 ≫ご注意ください ・ゴミ箱は設置されていません。出たゴミは必ずお持ち帰りください ・山頂(天守跡)に自動販売機やトイレはありません。自動販売機は登城口に、トイレはお城山児童公園をご利用ください ・音の出るもの(熊鈴・ラジオ等)を携行し、複数人で行動するなど、クマとの遭遇を避ける対策を行ってください

石船神社[いわふね-じんじゃ]

「神様が天の石船[あま-の-いわふね]に乗りお出でになられた」との伝説をもつ磐舟郡総鎮守。圏域『岩船』という地名の由来となっています。創祀は大化4(648)年、磐舟柵設置以前と伝わり、御祭神は饒速日命[にぎはやひのみこと]。 大同2(807)年、北陸道観察使・秋篠朝臣安人が下向の際に社殿を建立。越後国の北の守護神として京都・貴船神社の御祭神三柱を合祀以来千二百年、「明神様」と称されて広く信仰を集めました。延喜式神名帳には越後磐船郡の筆頭に記載され、色部氏・本庄氏・歴代村上藩主等に鎮守の御社として篤い保護を受けます。明治期には越後一宮 彌彦神社に次ぐ県内最初の縣社に列しました。 【社叢】 石船神社の社叢は、天然ヤブツバキの群生地で県天然記念物(昭和33年指定)です。 【石碑・句碑】 境内には、磐船柵趾の碑と松尾芭蕉の句碑2基があります。 【石船神社と岩船大祭】 石船神社の例祭(10/18、19)が岩船大祭です。先太鼓と木遣りを先頭に、御舟屋台をはじめとした9基のしゃぎり屋台が共に御神幸します。岩船大祭と「ともやま行事」は県無形民俗文化財(昭和62年)に指定されています。

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