創立 大永7(1527)年、開山は耕雲寺八世 固剛宗厳(こごうそうごん)和尚。開基、鮎川清長(あゆかわきよなが)侯。鮎川氏は信濃守(しなののかみ)と称した土豪で、のち上杉家の臣下となる。大葉沢城は鮎川氏の居城であり、城跡は県指定文化財として保護され、特に50条に及ぶ畝型阻塞(うねがたそさい)群は圧巻である。
現在の本堂は安政3(1856)年7月5日の火災後に建てられたもので、天井の水墨画は有磯周斎(ありいそしゅうさい)作と推定される。山の斜面に造られた回遊式庭園は作庭家 遠藤太一(えんどうたいち)氏により三十三世現住職代に整備された。
普済寺の頭石(あたまいし)
近在に古くから伝わる話に普済寺の頭石なるものがある。住職の遷化(せんげ)(禅僧が亡くなること)が近づくと山より丸い石が出てくる。頭石の大小は住職の徳に依ると云われ、滅後に墓石となる。その頭石に触れば邪気を払い、剛力を得る御利益(ごりやく)があると云われている。
●曹洞宗
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