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三の丸記念館

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施設外観

蔵

三の丸記念館について

鬼瓦に「七十一」が図案化されています

三の丸記念館は、明治40(1907)年に村上銀行本店として建築されたものです。村上銀行は、明治11(1878)年に国立銀行として誕生した「村上第71国立銀行」の業務を引き継いだことから、鬼瓦には図案化された「七十一」の文字が刻まれています。昭和57(1982)年まで現在の第四銀行村上支店の位置で店舗として活用されていましたが、銀行の改築に伴い、明治末期の貴重な建築物の保存のため、現在の位置に曳家により移転・保存されています。現在は、集会場や作品展の展示会場として活用されています。
住所 村上市三之町7-18
電話番号 0254-53-3853 0254-53-3853
営業時間 8:30~17:00(1・2月10:00~16:00)
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約25分。またはJR羽越本線「村上駅」から村上市コミュニティバスあべっ車『まちなか循環 小回り』・『町屋号』(日曜・祝日限定)に乗車、バス停「村上小町郵便局前」下車(バス停から徒歩で約4分)
駐車場(台数) 普通車30台/大型バス4台(おしゃぎり会館と共用)
定休日 水曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12/28~1/4)
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関連スポット

黒塀通り(安善小路)

城下町の風情が漂う、黒塀が続く小路です。通りには寺院や有名割烹が立ち並び、歴史と趣が感じられます。例年10月の第2土・日曜日には「むらかみ 宵の竹灯籠まつり」の会場になり、揺らめく約2万本もの竹灯籠の明かりと各所で奏でられる音楽に酔いしれる人々でにぎわいます。 ▶安善小路について 小町[こまち]から寺町へ抜ける小路。ここは古くから安善小路[あんぜんこうじ]と呼ばれていた。 安善寺に由来する。安善寺は浄土真宗大谷派。明暦元(1655)年創立。安善寺の寺伝によると、この土地は榊原公から拝領したものとある。 その榊原氏が城主の頃の『元禄村上城下絵図』には、安善寺と小路が描かれている。現在、黒塀小路(または黒塀通り)と呼ばれることもあるが、これは景観整備で黒塀を設置したもので当時はない。また、小町側の村上信金金庫 本店辺りは堀氏時代の絵図には「馬ヤ町」の記載があり、「お馬や小路」と呼ばれていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

村上市指定文化財 旧嵩岡家住宅

直屋・寄棟造りの住宅で、平成8(1996)年に現在地に移築復原されました。この建物は、玄関を入るとすぐに茶の間があり、隣に主人の接客と居室を兼ねた座敷を備え、接客と居住空間の明確な区別がありません。また、上屋の梁間が二間半ということから、隣の旧岩間家住宅と比較すると茅葺き屋根が大きく見えるのが特徴です。 【旧嵩岡家住宅の解体格納と復原の経緯】 旧嵩岡家住宅の屋敷は現在の村上市新町にありましたが、昭和62(1987)年に宅地造成のために解体されることになりました。その解体に際にして、村上市に現存する数少ない武家屋敷の一つであること、比較的保存状態が良かったことなどから、解体されることを前提としながらも、村上市教育委員会はこの旧嵩岡家住宅を市の有形文化財としての指定を行いました。 これによって建築部材の格納保存を目的とした解体調査工事と復原調査が行われ、主要な小屋組部材、軸部材及び天井部材などの内部造作材の保存格納が行われました。 平成5(1993)年、皇太子殿下と小和田雅子様の御成婚を記念しての記念公園整備事業が平成6(1994)年より計画着手されましたが、嵩岡家が小和田家と縁戚関係にあることから、この記念公園整備事業の目玉として旧嵩岡家住宅の復原が行われることとなりました。そして、この御成婚を記念した公園内には、この旧嵩岡家住宅のほか、旧岩間家住宅、さらには旧藤井家住宅の3棟の武家屋敷が復原されることとなりました。 (村上市郷土資料館) 【嵩岡家と旧嵩岡家住宅】 旧嵩岡家住宅が村上市新町にあったことはすでに述べましたが、この新町地内は、江戸時代には主に中下級武士が集住していた地区です。 嵩岡家については、天明7(1787)年の分限帳によると江戸藩邸詰めの武士の中に「平侍百石嵩岡泰蔵」とあります。また、明治初年の村上士族名寄帳によると「給人百石嵩岡小太郎」とあります。そして、明治初年に書き改められた城下絵図には、ちょうどこの場所に「嵩岡五郎左衛門」と記載されています。これらのことから嵩岡家は代々百石を給されていたと考えられ、村上藩では中級に位置する武士でした。 武家屋敷の基本的な性格として、次のことが挙げられます。 ①官舎的性格を有していること ②厳しい建築規制があること ③閉鎖的な屋敷構えであること また、拝領する屋敷の位置や建物の大きさや構造などの基準となるのは、その武士の禄高や身分格式でした。このようなことから復元された旧嵩岡家住宅の構造や間取りなどについては、この復原住宅がそのまま村上藩における百石クラスの武士住宅と即断することはできません。 それまで住んでいた屋敷が火災にあった際、藩は新しい家を調達するだけの余裕がなかったので番所を住宅に充てたという事例があります。この嵩岡家についても、例えば江戸から帰藩した際に、急遽屋敷を賜ったというような特殊な事情があったのではないかと考えられますが、残念ながらその特殊事情を裏付けるようなものは発見されていません。 (村上市郷土資料館)

村上市町屋造観光案内所

大正初期に建てられた町屋を、当時の趣きを残しつつ、どなたでも気軽に立ち寄れる観光案内所として利用しています。通り土間や茶の間といった、村上町屋らしい造りもご見学ください。 ≫メナ・カナちゃんストラップ作り 芯のプラバン(メナ・カナ*の2種類)を選び、カラフルな布地をボンドで貼り付けて作る簡単な体験メニューです。 *メナはメス、カナはオス鮭のことをいう村上の方言 [受付時間]9:00~15:30 [所要時間]30分程度 [料金]1個 300円(メナ・カナ2体セット500円) ※お支払いは現金のみ承ります ※詳細はお問い合わせください ≫荷物預かり [受付時間]9:00~16:00 [料金]1個 500円 ※お支払いは現金のみ承ります ※詳細はお問い合わせください

西奈彌神社[せなみ-じんじゃ]

千年以上も前に書かれた『延喜式神名帳』にある磐船郡8座の中にあり、長い歴史があります。福井県敦賀市にある氣比[けひ]神宮と深く関わりがあるといわれ、明治の初めまでは「氣比大明神[けひだいみょうじん]」「氣比大神宮[けひだいじんぐう]」と呼ばれていましたが、その後「西奈彌神社」と呼ばれるようになりました。現在でも、福井県の氣比神宮と同じ9月4日が祭礼です。江戸時代からの社殿は、明治18(1885)年10月の大火で焼失しました。本殿は、平成3(1991)年に再建されています。 『瀬波っていいね』(活気ある町瀬波まちづくり推進協議会)より

赤坂屋小路

赤坂屋は、大町の大手門脇にあった商家・大年寄伊與部助次郎である。赤坂屋小路の由来は、この赤坂屋の敷地内に造られた私道に由来すると思われる。 文政9(1826)年の町絵図では、間口22間5尺6寸、奥行は堀まで28間5尺という広大なものであった。 酒造業を営んでいたが、持株は5本で2,120株。村上町は全部で38本、10,109株であったから、その2割を持っていた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

稲荷山(番所山)

江戸時代、塩谷は村上城下と北国街道を結ぶ重要拠点であり、村上藩はこの山に番所を置いて、人や物の出入りを監視していました。そのため、番所山[ばんしょやま]と呼ばれていましたが、明治になり、廃藩とともに番所も廃されました。その後、お稲荷さんが祭られていることから「稲荷山」と呼ばれるようになりました。 山頂には三等三角点があり、国土地理院の2万5千分の1電子地形図にも「稲荷山」として掲載されており、新潟県で一番低い(標高15.3メートル)山です。37段の階段を上った山頂の展望台からは、塩谷のまち並みや日本海に浮かぶ粟島や佐渡、南西には弥彦山、角田山が海に浮かぶ島のように見えます。

一宮 河内神社

仁平元(1151)年に石黒総介正盛がこの地に一ノ宮河内大明神を建てたのが起こりといわれ、後白河天皇の第三皇子・頼威親王(雲上佐市郎)を祭ったものと伝えられています。承久の乱による地方の争いを背景とした歴代譜を持つ社です。

大手通り

大町から大手門に至る路。大手門(追手門ともいう)があったことに由来する。 村上市役所の駐車場辺りにあった大手門は、城の正門である。門は枡形(ますがた)形式で、大手通りから門のところで右折して入る。 現在の道路に「食い違い」があるのは、ここが大手門であったことの名残りである。 三の丸内を「丸の内」と称し、南を羽黒門、西を飯野門・大手門、北を山辺里(さべり)門で区切る。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

海巗山 諸上寺[かいがんざん-しょじょうじ]

寺伝によれば、大化年間(645~49)には感應寺[かんおうじ]という天台宗(真言宗とも)の寺で、石船神社の別当であった。その後、一時期廃絶したが、文明7(1475)年3月に耕雲寺5世の徳嶽宗欽[とくがくそうきん]大和尚によって再興されるが、再び荒廃する。天正元(1573)年5月にいたり、村上領主・本庄繁長[ほんじょう-しげなが]侯が巖室文松[がんしつぶんしょう]大和尚を招いて開山とし、寺号を諸上寺と定めた。 開基は村上領主・堀直竒[ほり-なおより]侯で、寺領地も堀家の寄進によるものであった。躑躅[つつじ]の咲く庭園は見事なもので、虚空蔵[こくぞう]堂が立つ。裏山には三十三番の観世音菩薩が祭られている。現在の本堂は天保元(1830)年に再興されたもの。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

村上歴史文化館

外観は、村上市堀片にあった明治時代後期の擬洋風病院建築物を参考として設計されています。内部展示場には、文部省唱歌「汽車」の作曲者・大和田愛羅ゆかりのピアノ「キャロル・オットー」や旧磐舟文華博物館所蔵の民俗資料などの展示を行っています。 ※「キャロル・オットー」は現存数の少ないドイツ製ピアノです

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