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庚申堂

城下町村上町屋エリア
歴史・文化

仁王門の仁王像

仁王門の仁王像

村上城下の鬼門封じ

創建は天文9(1540)年。行海上人が摂津国(大阪)から勧請し、安良町に祭ったといわれています。寛文7(1667)年に現地へ移りますが、それは現地が村上城下の中心「札の辻」(大町・上町・安良町の接点)からみて表鬼門に当たるため、城下の鬼門封じのためだったといわれています。
おすすめ! 庚申堂付近には枡形(街道を二度直角に曲げ、外敵が侵入しにくいようにしたもの)の遺構もみられます
住所 村上市片町4
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約10分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『まちなか循環[大回り]』『塩野町線』『大須戸線』に乗車、バス停「片町」下車(バス停から徒歩で約3分)
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関連スポット

村上城跡(お城山)

村上城は、標高135mの独立峰・臥牛山[がぎゅうさん]に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11(1568)年の上杉謙信との篭城戦など、幾度も戦いが繰り広げられました。江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後の中心拠点として整備されました。 山頂までの道は整備され、約20分ほどで登ることができます。村上のシンボルとして近隣住民はもちろん、観光客もたくさん訪れる名所です。 ≫ご注意ください ・ゴミ箱は設置されていません。出たゴミは必ずお持ち帰りください ・山頂(天守跡)に自動販売機やトイレはありません。自動販売機は登城口に、トイレはお城山児童公園をご利用ください ・音の出るもの(熊鈴・ラジオ等)を携行し、複数人で行動するなど、クマとの遭遇を避ける対策を行ってください

漆山神社

旧朝日村の蒲萄[ぶどう]峠に鎮座する漆山神社は、『延喜式』所載の「漆山神社」のことです。地元では矢葺[やぶき]明神と呼ばれています。鎮座地は、国道7号の蒲萄トンネルを抜け、蒲萄集落の手前から旧道を2.5キロメートルほど入ったところにあります。羊腸の悪路に終始悩まされますが、この小径はかつては越後と出羽を結ぶ要路であり、松尾芭蕉もここを一日で越えて村上に入りました。

村上歴史文化館

外観は、村上市堀片にあった明治時代後期の擬洋風病院建築物を参考として設計されています。内部展示場には、文部省唱歌「汽車」の作曲者・大和田愛羅ゆかりのピアノ「キャロル・オットー」や旧磐舟文華博物館所蔵の民俗資料などの展示を行っています。 ※「キャロル・オットー」は現存数の少ないドイツ製ピアノです

車屋の看板

一桁の電話番号が書かれた看板は、明治43(1910)年のもの。また、屋号が刻印された特注の屋根瓦も見ものです。目を凝らして探してみてください。 ※個人宅の看板なのでマナーを守ってご覧ください

飯野山 龍皐院[いいのさん-りゅうこういん]

創立は文安3(1446)年(室町時代中期・室町幕府八代将軍 足利義政の時代)。後に、耕雲寺5世に晋住される徳嶽宗欽[とくがくそうきん]大和尚が草庵を結び、九皐庵と称して山居されたことがはじまりである。 開山没後、新発田の宝積寺[ほうしゃくじ]より、法孫の瑚珊文愛[こさんぶんあい]和尚が来て、山号を飯野山と定め、寺号を龍皐院と改めて中興し、今日に至っている。 現在の本堂・庫裏は平成2(1990)年に、山門は平成9(1997)年に改築されたものである。 山門前には、享保2(1717)年造立の地蔵菩薩立像がある。その近くには、三ツノ山(江戸時代の力士)の墓碑がある。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

野澤食品工業

事前に連絡をもらいましたら、塩谷の町屋をご案内いたします。 ≫野澤食品工業 店舗兼主屋が国の登録有形文化財(建造物)に登録されました 平成28(2016)年8月1日、旧マルマス醬油蔵・野澤三次郎住宅・瀬賀惣一郎商店兼主屋と倉庫とともに国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。 ≫野澤食品工業 店舗兼主屋の特徴 南北に延びる道沿いに西向きの屋敷は、間口11間(約20メートル)、奥行き47間(約85.5メートル)で、地域では最も大きい屋敷です。建物は木造で、船枻切り妻造り一部2階建て下屋根付きの妻入り型で、この地域の特徴的な造りとなっています。茶の間の明かり取りは、通り土間の明かり取りも兼用された構造となっていて、大変珍しいです。 (『塩谷ガイドブック』より)

稲荷山(番所山)

江戸時代、塩谷は村上城下と北国街道を結ぶ重要拠点であり、村上藩はこの山に番所を置いて、人や物の出入りを監視していました。そのため、番所山[ばんしょやま]と呼ばれていましたが、明治になり、廃藩とともに番所も廃されました。その後、お稲荷さんが祭られていることから「稲荷山」と呼ばれるようになりました。 山頂には三等三角点があり、国土地理院の2万5千分の1電子地形図にも「稲荷山」として掲載されており、新潟県で一番低い(標高15.3メートル)山です。37段の階段を上った山頂の展望台からは、塩谷のまち並みや日本海に浮かぶ粟島や佐渡、南西には弥彦山、角田山が海に浮かぶ島のように見えます。

大手通り

大町から大手門に至る路。大手門(追手門ともいう)があったことに由来する。 村上市役所の駐車場辺りにあった大手門は、城の正門である。門は枡形(ますがた)形式で、大手通りから門のところで右折して入る。 現在の道路に「食い違い」があるのは、ここが大手門であったことの名残りである。 三の丸内を「丸の内」と称し、南を羽黒門、西を飯野門・大手門、北を山辺里(さべり)門で区切る。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

小俣宿

かつて日本の主要道であった出羽街道の宿場町として、出羽三山への参拝者など多くの人々が訪れました。明治維新では戊辰戦争の戦場となり、集落のほとんどが焼き払われましたが、その跡に再建された家々が現在も残っており、この貴重な小俣集落のまち並みをつくっています。心のふるさとを感じさせてくれる趣があります。

一宮 河内神社

仁平元(1151)年に石黒総介正盛がこの地に一ノ宮河内大明神を建てたのが起こりといわれ、後白河天皇の第三皇子・頼威親王(雲上佐市郎)を祭ったものと伝えられています。承久の乱による地方の争いを背景とした歴代譜を持つ社です。

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