開基 良喜は、平重衡(たいらのしげひら)の子孫・本庄重幸で、信州飯山に住していた。当時、重幸は上京し、東本願寺 教如上人に帰依し、出家得度して法名・釈良喜と下された。飯山に帰って、時の城主・堀丹後守直竒(ほりたんごのかみなおより)侯により一宇を建立、教如上人より寺号・斉真寺と免許された。
城主が元和2(1616)年に越後長岡城主、次いで同4年 村上移封の時、随従して堀片に寺地を拝領した。その後、松平大和守(まつだいらやまとのかみ)が城主の時、寺町へ替地、殿堂を再建した。寛文2(1662)年10月29日、良如上人のときに西本願寺に転派、寺号を西真寺と改めた。
●浄土真宗本願寺派
信飯山 西真寺
所在地 村上市寺町3-29