創建は元和7(1621)年、京都・知恩院の末寺。本尊は阿弥陀如来で脇侍は観音菩薩と勢至菩薩である。開山の呑徹(どんてつ)上人は豊臣家臣・新田源左衛門尉貞経(にったげんざえもんのじょうさだつね)の五男。
京都の法然院(ほうねんいん)で修業し、その後、江戸に出て伝通院や増上寺で学んだ僧である。
寺の記録によると、慶安2(1649)年、松平大和守直矩(まつだいらやまとのかみなおのり)侯が播州姫路より村上城主として入封、その後、同寺は菩提寺となる。寺を再建して鐘楼を建立、荘厳を整え、そして京都の仏師が彫った千躰佛(せんたいぶつ[千体のお地蔵様])を奉祀したが、明治9(1876)年の火災でわずかを残して焼失。現存するのはその後の作で、身丈6尺の地蔵菩薩とともに祀られている。境内には院殿号の墓があり、当時のものと思われる。
本堂前にある阿弥陀如来の石像は、九品仏の下品中生仏である。
●浄土宗
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一心山 無量院 専念寺
所在地 村上市庄内町7-8