村上藩主・内藤氏の移封とともに享保5(1720)年、村上に移る。藩主の学問所であったという。
戊辰戦争に村上藩が官軍に敵対した責めを一身に負い、家老・鳥居三十郎が切腹したのが菩提寺であるこの安泰寺である。
辞世の歌は
淡雪と 共にわが身は消ゆるとも 千代萬代に 名をぞ残さむ
明治期まで句会も多く開かれており、境内にも児玉亀六、八子露月、桃林舎(角田)青牛などの句碑が残っている。
また、参道には立ち姿の下品上生仏の九品仏がある。
●臨済宗妙心寺派
護国山 安泰寺
所在地 村上市塩町6-34