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庚申堂

城下町村上町屋エリア
歴史・文化

仁王門の仁王像

仁王門の仁王像

村上城下の鬼門封じ

創建は天文9(1540)年。行海上人が摂津国(大阪)から勧請し、安良町に祭ったといわれています。寛文7(1667)年に現地へ移りますが、それは現地が村上城下の中心「札の辻」(大町・上町・安良町の接点)からみて表鬼門に当たるため、城下の鬼門封じのためだったといわれています。
おすすめ! 庚申堂付近には枡形(街道を二度直角に曲げ、外敵が侵入しにくいようにしたもの)の遺構もみられます
住所 村上市片町4
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約10分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『まちなか循環[大回り]』『塩野町線』『大須戸線』に乗車、バス停「片町」下車(バス停から徒歩で約3分)
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関連スポット

九品仏 中品中生 肴町・保育園前

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

大川のコド漁

山北地区の勝木川や大川にも晩秋~初冬にかけ、たくさんの鮭が群れをなして帰ってきます。なかでも、大川は昔から鮭漁が盛んに行われ、毎年鮭漁の時期を迎えると、鮭が帰ってくるのを心待ちにしていた漁師たちで川原もにぎわい、活気づきます。 大川の鮭漁は、古くから伝えられている「コド漁」という漁法で行われており、この漁法は、全国的にも他に類を見ない大川独特のものです。漁の最盛期は10~12月中旬で、時期になると大川の河口付近はコドで埋め尽くされます。

西奈彌神社[せなみ-じんじゃ]

千年以上も前に書かれた『延喜式神名帳』にある磐船郡8座の中にあり、長い歴史があります。福井県敦賀市にある氣比[けひ]神宮と深く関わりがあるといわれ、明治の初めまでは「氣比大明神[けひだいみょうじん]」「氣比大神宮[けひだいじんぐう]」と呼ばれていましたが、その後「西奈彌神社」と呼ばれるようになりました。現在でも、福井県の氣比神宮と同じ9月4日が祭礼です。江戸時代からの社殿は、明治18(1885)年10月の大火で焼失しました。本殿は、平成3(1991)年に再建されています。 『瀬波っていいね』(活気ある町瀬波まちづくり推進協議会)より

村上市町屋造観光案内所

大正初期に建てられた町屋を、当時の趣きを残しつつ、どなたでも気軽に立ち寄れる観光案内所として利用しています。通り土間や茶の間といった、村上町屋らしい造りもご見学ください。 ≫メナ・カナちゃんストラップ作り 芯のプラバン(メナ・カナ*の2種類)を選び、カラフルな布地をボンドで貼り付けて作る簡単な体験メニューです。 *メナはメス、カナはオス鮭のことをいう村上の方言 [受付時間]9:00~15:30 [所要時間]30分程度 [料金]1個 300円(メナ・カナ2体セット500円) ※お支払いは現金のみ承ります ※詳細はお問い合わせください ≫荷物預かり [受付時間]9:00~16:00 [料金]1個 500円 ※お支払いは現金のみ承ります ※詳細はお問い合わせください

新潟山形県境標柱

村上市伊呉野[いぐれの]に立つ、新潟県と山形県の県境を表す標柱です。向かいには記念スタンプも設置されているので、訪れた際には押してください。

千眼寺 保呂羽堂[せんげんじ-ほろわどう]

保呂羽堂は、国指定文化財「平林城跡」の所領であった色部氏15代・色部長真[いろべ-ながざね]が天正19(1591)年に出羽国仙北郡大森町の保呂羽山波宇志別神社から当地に分霊したことにより創立され、その後の安政5(1858)年に再建されたものと伝わる。 保呂羽堂の奥行きが深く、幣殿と拝殿を前後に明確に分ける平面形式は、越後特有の形式と知られている。 総欅造 [本殿]一間社流造、桟瓦葺、向拝一間 [拝殿]入母屋造 千鳥破風付、桟瓦葺、向拝一間 軒唐破風付 [幣殿]切妻造、桟瓦葺 指定:平成19(2007)年11月20日 【村上市教育委員会】

村上市指定文化財 旧成田家住宅

村上で現存している武家住宅の中では、唯一玄関が妻側に位置する形態で、建築年代は幕末から明治にかけてと推定され、平成8(1996)年に復原後、一般公開されています。 【旧成田家住宅と『諸国廻遊日録』】 旧成田家住宅は、現在の村上市新町にある。ここは、江戸時代の内藤氏治政世下においては旧武家町に属し、村上城本丸に通じる下渡門[げどもん]の近くで、比較的中級武士の住宅が集中していたところである。 『諸国廻遊日録』とは、九州佐賀藩士・牟田高惇という侍が、武者修行で諸国を巡り歩いたときの日記のようなもので、その日記によると、嘉永7(1854)年7月頃に村上にも立ち寄り、七夕祭りなどのことが記載されている。このとき、牟田高惇が宿としたところが、当時は空き家であった「元岡本左太夫」の屋敷であったことが日記にあり、明治初年の城下絵図にも、旧成田家住宅の位置には岡本左太夫という名前があり、これが現在の位置に比定される。 しかし、明治の村上藩士の分限帳(名簿)には、この岡本左太夫という名前は見当たらないことと、牟田高惇が訪れた頃、すでに空き家であったことから、どのような武士が住んでいた住宅であったかは現在のところ不明である。 (村上市郷土資料館) 【旧成田家住宅と復原調査】 この住宅の構造形式は、直屋[すごや]・寄棟造・茅葺であり、典型的な村上の武家住宅の形式であるといえるが、玄関の位置については、現存しているほとんどの武家住宅が平入りの玄関であるのに対して、妻入りの玄関であることが大きな特徴であるといえる。 また、建物の改造痕跡や技法などの調査からも、これまでに若林家や嵩岡家、岩間家などとは異なる面がかなりあり、特に技法的には一段と進んだ方法が見られる。さらに、先の『諸国廻遊日録』には、元岡本左太夫の住宅間取りも記載されているが、この記述と復原調査からの間取りとも合致しない点がかなりある。 このようなことから、『諸国廻遊日録』にある屋敷を前身建物として、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、従来の武家住宅の建築方法や技法を踏襲しながら、新たに建て替えられた再生武家住宅であるという考え方もできる。いずれにしろ、この住宅が江戸時代から明治時代へと移り変わるときに建築されたことを考えるならば、村上の住宅の歴史や変遷を理解する上で貴重な歴史的建造物であることには間違いはない。 (村上市郷土資料館)

九品仏 上品上生 善沢寺前

宝暦8(1758)年頃から宝暦10年頃にかけて、城下の安寧と藩主・内藤信成侯150回忌のため、城下の要所に建てられた石仏です。「九品」とは、極楽浄土の九つの階級のことで、九品仏は浄土におられる阿弥陀様の姿。上品上生から下品下生を示すのは「手の印の結び方」によります。2時間位で全部を見て回れます。

漆山神社

旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

越後村上 町屋通り

村上市中央商店街の小町[こまち]~大町[おおまち]~上町[かんまち]の通りには、昔ながらの町屋造りを活かした建物が数多く立ち並んでいます。「越後村上 町屋通り」をぶらり歩いて、城下町・村上の風情をご堪能ください。

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