当山は村上地域屈指の古刹で、永仁5(1297)年、日印(にちいん)聖人の開山である。
越後伝道の途次、飢饉疫病に苦しむ民を前にした日印聖人は白牛の跪(ひざまづ)く湿地にて祈りを捧げられた。その地より浄水湧き出で蓮華が生じ(蓮華淵[れんげふち])、ここに鬼子母尊神(きしもそんじん)を安置され、化縁の跡を結ばれたのが開闢(かいびゃく)の縁起である。
戦国天正期、村上城主 本庄(ほんじょう)氏の崇敬が篤く、繁長(しげなが)の寺領安堵状(じりょうあんどじょう)が残されている。
また塩町 安泰寺より移築された本堂には、戊辰戦争時の藩の責任を負い幽閉された内藤藩家老・鳥居三十郎所縁の間がある。
●法華宗
十方山 本門寺
所在地 村上市中原1780
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