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イベント情報

第42回 城下町村上に伝わる ひな人形展

芸術・文化

2026年2月28日(土)~4月5日(日)

村上藩主内藤家旧蔵大名雛

永い時を経た、美しきひな人形たち

村上藩主・内藤家旧蔵のひな人形をはじめ、商家・旧家に伝わるひな人形、道具、押し絵びななど、数多くのひな人形を展示します。

≫会場
●おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)
●重要文化財 若林家住宅
●村上歴史文化館

≫料金
●おしゃぎり会館・若林家住宅・村上歴史文化館 共通券 …一般500円/小中高校生250円
●おしゃぎり会館単独観覧券 …一般300円/小中高校生150円
●イヨボヤ会館とのセット券 …一般1,000円/小中高校生500円
※団体(20名以上)割引あり
住所 村上市三之町7-9 おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)他
電話番号 0254-52-1347(おしゃぎり会館) 0254-52-1347(おしゃぎり会館)
開催期間 2026年2月28日(土)~4月5日(日)
開催時間 9:00 ~ 16:30
URL https://www.iwafune.ne.jp/~osyagiri/
アクセス(車) 日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約5分
アクセス(電車・バス) JR羽越本線「村上駅」から徒歩で約25分
駐車場(台数) 大型バス10台/普通車30台
大きなマップで目的地までのルートチェック

関連スポット

桃川のおたきさま

根古屋沢に形成された落差5mほどの滝で、国道290号脇の駐車場からも望むことができます。2018年に新潟県県民生活・環境部 環境対策課が新たに選定した「新潟県の名水」の一つでもあります。 【おたき さま】※駐車場に設置されている案内板より 関川村と境を接する広大な山塊の幾筋もの沢の水を集め、根小屋沢(ねごやざわ)を流れ下った川が、ここで男滝と女滝の2段の大きな滝となって流れ落ちています。見えている滝は2段目の滝で、1段目の滝はこの少し上流にあります。 滝の左手前に見える小さなコンクリート製の祠が現在の多伎(たき)神社です。ご祭神は「阿多加夜努志多伎吉比売命(あたかぐぬしたぎひめのみこと)」と伝わっています。古代の人たちは、稲作の命である水が囂々と流れ落ちるこの2段の滝に神の存在を感じてお祀りし、それがやがて多伎神社というかたちに整えられたと考えられます。 桃川の人たちは、この滝と多伎神社に畏敬と親しみをこめて、この場所をいつからか「おたきさま」と呼び慣わしてきました。右側の崖には、横が約2.5m、縦と奥行が共に約2mもある大きな岩屋が穿たれています。この岩屋の中に多伎神社の祠があったという言い伝えもありますが、中世の時代に流行した山岳修験道に関係した遺跡である可能性もあります。 今の小さな祠がある場所に、明治時代まで二間四方の社殿が建っていたという言い伝えがあります。この言い伝えを裏付けるように、その社殿が鳥居に掲げられていたと考えられる明治2(1869)年作の立派な多伎神社額が現存しています。 江戸時代に、延喜式内社桃川神社に神主として代々奉仕した佐藤辰左衛門(たつざえもん)家に伝わった文書には、「(桃川神社と多伎神社は)二神共ニ延喜式之霊跡(えんぎしきのれいあと)也」、「桃川神社 多伎神社、延喜式内旧社(えんぎしきないきゅうしゃ)」などと記されています。このことは、平安時代の延長5(927)年に編纂された『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載される「磐船郡八座(いわふねぐんはちざ)」の「多伎神社」は、この「おたきさま」の多伎神社であるという伝承や確信が、古くから桃川にあったことを物語っています。(平成28年8月 桃川区)

大須戸能[おおすど-のう]

大須戸能は、伝えによれば弘化元(1844)年の冬、庄内黒川の能役者・蛸井甚助が大須戸に逗留した際、村人が指導を受けたとされ、嘉永5(1852)年の記録には「古来の能装束が欠損して役に立たなくなったので奉納を願う」と記されています。現在は、例年4月に大須戸・八坂神社能舞台で行われる定期能と、8月に行われる薪能で鑑賞することができます。

筏場通り[いかだばどおり]

庄内町から泉町に至る路で「筏場[いかだば]通り」といわれていた。筏場とは、三面川上流から筏を組んで流してきた木材の陸揚げ場で、ここから材木屋や木羽[こば]屋に運ばれた。 文政3(1820)年の『塩町軒付帳』には、木挽[こびき]9軒、木宿8軒。文久3(1861)年の『加賀町軒付帳』には、木挽11軒とある。 木挽とは、木材を製材する職人をいい、また木宿とは薪や炭を扱う薪炭[しんたん]屋をいう。 以後、近年まで塩町と加賀町には材木屋や製材所が集中していた。 村上ロータリークラブ 2017-2018 村上小古路プロジェクト発行「村上小古路マップ」より

千眼寺 保呂羽堂[せんげんじ-ほろわどう]

保呂羽堂は、国指定文化財「平林城跡」の所領であった色部氏15代・色部長真[いろべ-ながざね]が天正19(1591)年に出羽国仙北郡大森町の保呂羽山波宇志別神社から当地に分霊したことにより創立され、その後の安政5(1858)年に再建されたものと伝わる。 保呂羽堂の奥行きが深く、幣殿と拝殿を前後に明確に分ける平面形式は、越後特有の形式と知られている。 総欅造 [本殿]一間社流造、桟瓦葺、向拝一間 [拝殿]入母屋造 千鳥破風付、桟瓦葺、向拝一間 軒唐破風付 [幣殿]切妻造、桟瓦葺 指定:平成19(2007)年11月20日 【村上市教育委員会】

一宮 河内神社

仁平元(1151)年に石黒総介正盛がこの地に一ノ宮河内大明神を建てたのが起こりといわれ、後白河天皇の第三皇子・頼威親王(雲上佐市郎)を祭ったものと伝えられています。承久の乱による地方の争いを背景とした歴代譜を持つ社です。

イヨボヤ会館

「イヨボヤ」とは、村上の方言でサケ(鮭)のこと。館内では、サケをはじめ、さまざまな淡水魚等を観察できます。サケ漁に使われる漁具の展示、コンピューターゲームで楽しくサケのことが学べる「こどもサケ科学館」等、サケの生態や村上の鮭文化を知ることができます。また、三面川の分流・種川の中をガラス越しに観察でき、自然の川の様子や秋には遡上するサケをご覧になれます。タイミングが合えば、産卵の瞬間に出合えることも! ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2026年7月1日(水)から、施設の入館料・開館時間・休館日が変更になります。 【入館料】 [単館]一般600円/小中高生300円 ≫ 一般700円/小中高生300円 [4館*共通券]一般1,000円/小中高生500円 ≫ 一般1,300円/小中高生600円 *4館(おしゃぎり会館・若林家住宅・村上歴史文化館・イヨボヤ会館) 【開館時間】 9:00~16:30 ≫ 9:00~16:30(1・2月10:00~16:00) 【休館日】 年末年始 ≫ 水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4) 【変更に関するお問い合わせ】 TEL 0254-53-3368(村上市農林水産課 林業水産振興室)

體真山 満福寺[たいしんざん-まんぷくじ]

創立は慶長元(1596)年、開山は耕雲寺14世 剛安寿金禅師[ごうあんじゅきんぜんじ]。宝永2(1705)年での山号は村上山とある。後に慈海山[じかいさん]と改め、さらに體真山[たいしんざん]と改めた。 山号を改めた理由は不明であるが、村上山の山号は地名によることは明らか。文書上の村上の初出は永正6(1509)年9月11日である。 文化2(1805)年に建て替えられた時の費用は、90両3分2朱と銭1035貫730文。全て銭にすると、1651貫862文であった。当時の大工日当は150文、米1俵が1貫650文の時代である。 (「城下町村上 寺社の由来」より)

普門山 東林寺

創立は明暦元(1655)年3月、開山は泉梁[せんりょう]和尚で満福寺の末寺です。その以前は、妙心庵[みょうしんあん]と称した庵寺であったといわれています。 その妙心庵に隠居生活をしていたのが、村上茶の元祖といわれている徳光屋覚左衛門(本名:土田)夫妻です。そのため境内には、夫妻の墓碑と頌徳[しょうとく]碑が建立されています。 また、寺内には夫妻の肖像画もあります。覚左衛門の没年は寛永11(1634)年6月26日。頌徳碑の建立は大正11(1922)年で当時の住持・竹内越岸[えつがん]の発起によります。

平林不動滝

国指定史跡の平林城跡のある神林地区・要害山中にある。要害山には至るところに清水が湧出しており、それらが流れ込み不動滝を形成している。滝つぼの奥には岩を削って造られた祠があり、数百年前から大日如来と不動明王の石像が童子石像とともに安置されている。 「新潟県の名水 関川村・村上市 県北名水巡りマップ」(新潟県)より抜粋 【備考】 ●不動滝登山道 駐車場(古刀比羅[金比羅]神社前)から不動滝までは徒歩で約50分です。 ●滝へと至る山道(不動滝登山道)は、ぬかるんでいたり、急な上り下りもあるので、履きなれた靴(登山靴がオススメ)でお越しください。 ●クマやヘビ、ハチといった危険動物・昆虫に十分ご注意ください。 【不動滝と目薬の由来について】 永禄の昔、色部氏第13代勝長が、上杉謙信の命により川中島合戦の出陣に際し、領内の安泰と戦勝を祈願するため、不動滝に祠を築造し、そこへ大日如来と不動明王の石像を安置されたものと推測されている。 また、天正時代、信州松本の名家・小笠原貞慶一族が、色部氏を頼って家臣となり、小笠原家伝来の軍法・兵法・馬術、さらに目薬の製法に至るまで色部氏に伝授した。 これにより、色部氏は領民のため、不動滝の真水(まみず)を用い、目薬の開発に努めたという。以来、不動滝の水滴が眼病に効能ありとして、無病息災・家内安全等のご利益を求めて、また村人たちの心の拠り所として、多くの参拝者が訪れたと伝えられている。 【お不動様の起源およびご利益】 一、家運隆盛 一、心願成就 一、徐災招福 一、身体健護 当不動堂の創建は不明であるが、江戸時代後期1813年、権三郎が再建したという文献上の記録がある。以来、村人たちは唯一信仰の場として崇拝してきた。しかし、昭和42年の羽越水害により不動堂および林道山沿い線(参道)は壊滅的被害を受けた。昔から幾多の破壊と補修の試練を乗り越え、この度ようやく参道の改修工事が完了し、不動堂の新築再建に併せ新刻された不動明王立像を奉迎安置したところである。 一方、平安時代初期806年、弘法大師空海が中国より帰朝し、日本に真言宗を開宗した。その後、大日如来を真言密教の根本尊と定めた不動明王は、大日如来の化身であり共に表裏一体の仏様であるといわれている。 なお、不動立像は怒りの相を表現し、背には激しく燃える炎を抱え、不動不変の盤石に立ち、右手には煩悩を断ち切る降魔の利剣、左手には煩悩から抜け出せない人々を救済するための縄を持つ。これは人間が持つ煩悩五欲、つまり心身を悩ます一切の欲望・悪業を追い払い、家運を転換隆盛し招福を招来する。また、あらゆる困難を克服し、勝負に勝って心願を成就する。同時に、仏の救済を必要とするすべての生命に対して慈愛の心で子孫の繁栄を守る。 これが大日如来、不動明王が説く真言密教の教理であり、ご利益の由来であると伝えられている。

狭の渡正跡[せばのわたしせいせき]

旧貝附村国道筋に建てられた石碑。「越後なる せばの渡しの 朝嵐 昨日も吹いて 今日も吹くなり」という古歌が刻まれています。碑が建てられている付近は景色が良く、古歌に詠まれた景勝地として有名です。

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