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庚申堂

城下町村上町屋エリア
歴史・文化

仁王門の仁王像

仁王門の仁王像

村上城下の鬼門封じ

創建は天文9(1540)年。行海上人が摂津国(大阪)から勧請し、安良町に祭ったといわれています。寛文7(1667)年に現地へ移りますが、それは現地が村上城下の中心「札の辻」(大町・上町・安良町の接点)からみて表鬼門に当たるため、城下の鬼門封じのためだったといわれています。
おすすめ! 庚申堂付近には枡形(街道を二度直角に曲げ、外敵が侵入しにくいようにしたもの)の遺構もみられます
住所 村上市片町4
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約10分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『まちなか循環[大回り]』『塩野町線』『大須戸線』に乗車、バス停「片町」下車(バス停から徒歩で約3分)
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関連スポット

九品仏 下品上生 安泰寺境内

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

常照山法善院 光徳寺

創立は正保元(1644)年、内藤家三代・信照侯が棚倉(福島県)で開基し、源蔵和尚が開山しました。山号の常照山は、源蔵が内藤家始祖の信成[のぶなり]侯とともに伊豆国(静岡県)韮山[にらやま]へ移った時に常照寺を建立したことによります。法善の院号は信成侯の諡[おくりな]、光徳は内藤家二代・信正侯の諡です。 三の丸にあるこの寺は、古くから代々の城主の菩提寺となりました。寺域は城内の一郭として、国重要史跡に指定されています。 本堂内部には、歴代内藤家当主の位牌とともに、血縁関係があった徳川将軍家の位牌13柱が安置されています。

大手通り

大町から大手門に至る路。大手門(追手門ともいう)があったことに由来する。 村上市役所の駐車場辺りにあった大手門は、城の正門である。門は枡形(ますがた)形式で、大手通りから門のところで右折して入る。 現在の道路に「食い違い」があるのは、ここが大手門であったことの名残りである。 三の丸内を「丸の内」と称し、南を羽黒門、西を飯野門・大手門、北を山辺里(さべり)門で区切る。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

伊夜日子神社[いやひこ-じんじゃ]

瀬波温泉 噴湯公園(明治37年に温泉が噴出した温泉源泉井戸がある公園)内にあり、越後一宮 彌彦神社(西蒲原郡弥彦村)の御神霊を分霊して祭っています。本殿から、さらに石段を上っていくと奥の院があり、そこからは瀬波の温泉街や日本海が一望できます。

村上市指定文化財 旧成田家住宅

村上で現存している武家住宅の中では、唯一玄関が妻側に位置する形態で、建築年代は幕末から明治にかけてと推定され、平成8(1996)年に復原後、一般公開されています。 【旧成田家住宅と『諸国廻遊日録』】 旧成田家住宅は、現在の村上市新町にある。ここは、江戸時代の内藤氏治政世下においては旧武家町に属し、村上城本丸に通じる下渡門[げどもん]の近くで、比較的中級武士の住宅が集中していたところである。 『諸国廻遊日録』とは、九州佐賀藩士・牟田高惇という侍が、武者修行で諸国を巡り歩いたときの日記のようなもので、その日記によると、嘉永7(1854)年7月頃に村上にも立ち寄り、七夕祭りなどのことが記載されている。このとき、牟田高惇が宿としたところが、当時は空き家であった「元岡本左太夫」の屋敷であったことが日記にあり、明治初年の城下絵図にも、旧成田家住宅の位置には岡本左太夫という名前があり、これが現在の位置に比定される。 しかし、明治の村上藩士の分限帳(名簿)には、この岡本左太夫という名前は見当たらないことと、牟田高惇が訪れた頃、すでに空き家であったことから、どのような武士が住んでいた住宅であったかは現在のところ不明である。 (村上市郷土資料館) 【旧成田家住宅と復原調査】 この住宅の構造形式は、直屋[すごや]・寄棟造・茅葺であり、典型的な村上の武家住宅の形式であるといえるが、玄関の位置については、現存しているほとんどの武家住宅が平入りの玄関であるのに対して、妻入りの玄関であることが大きな特徴であるといえる。 また、建物の改造痕跡や技法などの調査からも、これまでに若林家や嵩岡家、岩間家などとは異なる面がかなりあり、特に技法的には一段と進んだ方法が見られる。さらに、先の『諸国廻遊日録』には、元岡本左太夫の住宅間取りも記載されているが、この記述と復原調査からの間取りとも合致しない点がかなりある。 このようなことから、『諸国廻遊日録』にある屋敷を前身建物として、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、従来の武家住宅の建築方法や技法を踏襲しながら、新たに建て替えられた再生武家住宅であるという考え方もできる。いずれにしろ、この住宅が江戸時代から明治時代へと移り変わるときに建築されたことを考えるならば、村上の住宅の歴史や変遷を理解する上で貴重な歴史的建造物であることには間違いはない。 (村上市郷土資料館)

三面川の居繰網漁[みおもてがわ-の-いぐりあみりょう]

≫例年の実施概要 居繰網漁[いぐりあみりょう]は、現在では村上市街地北側を流れる三面川[みおもてがわ]だけに残る、江戸時代から伝わる伝統漁法です。「小回し舟」という川舟で三面川の流れに乗り、網を操りながら八の字で川を下っていきます。川を上ってくる鮭が網にかかると、双方の漁師が呼吸を合わせて網を上げて鮭を捕ります。村上の秋から初冬にかけての風物詩です。 ≫実施期間 例年10月中旬~11月末

西奈彌羽黒神社[せなみ-はぐろじんじゃ]

一般的には略して羽黒神社と呼んでいます。祭神は奈津比売命[なつひめのみこと]・倉稲魂命[うがのみたまのみこと]・月読命[つきよみのみこと]です。 寛永10(1633)年、ときの村上藩主・堀丹後守直竒が神社を上(城)から見下ろすのは畏れ多いとして現在の地に遷宮しました。この遷宮祭が行われたのが6月7日で、新暦になってからは7月7日に大祭が行われています。 元禄3(1690)年に村上藩主・榊原勝乗が建立した社殿(神明宮)は、昭和44(1969)年に新潟県指定有形文化財に指定されています。

村上歴史文化館

外観は、村上市堀片にあった明治時代後期の擬洋風病院建築物を参考として設計されています。内部展示場には、文部省唱歌「汽車」の作曲者・大和田愛羅ゆかりのピアノ「キャロル・オットー」や旧磐舟文華博物館所蔵の民俗資料などの展示を行っています。 ※「キャロル・オットー」は現存数の少ないドイツ製ピアノです

小俣白山神社の大杉(姥杉)

樹齢千二百年と推定される大杉で、樹種は熊杉系。根廻り13.4m・樹高39mの大きさで、県内でもまれにみる老杉です。白山姫命を祭るこの神社は、昔は小俣集落の佐藤一族の氏社でしたが、今は全集落民の氏社となっています。白山神社では、生まれた子どもが初めて氏神様と対面する時、この大杉の下で泣かせて、子の行く末を祈る風習が残っています。

牢屋小路

牢屋小路という名前の通り、かつては牢屋があった。現在は加賀町まで通り抜けられるが、当時はできなかった。 牢屋は武家地にあることから藩が直接管理していた。榊原氏当時もここは牢屋であった。牢屋の先に「川原作事」とあり、人足寄場(にんそくよせば)のようなものがあったのではないかと思われる。 明治維新時代の村上絵図では、加賀町との間には堀があるが、現在は清水川であり、橋が架かっていて、かつては「なみだ橋」または「見返り橋」と呼ばれていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より 榊原候時代の村上城下絵図をひろげると、庄内町から加賀町の方にぬける路のところに「御材木蔵」とあり、その横の小路を入った奥に「籠屋」と書かれています。これは牢屋があったところです。どんな建物であったのかは資料が残っていないのでわかりませんが、テレビによく出る江戸は伝馬町の牢屋を小さくしたようなものだったのでしょうか。 鈴木鉀三 著『村上市歴史散歩』より抜粋

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