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イベント情報

第38回 大須戸能 薪能

芸術・文化

2026年8月15日(土)

能(過去の様子)

狂言(過去の様子)

揺らめく炎の下で繰り広げられる、大須戸能の幽玄の世界をお楽しみください

≫第38回 大須戸能 薪能 番組
・狂言「瓜盗人」
・能「船弁慶」

≫大須戸能の由来
嘉永5(1852)年2月の記録に「古来の能装束が切損し役に立たなくなったので奉納を願う」とあることから推して、大須戸能の起源はこれよりなお久しく遡るものと推定される。
伝によれは弘化元(1844)年の冬、庄内の黒川能役者・蛸井甚助が当地(大須戸)に逗留した際、庄屋・神主など村人19人の能社中が、数年にわたり熱心な指導を受け、嘉永4(1851)年3月、鎮守・八坂神社の社殿ではじめて演能したが、当時すでに式三番の外能十五番を習得していたという。
神社の境内には、蛸井甚助が帰郷する際、記念に残したといわれる「黒川や 上に流れて 花の郷」なる句碑がある。
その後、明治・大正・昭和にかけて、さらに庄内黒川より師を招き、新たに十番を習得した。
能が神事として演じられたのは、昭和7(1932)年に八坂神社が村社に昇格してからで、以前は1月11日の山神祭の日と、4月3日の節句に演じられていた。
八坂神社の境内には、古くから能舞台が設けてあったが、雪害で壊れて以来、しばらく再建をみなかった。その後、大正2(1913)年3月の大正天皇即位を記念して建設した能舞台も老朽化し、昭和63(1988)年現在の能舞台が新設された。

≫中山家との関係
集落の旧家・中山与惣右衛門家は、創立当時より代々、能の斯道奨励の衝にあたり、能装束をはじめ幕・組立式能舞台・能面等の寄進、後継者の養成など、伝統系能の維持につとめ今日に及んでいる。
住所 村上市大須戸・八坂神社 能舞台
電話番号 0254-53-7511(村上市役所 生涯学習課 文化行政推進室) 0254-53-7511(村上市役所 生涯学習課 文化行政推進室)
開催期間 2026年8月15日(土)
開催時間 【開場】17:00 【開演】18:00 ~ 20:30(予定)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「朝日まほろばIC」から車で約20分
駐車場(台数) 臨時駐車場(旧塩野町小学校)が開設されます ※開演前・終演後にシャトルバス運行
主催者 村上市、村上市教育委員会
大きなマップで目的地までのルートチェック

関連スポット

越後村上 町屋通り

村上市中央商店街の小町[こまち]~大町[おおまち]~上町[かんまち]の通りには、昔ながらの町屋造りを活かした建物が数多く立ち並んでいます。「越後村上 町屋通り」をぶらり歩いて、城下町・村上の風情をご堪能ください。

大川のコド漁

山北地区の勝木川や大川にも晩秋~初冬にかけ、たくさんの鮭が群れをなして帰ってきます。なかでも、大川は昔から鮭漁が盛んに行われ、毎年鮭漁の時期を迎えると、鮭が帰ってくるのを心待ちにしていた漁師たちで川原もにぎわい、活気づきます。 大川の鮭漁は、古くから伝えられている「コド漁」という漁法で行われており、この漁法は、全国的にも他に類を見ない大川独特のものです。漁の最盛期は10~12月中旬で、時期になると大川の河口付近はコドで埋め尽くされます。

まいづる公園

まいづる公園は、皇太子殿下・雅子妃殿下の御成婚を記念した公園であり、南東方向に村上城跡(別名:舞鶴城)を臨み、公園内には雅子妃殿下ゆかりの旧嵩岡家住宅のほか、旧岩間家を移築復原することにより、市民の祝意を永く顕すとともに村上藩士の生活文化を展する重要な歴史文化施設としても意義深い公園です。

稲荷山(番所山)

江戸時代、塩谷は村上城下と北国街道を結ぶ重要拠点であり、村上藩はこの山に番所を置いて、人や物の出入りを監視していました。そのため、番所山[ばんしょやま]と呼ばれていましたが、明治になり、廃藩とともに番所も廃されました。その後、お稲荷さんが祭られていることから「稲荷山」と呼ばれるようになりました。 山頂には三等三角点があり、国土地理院の2万5千分の1電子地形図にも「稲荷山」として掲載されており、新潟県で一番低い(標高15.3メートル)山です。37段の階段を上った山頂の展望台からは、塩谷のまち並みや日本海に浮かぶ粟島や佐渡、南西には弥彦山、角田山が海に浮かぶ島のように見えます。

漆山神社

旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

牢屋小路

牢屋小路という名前の通り、かつては牢屋があった。現在は加賀町まで通り抜けられるが、当時はできなかった。 牢屋は武家地にあることから藩が直接管理していた。榊原氏当時もここは牢屋であった。牢屋の先に「川原作事」とあり、人足寄場(にんそくよせば)のようなものがあったのではないかと思われる。 明治維新時代の村上絵図では、加賀町との間には堀があるが、現在は清水川であり、橋が架かっていて、かつては「なみだ橋」または「見返り橋」と呼ばれていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より 榊原候時代の村上城下絵図をひろげると、庄内町から加賀町の方にぬける路のところに「御材木蔵」とあり、その横の小路を入った奥に「籠屋」と書かれています。これは牢屋があったところです。どんな建物であったのかは資料が残っていないのでわかりませんが、テレビによく出る江戸は伝馬町の牢屋を小さくしたようなものだったのでしょうか。 鈴木鉀三 著『村上市歴史散歩』より抜粋

多伎神社(多岐神社)

この神社には、義経が奥州へ逃れる途中、御供の弁慶が社の前の岩の上に立ち、日本海を眺めて「さても麗わしき景色かな」と嘆賞したという伝説があります。

小俣白山神社の大杉(姥杉)

樹齢千二百年と推定される大杉で、樹種は熊杉系。根廻り13.4m・樹高39mの大きさで、県内でもまれにみる老杉です。白山姫命を祭るこの神社は、昔は小俣集落の佐藤一族の氏社でしたが、今は全集落民の氏社となっています。白山神社では、生まれた子どもが初めて氏神様と対面する時、この大杉の下で泣かせて、子の行く末を祈る風習が残っています。

西奈彌羽黒神社[せなみ-はぐろじんじゃ]

一般的には略して羽黒神社と呼んでいます。祭神は奈津比売命[なつひめのみこと]・倉稲魂命[うがのみたまのみこと]・月読命[つきよみのみこと]です。 寛永10(1633)年、ときの村上藩主・堀丹後守直竒が神社を上(城)から見下ろすのは畏れ多いとして現在の地に遷宮しました。この遷宮祭が行われたのが6月7日で、新暦になってからは7月7日に大祭が行われています。 元禄3(1690)年に村上藩主・榊原勝乗が建立した社殿(神明宮)は、昭和44(1969)年に新潟県指定有形文化財に指定されています。

平林城跡

中世小泉荘(岩船郡全域)南部に拠った色部氏の築城。平野を望む台地端に居所兼政庁の館を構え、館跡は空壕と土塁で守られた三つの郭からなります。壮大な構えで、中世後期の豪族割拠の典型です。

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